Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

社会をディストピア化させようとする現代人たち

2009年05月23日 | 心理・精神病理

わたしは改めて、太陽の下で行われる虐げのすべてを見た。
見よ、虐げられる人びとの涙を。彼らを慰める者はいない。
見よ、虐げる者の手にある力を。だから虐げられる者たちには慰める者がいない。

(「伝道の書」/ 聖書/ 新共同約/ 一部ルナによって加筆)

 
*ディストピア:ユートピアの反対 



「安穏」さんという、「unknown」をもじったと思われるHNの方とのやり取りがいま続いているのですが、とうとう今日はルナも切れちゃったんですが、そこで感じたことをつれづれ、書きます。


つきつめてゆくと、人間はみな孤独です。生まれてくるときから、人間はひとりの人に一つの意識を与えられています。そしてその人の意識がどういう状態にあるかなどということは、たとえその子を産んだ母親にさえ、完全に理解することはできないのです。さもなければ、お母さんは、赤ちゃんを泣かせたままにすることはないはずです。赤ちゃんの泣くのをなかなか止めることができない、ということは、人間はみな、自分を完全に相手に理解させることが不可能であるということを示しているのです。

人間はみな、基本的に孤独であるからこそ、人間とつながろうとします。孤独を癒すものは、自分への正当な評価であり、自分を受け容れてもらうことです。ですから、人間は自己中心的な人、一方的に押しつけてきて、こちらのことを受け容れてくれず、それどころか否定してしまうような人間を避けるようになります。そういう人とは人間関係を持とうとは感じられないのです。なぜなら、そういう人と人間関係を持っても、孤独を癒すことができないからです。孤独を癒すには、否定ではなく肯定を、見下しではなく良い面への注目=プラスの評価を必要とするのです。

相手に対し、否定的、侮辱を加える仕方で接する人=高圧的に接する人は、相手の人格的存在、人格的価値を低めることで、優越感を得、その優越感により、自分の存在に意味を見いだそうとするのです。その人は孤独を癒すのに間違った方法を取っています。そんなことをしていれば、人から遠ざけられて、かえって孤独を深めるだけなのです。しかも、その人が、たとえば地位にともなう権力を使って相手の人を低める作戦を、集団の中で行った場合、低める対象となった人間は、人格的価値を公然と否定され、執拗に否定されることにより、自分への自信を失ってしまいます。物理学的作用ではありませんが、心理的な作用ですが、こういう力の作用は現実に存在します。これを、心を傷つける、と言います。

自信を失わされた人は、以前のように屈託なく人生に取り組むことができなくなるかもしれません。あるいは人間に傷つけられることへの恐怖から、引きこもるかもしれませんし、逆に、自尊心が不当に低められ、しかもそれを正すことができない力関係に怒りと恨みを抱き、暴力的な生き方を選択するようになるかもしれません。



たいていの場合、人を不当に低める立場の人たちは、つまり権力(=他の人びとを従わせる特権)を自分たちに集中させている人たちです。そういう人たちは、その不当に人を傷つけ、低める特権を正当化し、自由に使用する社会的な仕組みを作りあげています。

その仕組みには、「伝統」といった権威がありますし、伝統にもとづいた道徳があります。道徳は自動的に「よいもの」と思わないでください。人間が人間を不当に支配する仕組み・考え方の枠組みが「道徳」として権威づけられている場合が多いからです。また人間と人間を分断するための身分制度や序列制度、性差別なども「正当な」道徳的権威を与えられていることも多いです。不当な強制でも、年長の者や家督の男子からの命令であったなら従うのが道義的正義とみなされたり、国家のために国民の生命・財産を放棄するのが美徳とみなされたり、etc...。道徳というのは「良きもの」では決してないのです。

むしろ道徳は人間を支配するための心理的な枠組みです。法律のように論理によって裏づけられてはいませんが、よく理由が解からなくても、道徳だから、日本人だから、ということだけで従わなければならないもの、とされるのです。

このような強制的な力にもとづく社会的な仕組みがなぜ、いつの時代にも慕われることがあるのか、というと、そういう枠組みによって人間関係が「自動的に」仕立てられるからです。

縦の序列が無条件に受けいれられていれば、親方と弟子、父親と妻と子どもたち、上司と部下をなど、人間関係が容易にできあがります。そういう縦の序列が道徳的に良いものとして受け容れられている場では、相互的なコミュニケーションによって人間と人間を結びつけるための粘り強い、また面倒な努力をしなくてもいいのです。

序列が伝統であるということで、親方は弟子を、父は妻子を、年長者は新参者を従わせることができるのです。それぞれ親、子、妻、親方、弟子、教師、生徒、という、「分」あるいは「本分」と呼ばれる役割を果たすことが道徳的によいことであり、「本分」より以下でも以上でもなくふるまうことが道徳的に良いことであるなら、有能な親方、有能な上司、有能で愛情深い父親、有能な教師となる努力をしなくてすむのです。その立場、地位に人を従わせる力が備わっているからです。

逆にいえば、立場や地位に座ってさえいれば、理不尽な支配によって人を必要以上に低め、侮辱し、排除させるようなイジメ行為や、心身両面への虐待行為をしてもなお、支持と尊敬を受けることを、被支配者たちに要求できるのです。これが集団主義の魅力と映るでしょう。



集団主義には静かな落ち着きのような雰囲気があります。しかしその静けさは、「被支配者の抗議が抑圧されている」静けさであり、がんじがらめに束縛されているがゆえの落ち着きなのです。人間関係を営むのに、理解してもらい、理解する、民主主義的な、対等な関係に立ち、譲歩と要求という交渉によって打ち立ててゆく、コミュニケーションというダイナミックなものがないことが、集団主義、全体主義の人間関係を静かなものにしているのです。そして、そういうダイナミックなコミュニケーション・スキルが未熟な人たちが、こういう集団主義的→全体主義的な関係の社会を望むのです。


エホバの証人に嫌気がさしてやめてきた人たちの一部が、右翼的な団体に加入したりするようになるのは、おそらくこういう理由でしょう。エホバの証人という、まさに家父長制の純粋な集団主義社会で育ってきた彼らは、人の気持ちに配慮したり、言うべきときに毅然と交渉するということができません。コミュニケーションスキルが育っていないのです。つまり相手の気持ちになって考えてみるという精神態度が十分に育っていません。だから権力に迎合しやすく、強いもの、序列と枠組みの堅牢な集団主義的な体制を捜し求めるのです。自分の要求を通すのに、道徳や枠組みというハードによって無理やり通す方法に頼ろうとするからです。




*補足
「あたしは母親として、一生けんめいやってきた。それなのに子どもはわたしのいうことを聞かず、悪い仲間といっしょになって、こんな犯罪をしでかしてしまった…」

 りっぱに自分の役割をやってきたつもりでしょうけれど、それはいわば、集団主義社会の用意した母親像をこなしてきただけだったのです。エホバの証人の世界でもそうですが、全体主義社会では、母親はこうすべき、父親はこうあるべき、子どもはこうあるべき、男子はこうあるべき、女子はこうあるべき…といった、決められた「像」があるのです。その「像」をりっぱにこなすことが道徳的に善とされています。

 しかしそこには、相手がどう思っているのか、人間はどういう感想や感じを抱いているのかということは考えません。相手の意向に耳を傾け、相手の気持ちをも拾い上げてゆこうという心の姿勢がないのです。そういう家庭環境では、子どもは、実は親が期待するのとは異なる目標を熱望しているのかもしれませんが、子は親に従い、親に服することが「道徳」、「道義」とみなされる社会では、「…すべき」が絶対的に要求されるのであり、「個人としては…したい」ということは「わがまま」、「自己中心的」とかみなされてしまいます。

 こういう点から見ても、集団主義社会の思考枠は非人間的であり、個人の内心の自由など集団の結束を維持すると言う目的の前には一顧だにされないのです。冒頭のような仮の例のようなことが起こるのは、子どもに「…すべき」を押しつけ、また母親として「すべき」役割を果たすことしか考えなかったため、両者に気持ちのふれあいがなかったのです。だからこの母子はまったく理解しあえないのです。

 個人主義の考え方では、まず、相手がほんとうはどう思っているのかを知ろうとします。個人主義社会では母は、子は、男子は、女子は、それぞれ「…すべき」という枠組みを否定します。人間は個人として尊重されるので、人それぞれ異なっているのは当然なのです。ですから、相手がどう思っているのか、そして自分は本当はどう思っているのか、それを両者の間でつまびらかにして、オープンに協議します。親と子であれ、人間同士の対等の協議を行うのです。だから気持ちが通じるのです。良好な人間関係というのはつまりは気持ちを通わせることなのです。

 未成年による「凶悪事件」が起こるたびに、戦後民主主義教育が間違っていた、という言説が右翼から話されますが、正反対なのです。民主主義的なオープンな話し合いが行われておらず、伝統的な役割を有無を言わさず押しつけてきたことが子どもたちの気持ちを荒ませてきたのです。集団主義社会は、「…すべき」を押しつけ、「…したい」を抑圧するものです。この点で、それは非人間的な管理である、と言えるでしょう。

 日の丸訴訟の問題もここに原因があります。個人の尊重と言う原則を、じつは真っ向から否定したい集団主義者たちの反動的巻き返しが問題の全体像なのです。日本人が「すべき」だと旧憲法時代に教えられていたことを絶対視し、旧憲法体制の過ちに向き合いたい、という市民の「…したい」は抑えこまれるのです。抑えこまなければならない、というのが集団主義の考え方です。ちょっといまやっている議論に戻ると、それは、「安穏」という方や、同様の意見の人たちの、個人の主張がある場合に集団にとって危険で脅威になる、とぬけぬけと言ってのけることにありありと表れており、それこそ個人を尊重するより、集団の結束を最優先させるファシストの発想そのものなのです。そして腹立たしいことに、そういう人たちが、学歴を積み上げ、日本をリードしていこうとしているのがいまこの時代なのです。(補足終わり)



ですから、集団主義は人間を痛めつけることはあれ、向上させたり、有意義な人生を送れるような環境を与えたりはしてくれません。集団主義は、あるいは政治的な政策として採られる集団主義=全体主義は、一部の少数者が多数の人間を搾取し、消耗する、非情な支配のための仕組みです。日の丸・君が代弾圧事件に見られるように、人間の個人的な感受性や考え、個人的な好みも、集団の結束を維持する道徳上の規律や秩序を弱めてしまう危険なものとみなされるなら、それは否定され、強制的に排除されるのです。その社会で生きる場から出て行け、と言うようなことを堂々という仕組みなのです。

集団主義では、集団に所属する個々人の権利や福利は集団が賦与します。ですから、権利や福利の要求は、集団の許容する範囲内でしか認められないのです。また、集団によって権利や福利が与えられるということは、集団の結束力がゆるむと、権利を与える能力も弱まることになります。集団主義社会が規律だの秩序だのを重要視するのは、集団内の人びとの権利・福利が集団によって与えられる仕組みだからです。明治憲法の権利規定がそのようなものでした。



一方、日本国憲法の人権規定は、個人主義にもとづきます。「すべて国民は個人として尊重される」のです。集団の一員であるあいだは尊重される、ではないのです。権利は憲法によって与えられており、個々人が自分でそれを守り、自分で主張して行くのです。そのためにはコミュニケーション能力が求められます。相手の自分との利害を調整し、お互いが納得のゆく第三の道を探り出す。こういうことを可能にするのは、コミュニケーション能力です。コミュニケーション能力とは意思を疎通させること、気持ちの交通です。自分の意向と相手の意向を両方とも立ててゆこうとするものです。

集団主義社会では、地位にともなう権力が有無を言わさず人間たちを従わせます。そこでは身分制や序列制度、家父長制度といった、有無を言わせず人を従わせる制度によって、人間関係がつくられます。立場や地位、性別などによって、それぞれ役割が定められており、それぞれの立場の人はその役割以上でもなく以下でもない仕方で行動することが美徳であり、善であり、義務なのです。いわば社会での人間関係は、立場にともなう役割をこなすだけで成立したのです。相手と意思を疎通させなくても、立場や地位に座れば自動的に人間関係が成立したのです。



例をあげて考えてみましょう。個人主義に立つと、人間関係はコミュニケーションによってつむがれてゆきます。不誠実なコミュニケーションが行われると一方が他方を傷つけてしまいますが、誠実なコミュニケーションが積み重ねられてゆくと、そこには信頼が生まれます。信頼は尊敬という感情の土台です。誠実なコミュニケーションによって、信頼や尊敬が醸成されてゆくのです。「醸成」ということばを選んだのは、信頼や尊敬は一方が他方に要求したところで一朝一夕にできあがるものではない、と言う意味を伝えたいからです。信頼と尊敬は誠実なコミュニケーションを地道に根気強く積み重ねてゆくときに、ちょうどお酒が蒸留されてゆくようにして徐々につくりあげられてゆくものです。

ところが、厳格な伝統に裏づけされた身分制度や階級制度、そのほかあらゆる序列制度によって人間関係がつくられる環境では、「長」の肩書きを有した者がヒラの成員に尊敬を要求するのです。そしてヒラたちは互いに牽制しあって、敬語の言葉や恭しいあいさつなどの態度によって尊敬の証拠をいつでも示すようになります。そうしなければ命さえ奪われる社会もありました。戦前の日本でしたら、天皇は戦争責任を取れ、とデモを行うと、特高警察につかまって、小林多喜二のように性器への拷問を受けるというような身の毛もよだつ方法で殺害されます。

もちろん、ことば遣いや腰のまげ方などの外形的な態度だけでは、本心から尊敬しているかどうかはわかりません。猜疑心の強い独裁者なら、そういう不安から、無理難題な命令や要求を出して、配下の人びとがそれに従うかどうか試したりします。

エホバの証人が時折、締め付けを強くして、高等教育をうけること、二十代で結婚すること、子どもをもうけることなどを禁止同然にしたりするのは、裏にはそういう動機もあるんじゃないかと、わたしは、自分のエホバの証人時代後期にはひそかにそう考えていました。

話が逸れそうですが、集団主義→全体主義の社会での人間関係はこのように、力で人間関係がつくられてゆくので、ぎごちなくて息苦しい人間関係になります。

こういうような人間関係、つまり、立場や地位によって自動的に人間関係が営まれるためにはルールを用意し、厳密に守られる必要があります。年下の者は年長の者にたとえ年長者が明らかに間違っていても、口ごたえせず、絶対に服せねばならず、女性はその能弁によって男性を論破してはならず、部下も上司に無条件に服従しなければならない、そういう序列の決まりやマナーが定められ、それを厳守しなければならないのです。いろんな習慣やマナーや規律が作られ、それを守るよう要求されます。さもなければコミュニケーションに拠らない人間関係は維持できないのです。これが集団主義の人間関係です。

ただそこでは感情や自由な意思表明が抑圧される代わりに、争議、論争、対立などは存在しません。そして実はこの点が自己評価の低い人間たち=自分に自信が持てない人たちには「平和な人間関係」のように映るのです。

カルトの本質はファシズムであり、ファシズムは全体主義を性質として有しています。したがってカルトは全体主義社会です。そういうカルト宗教に入団する人には、こういう見せかけの平和に惹かれていることが多いのです。しかしそれは平和ではなく、人間性の否定なのです。感情や自由意志が抑圧させられているから争論がないのです。人間社会に争論や対立がないというのは実は不健全なことなのです。

一方、個人主義社会では、個々人の意思を交渉の場で明らかに提示することにより、個別に契約を結んだりして、対等な立場で、人間関係は創りだされるのです。そこでは活発に議論が交わされ、時には激しい対立も起こります。しかし、「戦争・殺し合い」という手段が憲法によって禁じられているなら、争論は怖れる必要はないのです。そしてこの、「意思をオープンに提示して両方が納得に行く方策を新たに創りだす」という手順はそのまま民主主義の手法につながってゆくのです。

一方それは、コミュニケーションが下手では個人主義社会では生きてゆけないかもしれないと、そういうこともありうるということです。現に、コミュニケーションが下手なためにいつまでも独身でいる人がいますし、コミュニケーションをとろうとする誠実さがないために、結婚関係を続けることができず、離婚してゆく人もいます。コミュニケーション能力で人間関係をつくり、維持していくということは、集団主義的手法に較べると手間と工夫と譲歩が求められる、面倒なものです。しかし、自由と民主主義はそういう手順を丁寧に踏んでゆくことで達成されることなのです。



…こういう、集団主義的な、力によって人間を萎縮させ、搾取するような仕組みではなく、すべての人が自分の言い分や要求を最大限に通し、しかも自分とは利害が対立する相手側の要求も最大限通せるような仕組みが捜し求められ、それを近代民主主義のうちに包摂しようとしたのが20世紀後半の西側世界の挑戦でした。



しかし、アメリカの経済学者たちの一部が打ち出した新自由主義的な考え方に沿って、アメリカがマネタリズムに走り出すようになってから、利己主義が大手を振ってまかり通るようになりました。変動相場制に切り替わってからドルが過剰にあふれ、バブルが波のように周期的に世界各地を襲う現象が見られ、バブルがはじけるたびに労働者たちの生活が深刻な打撃を受けるようになりました。そんな景気の変動によって暮らしの安全が左右される、非常に不安定な社会に長年暮らしていると、人びとはより安定した社会、動揺の少ない堅牢な社会を希望するようになります。ここへきて再び、集団主義社会への回帰が始まったのです。

また財界も、労働者の抗議や、経営が労働者への保護的な政策によってがんじがらめにされるのを嫌う気持ちから、国家主義によって労働者に「身の程」という「本分」内で満足して生きろ、という暗黙のメッセージをこめて、国家主義を煽る動きを見せ始めました。歴史には色々皮肉があります。ヒトラーとスターリンの協定もそうでしたが、グローバル経済推進者たちが、排他的な国家主義者と結びつく、というのもグロテスクな組み合せです。一方の極端から他方の極端へと世の中は振り子のように振り回されています。現実の状態としては、経済政策は政府が行うことで、国民は提言や監視くらいしか関われません。

しかし、地域の暮らし、地域社会ということになるとわたしたち個人個人もできることが大いにあります。わたしたちにも今すぐできる重要なことのひとつに、コミュニケーション・スキルを身につける、ということがあります。わたしたちがコミュニケーションによって人間関係を築けるようになれれば、集団主義的な、身分制度や家父長制度の道徳的な掟によって人間をしばりつけて人間関係をつくるのではない、より自由で、意思的で、意思的というのは自分で自分の人生をコントロールできる自由意志的、と言う意味で使ったのですが、そういう活き活きとした自由な人生を享受できるのです。またコミュニケーションによって人間関係ができれば、そこには愛情とか、思いやりとか、相手の立場に立つ視点が生まれますから、経済的に苦しい時代が来ても助け合いによって、地域全体が有機的に結びついて危機に対処するでしょう。「有機的」というのは集団主義的社会の、規律や道徳によって意志に関係なく動かされる仕組みではなく、他者への関心や配慮といった、人間らしい愛情にもとづいた社会の結びつき、という意味をこめて使いました。


こういう気持ちから、コミュニケーション・スキルをまとめるカテゴリーを立てました。「脱アダルトチルドレン! 自由に生きる」というカテゴリーです。カテゴリーばっか増やしても、書くことがなかなか追いつかないのですが、元エホバの証人のような人たちや、ネトウヨのみなさんもおそらくは人との関係を作り、維持するということが下手だろうとうかがわれるので、 (なぜって、人間関係で満足しているなら、匿名で荒っぽい思想をうっ憤晴らしのようにばらまくようなことはしないでしょうから。人に対してもっとやさしくなれるでしょうから、ね) きっと役に立てる知識をご紹介してゆこうと計画しています。参考にしていただければうれしいです。なによりも、コミュニケーションによってつくられる人間関係の温かさ、豊かさ、自由さというのを感じてもらいたいです。こういう草の根的な地道な努力が、アメリカ追従に乗っかって憲法改正へと至る反動化を防ぐ強い力となると思います、というか、なってほしい。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サイパン島の「クリフ (崖)」についてのトリビア

2009年05月19日 | 文学・芸術・雑学・健康

「レッド・クリフ」という映画がよく客を集めているそうです。戦争スペクタルというのは派手なシーンが目を引いて、見栄えがするんでしょう。NHKの番組だったんですが、ロシアとグルジアの戦闘を逃れて、疎開のような暮らしをしている子どもが、「以前は戦争映画が好きだったけれど、今はひどく嫌いになった」というコメントを述べていたのが印象的でした。

田○神さんだか、ネトウヨさんだか、「物知り」な方々は勇ましいことをいいます。核武装論まで言いだす始末です。

わたしは、経験は人を賢くする、とは思いません。経験から学ぶことがひとを賢くする、と思います。NHKの番組で、上記のコメントを述べた子どもは、戦争というものがどんなものかを経験し、それは非戦闘員である人たちが真っ先に犠牲にされるものだということを学んだ、という点で、学識豊かなネトウヨさんたちなんかよりずっとずっと賢くなったんだと思います。

それはさておき、かつて日本に占領されていたマリアナ諸島のサイパン島には、「バンザイ=クリフ」という「クリフ(崖)」があります。そう呼ばれるようになったいきさつについての記事を、ご紹介します。

 

-------------------------


日本を攻撃目標の中心にしっかり据えたアメリカ軍が、中部マリアナ諸島のサイパン島 (本土防衛線として日本軍に重視されていた) の上陸に成功したのは、昭和19年の6月15日、終戦の1年2ヶ月前である。

この「マリアナ作戦」には、アメリカ側にもいくつかの問題点があった。その第一は、マリアナ諸島に基地を持っても、そこから日本本土まで、当時としては最大級の爆弾を積み、無着陸で往復できる爆撃機が未完成だったことだ。

しかし、ついにそれが完成した。『超要塞』といわれる「ボーイングB29」の登場である。この完成で、B29の搭乗員たちは、酸素マスクを装着することなく、1万メートルの高高度で、最大9トンの爆弾を抱え、最長5200キロを飛ぶことができる。もうアメリカ軍は、マリアナからなら、日本本土の主な都市を、どこでも爆撃し、しかも無着陸で基地に帰ることができるのだ。

 


サイパン島西南西のマリアナ沖海戦は、6月19-20日の両日にわたって展開されたが、日本側は「大鳳」はじめ3隻の空母を失う。アメリカ軍の損害は軽微であった。これで日本は、空母も空母だが、貴重な搭乗員の主力 (=熟練兵士) を喪った。

もうこうなると、サイパンの運命は決したのと同じである。制海権も制空権も持たぬ軍隊はどうしたらよいか。 (日本の場合) もはや「玉砕」以外にないことは誰もが知っていた。

それでも、日本軍の陸上部隊は、20日間の激戦をたたかい抜く。7月6日、斉藤義次陸軍中将、南雲忠一海軍中将らが自決し、残余の兵士は7日と8日に、最後の「バンザイ突撃」で戦死した。

 


しかし、悲惨なのは、信頼した軍人たちに先立たれてしまった2万5000の一般住民の運命である。それでも住民たちは、サイパン島北側のギリギリまで、どうにか辿りつく。アメリカ軍はしきりに呼びかける。住民を死から引きとめようとするのである。

しかし、それに応じるくらいなら、今まで生きてはいない。「投降勧告」をしり目に、用意した手榴弾で自爆する。毒薬を飲む。次々と死んでゆく。「戦陣訓」のさとすとおり、「生きて虜囚 (りょしゅう) の辱めを受けず」の死に方を、軍人ならぬ民間人が忠実に守ったのである。

サイパン島の北端にあるマッピ岬からは、とくに多くの女性が断崖に身を躍らせて自殺した。アメリカ兵の呼びかけをしり目に、次々と身を投げる。中には幼い子どもを抱いたまま身を躍らせる母親もいる。

多くのアメリカ兵、とくに若くして従軍した独身の青年兵たちは、この光景のおそろしさに慟哭した、という。「バンザーイ!」の最後の一声は、のちのちまで彼らの耳に残った。のちに、この場所は、「バンザイ=クリフ(崖)」または「スイサイド(自殺)=クリフ」と呼ばれた。

 


(「戦中用語集/ 三國一郎・著/ 1985年刊」)

-------------------------

 

この本には、「戦陣訓」についての記事も掲載されています。兵士たちの規律を維持するためのマインド・コントロール教訓みたいなものでした。

戦陣訓の8番目に、有名な「名を惜しむ」の項があるのです。

「生きて虜囚 (りょしゅう) の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ(なかれ)」というものです。

これは本来、軍人に向けられた行動規範でしたが、ここサイパンでは、民間人もこの規範に倣って、投降するよりも死を選んだのでした。沖縄の集団自決も、この戦陣訓の行動規範が適用されたんですね。

それにしても、なぜ、軍人に向けられた訓話を、民間人が知っていたんでしょう。なぜ民間人までが、その規範に倣わなければならなかったのでしょう。戦争というのは酷いものです。今なら、化学兵器だの生物兵器だのがあるから、そんなものが使用されたら、民間人はひとたまりもありませんよね。そういう生物兵器だか化学兵器だかは、実際にイラン・イラクあたりのクルド人避難民に対して使われたそうです。写真雑誌で以前、見たことがあって、食事が喉を通りませんでした。

小泉さんやネトウヨさんたちは、特攻で死んでいった若者の死を無駄にするな、と言いますが、わたしは、こういう無名の民間人の犠牲者の死という歴史の事実を無駄にしたくないです。この記録から学び、学んだことにもとづいて判断し、行動しようと決意しています。


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

疲労

2009年05月13日 | 一般



「世情」…。

「金八先生」の第2シリーズで効果的に流された、暗い曲。
でも、いまは、ふたたび、こんな気分。

いえ、これが現実なんでしょう。
「自由からの逃走」。

一時人は、責任と引き換えに、人格の自由、
他者からの人格への支配から自由にされることを求めたが、

神経症的な人はいつの時代にもいるもので、
そういう人たちは、
安心を得るために、
人間の権利を放棄する。



「飛行機の速度=0
なら、飛行機は動かない。
人間の自由=0
なら、人間は罪を犯さない。
それは明白である。
人間を犯罪(あるいは、ほかの人間への恐怖)から救い出す唯一の手段は、
人間を自由から救い出してやることである」。
(「われら」/ ザミャーチン・作)



----------------


「世情」/ 中島みゆき・詞・曲



世の中はいつも変わっているから
頑固者だけが 悲しい思いをする

変わらないものを 何かにたとえて
その度 崩れちゃ そいつのせいにする

 

世の中はとても 臆病な猫だから
他愛のない嘘を いつもついている

包帯のような嘘を 見破ることで
学者は世間を みたような気になる

 


シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

 

----------------



誰も聞かない。
みんな目をそむけて行く。
わたしには名声がないし、「学」もないから。
話せば話すほど、冷笑され、妬まれ、軽蔑される…。


…「それでも、わたしは
今日も、恋の歌、歌ってる…」
(「喝采」/ 吉田旺・詞)

いえ、「それでもわたしは、今日も日本国憲法の意義を自覚し続ける」。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あの戦争」ではなく、今 (田中優子さんのコラムへの感想)

2009年05月02日 | 一般

※ヤフーの方に書いた記事ですが、Gooブログ「薔薇、または陽だまりの猫」の管理人さんにほめていただけました。うれしくなっちゃいまして、メンタリティ的な部分を加筆して、ウチのホームグラウンドの方に掲載しておくことにしました。ヤフーブログは本文5000字に制限されていますのでね。オーバーしちゃいましたから。



----------------------




高校二年生になると、こんな授業を受けます。

「地面の上でボールを投げるのよりは、走っている電車の中で、進行方向に向かってボールを投げるほうが、速さは大きい」。(電車の速度)+(ボールの速度)となるからです。

国を愛するのはしごく当然です。わたしにも愛国心はあります。日本にはアメリカと違って、他者を包含していこうとする農耕民族的公共心が強い。アメリカのように容赦ない競争をよしとはしない包容力があったのです。わたしはそんな日本の心性をこよなく愛しています。

しかし、「愛国心」と「崇拝」という宗教的態度との違いは心得ていますし、その両者を決して取り違えてはならない、ということを重々わきまえています。宗教的愛国心は排他的になるのです。排除の論理を振りかざすようになるのです。なぜなら、そういう「愛国心」と銘打たれた感情は、じつは宗教心だからです。それも仏教的宗教心のように寛容なものではなく、キリスト教、イスラム教的な、一神教の持つ排他的な宗教心です。

その手の宗教心は、ヤバイです。わたしは以前、そういう一神教的聖書カルトの信者でしたから、よーっく分かるのです、今、日本を席巻している「愛国心」という名の宗教のヤバさが。それは自分たちでは「愛国心」のつもりなのですが、実は走っている電車の中でボールを投げているのです。走っている電車、というのはアメリカの新世界戦略です。それは私たちが思っているようなところとはぜんぜん違う方面へわたしたちを連れてゆくのです。

最新号の「金曜日」に、こんなコラムが掲載されていましたので、ご紹介します。



------------------------


「あの戦争」ではなく、今




番組の審査でかんづめになっている。

昨年放送されたTVドラマから、候補作品を五日間、見続けるのだ。優れたドラマは時代を浮き彫りにするから、審査員の会話も盛り上がる。

TBSの「あの戦争は何だったのか・日米開戦と東条英機」についても、賛否両論の議論になった。筆者もさまざま考えたが、それは「あの戦争」ではなく、今の日本についてだった。

ドラマは1941年10月の東条英機内閣成立から12月8日の開戦までを描いている。会議のメンバーの中には、東郷茂徳(しげのり)や石井秋穂や賀屋輿宣(かやおきのり)など、英米との戦争を回避しようとする人々もいたのだが、結局、陸軍と海軍の予算の奪い合いになる。

その基盤には統帥権の独立、つまり軍が政府のコントロールを受けないというシステムがあった。ここだけ取り上げると、統帥権も軍もない今の日本は安全であるような気がする。しかし、防衛庁は防衛省になり、可能な限り予算を確保し、その存在をさらに強固なものにしようとする意志が働いている。

インド洋、イラク、ソマリア派遣から北朝鮮 “飛翔体” 騒ぎまで、すべては防衛省のプレゼンスの主張であり、より多くの国家予算の獲得と権力の拡張へ向かっている。筆者は改めて、防衛省はほんとうに存在していていいのだろうか、と思った。




次にマスコミの働きである。

このドラマでは、「見出しで販売部数を伸ばせ」と言われる新聞記者が登場する。新聞は明らかに人々の戦意をあおった。それは「戦争に向けて煽ってやろう」という意図によるものではなく、単に販売部数(現代のTVの場合では、“視聴率” )を伸ばそうという意図にしか過ぎない。しかしそれが結果的に開戦への世論を生み出した。

興奮したがる人間の心理は内容を問わない (ルナ註: =リテラシーをはたらかせないで、まんま受け止める、のニュアンスもあり)。 スポーツの熱狂と戦争の熱狂は同じなのだ。そういう「熱狂」 (ルナ註:あるいは涙を誘ったり感動を誘う演出による、感情の高揚 ) を煽って、部数と視聴率を稼ぐのがマスコミの市場システムであるなら、それもまた戦争への道である。




徳富蘇峰(* とくとみそほう)に象徴される知識人も同じだ。国民の意志だといいながら戦意をあおり、罪に問われない。人びとを興奮させる(そして面白がらせる)言動は取り上げられ、戦争を回避させようとする冷静な言動は報道されない。いや、そのまえに口をつぐんでしまう。


発言し続けること、発言する人を支えることの重要性を、あらためて考えた。

 

「あの戦争」ではなく、「今」の話である。




(田中優子/ 「『あの戦争』ではなく、今」/ 週刊金曜日09年5月1日号、コラム「風速計」より)



*徳富蘇峰
新聞人、文筆家。1863年(文久3年)1月生、熊本県出身。同志社中退。最初、「平民主義」と称する、上からの近代化に反対する民主的な国家構想を唱えて、言論界をリードしていましたが、日清戦争を機に180度変節。強硬な国家膨張主義論の雄として、大正デモクラシーに徹底抗戦する。アジア・太平洋戦争に向けて、国民の思考を誘導し、国民動員に指導的な役割を果たしました。対米開戦後、1942年に大日本言論報国会会長に就任するに至りました。敗戦後は公職追放されました。1957年(昭和32年)11月死去。小説「不如帰」作者の徳富蘆花(ろか)は実弟。
(「日本史辞典」/ 永原慶二監修)


------------------------

 

愛国心のありようは人によってそれぞれです。しかし愛国心は、過激に表現されると、他人の内心の自由を侵害したり、少数派外国人居留者の子どもを脅したり、行き過ぎた行動に出たりします。競争が激しくなって、脱落していく人が多くなったり、経済が傾き、競争が強調されて排除が強くなり、暮らしに不安が色濃く影を落とすようになったりすると、人は安全を求めて強力な力による統制に頼るようになります。拠るべき「大樹」を望むのです。

その「大樹」の下では、多くの個性を抱えるよりも、均質な人びとだけを抱え込み、異なる個性、異なる性質の人々を排除するようになるのです。ひとえにそれは、同質なものに埋没することが安心感を生むからです。自分という個性に自信を失うので、同質集団に埋没するのです。また集団に埋没すれば、自我を拡大できるのです。むつかしい言い方ですが、「自我の拡大」とは、ちょうど一部のヤンキー君の運転手さんなどが乗用車やトラックを違法な状態にまで飾り立てる時の心性と同様なものです。動物でいえば、ネコが毛を逆立てたり、孔雀が翼を広げたり、など自分を大きく見せる行動に類します。素のままの自分に自信を失ったとき (または自己評価が低くなるよう育てられた人たち) の、ひとつの行動の仕方です。




 

反対に萎縮し、口をつぐんだりする心性は、何よりも安心がほしいので、波風を立てたがらない雰囲気が大勢になる、あえて騒ぎや問題を起こすようなことには手を出したがらない雰囲気になるためだと思われます。みんなからあえて浮いたふるまいはしたくないのです。なぜって、安心がほしいからです。みんなといっしょでいたいからです。 …しかし、そういう事なかれ主義そのことが道を誤まらせるのです。批判が判断の誤りを調整する役割を果たすのに、事なかれ主義はその批判そのものを自ら封じ込めてしまうからです。

日教組が会合を催すとなれば右翼が騒ぐので場所は貸せないという、ジェンダー問題の会議を開くといえば、これまた脅しに近い騒ぎを起こす女教師もいましたが、それで場所は貸せないと言う。子どもの通う学校にまで出かけて「出て行け」とデモを行う、批判的視点で歴史を語ると、国会議員が出張って問題にして脅しかける、そしてそれら脅迫行為に対してだれも止めようとはしないのです。かかわりを持たないように背を向ける。





脅迫に近い圧力行動を起こす人々も、関わらないように背を向ける大衆も、実際に戦争機運を作ろうとしているのではない、ただ単に個人的に納得の行くようにしたいだけなのです。自分の主張を他人に認めさせたいだけなのです。自分たちの言い分に「うん、うん」とうなずいてもらいたいだけなのです。彼らのメンタリティは好戦的なのではない、それどころか問題を解決するための真の闘いから逃げて、内に引きこもってしまっているのです。

彼らは景気のように短い周期で変動するようなものではなく (そういう人たちは、景気の変動のために就職できなかったり、失職したり、リストラの恐怖に押し潰されたりなど、暮らしに不安が重くのしかかってきていて、いても立ってもいられない、早くこんな不安から逃れたいという気持ちでパニック寸前の状態にあるのだと思います)、 自分たちにとって変わらないもの、普遍のもの、大樹のようにでんと座った不動のものを求めているのです。そしてそれを、「日本」や「天皇制」の悠久さに見いだすのです。安心感を求めて、それらの人びとは必死になってナショナリズムを擁護します。一にも二にも、自分を慰撫したいのであって、彼らは決して以前のように外国へ侵略を仕掛けようなどとは思ってはいないのです。

しかし、そんなわたしたちを乗せて走っている “電車” の運転手は、わたしたちの思うところとはまったく異なる意図を抱いているのです。つまり、安心を求めた日本の小市民たち
が頼ったまさにその「日の丸国家」という親方自身が、アメリカの「パシリ」でしかないのだとしたら、否応なくアメリカの戦略に組み込まれてゆく、ということです。 (こちらのニュースを参照してください) アメリカは決して平和的でやさしい顔つきの国ではありません。市場を拡大するためなら迷わず軍隊を送り込む国なのです。

 



不安なときこそ、パニックに陥ってはならない。不安なときこそ、変わらないものを求めるのではなく、不安を引き起こした要素を変えてゆこうとするべきなのです。不安なときこそ、大胆に変化させるべきチャンスなのです。だからいまこそ、「興奮させる、面白い言説」に乗るのではなく、「緊張を回避させようとする冷静な言説」に耳を傾けるときなのです。逃げることは問題の解決にはならない、いえ、逃げている間はいつまでも追いかけられるのです。いまこそ、背を向けている問題に向き直るときです。この問題は、倒すのでなければ決して乗り越えられない。そう、変わらないものを探すのではなく、変化させるのです。根本的な変化にこそ活路があるのです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「外国人追い出しデモ反対行動」救援会の声明、転載します

2009年05月02日 | 一般
 「外国人追い出しデモ反対行動」救援会の声明文を転載いたします。


 埼玉県蕨市で行われた、「在日特権を許さない市民の会」によるカルデロンのり子さんの通う中学校への脅迫的デモンストレーションに、心底憤りを覚えました。あんなことをすれば反感を買うだけです。


 ところが警察は黙って見過ごしたみたいです。信じられない事態です。経済が逼迫したときには外国人排斥の空気が高まる、歴史が明らかにしている通りです。安全な時期には分かっていても、昨今のように自分の暮らしに不安がまとわりつくようになると、少数者に攻撃の牙を剥く。野蛮な人たちだと思います。警察は逮捕する人を間違えているんじゃないかと言いたいです。







救援会声明

「排外主義扇動を終らせることを求めて逮捕された二人を救援しよう」

4月11日、外国人「追い出しデモ」に抗議した二人の男性が埼玉県警蕨署に逮捕される事件が起きました。ひとりは「追い出しデモ」の主催者が掲げていた紙製の横断幕を「盗んだ」容疑で、もうひとりはそのおよそ3時間後、公務執行妨害容疑での逮捕でした。彼らの友人として、私たちは両名の救援を呼びかけるとともに、彼らの行動の意義と逮捕の不当性を訴え、埼玉県警に即時釈放を求めます。

この日、外国人「追い出しデモ」を主催したのは、「在日特権を許さない市民の会」という右翼団体でした。彼らはこれまであちらこちらで「外国人=犯罪者」という扇動を続けてきた団体です。彼らはあたり前に地域と関係を作り暮らしている外国籍の人々を「犯罪者」扱いして、国外への追放を求める活動を続けています。そのあげく彼らは個人攻撃を開始し、長期に地域に滞在する一家を「追い出せ」とまで言いだしたのです。

このことをネットなどで知り、当日「在特会」のデモに抗議しようと蕨市外から駅前に40名ほどの個人が集まりました。それぞれの思いは異なるにしても、共通していたのは彼らの煽る排外主義への危機感と、弱い立場にある人を標的にして攻撃する彼らの卑劣さへの怒りでした。

あろうことかこの日のデモコースには、長期滞在の外国人ご一家のお子さんが通っていた小学校と、現在も通っている中学校が含まれていました。そこで彼らが「一家を追放せよ」と叫ぶことは、その一家に対してだけでなく、長期滞在するすべての外国人に対する暴力です。「特権を許さない」と彼らは言います。しかし、彼らが攻撃の標的としたのは、もっともこの社会の特権からは遠い外国人の、しかも子どもです。彼らの言う「国民大行進」は、そのような卑劣かつ卑怯なデモだったのです。

午後1時から「在特会」は「一家の追放」を叫ぶ集会を駅近くの公園で開始しました。その集会の終わりごろになって、公園の入口に彼らが作成した紙製の横断幕が運ばれてきたのです。そこに書かれていたのは「不法入国は犯罪だ。『かわいそう』のペテンにだまされるな」という文字でした。蕨に住む家族を明らかに標的としたこの言葉は言葉の名に値するものではありません。これは地域に住む超過滞在の外国人を攻撃する暴力なのです。「追い出しデモ」への抗議に参加していた彼が行ったのはこの暴力への抵抗でした。警察は当初、彼に「任意同行」を求め、彼もそれに応じました。ところが「在特会」はあろうことか「窃盗」事件として被害届を出し、そのため彼は「窃盗犯」として逮捕されいまなお蕨署に留置されています。

その後、抗議活動に参加した人々の多くは蕨署に集まり、正規の手続きに則って逮捕された人への面会を求めました。ところが蕨警察署はバリケードを築き警察官を配置し、根拠も無く面会を拒みました。それどころか弁護士が身分を提示して面会を求めても1時間以上にわたって面会を拒否し続けたのです。そして突如そこに蕨警察署に先導された右翼が登場しました。彼らは抗議活動に参加した人々に罵声を浴びせかけ、その際に生じた混乱の中で一名が公務執行妨害容疑で逮捕されたのです。

今回の行動については、参加者の間に充分な意思統一がはかれず、抗議行動を呼びかけた側の不手際も多々あったようです。抗議行動を呼びかけた側はその点を十分認識しなければならないと私たちも考えます。しかし、抗議行動が企図した「在特会」への抗議そのものは正当なものだと私たちは考えます。彼らの行ったデモは多くの外国籍で暮らす不安定な法的地位の人々を恐怖にさらす重大な犯罪です。裁かれるべきは彼らです。

一方で、「在特会」が「犯罪者」と叫び排除を求めているのは、この社会で生き、働き、人々と友情関係を結ぶ人々です。ビザがないことはだれを傷つけているわけでも誰を侵害しているわけでもないのです。

生きることは犯罪ではありません。私たちは排外主義扇動を終らせることを求めて逮捕された二人をただちに釈放することを要求します。

2009年4月12日

「外国人追い出しデモ反対行動」救援会

連絡先:oidashihantai@gmail.com



■カンパの御願い■

2名をいちはやく釈放させるために両名の友人が中心となってボランティアで活動しています。差し入れ、面会、弁護士の手配などにお金が必要です。まことに心苦しい限りですが、救援会にカンパを寄せて下さい。よろしくお願いします。

銀行振込 みずほ銀行 早稲田支店 店番068普 2223022 タノ シンイチ





こちらのブログをぜひご覧になってください。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする