国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

ASEANの基本条約である東南アジア友好協力条約(TAC)が東アジア共同体の基本条約になる?

2007年01月14日 | 東南アジア・南アジア・オセアニア
●ASEAN首脳会議が宣言採択、共同体構築5年前倒し (2007年1月13日22時37分 読売新聞)

フィリピン中部のセブで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)の首脳会議は13日、統合強化に向けた最高規範となる「ASEAN憲章」の指針を定めた宣言文書に署名するとともに、「ASEAN共同体」構築の目標年限を5年前倒しして2015年とする方針をうたった首脳宣言を採択し、閉幕した。今後は、加盟各国の代表で構成される高級作業部会に憲章草案を作成させ、今年11月にシンガポールで開かれる次回首脳会議で、憲章を制定する方針を決めた。

 憲章は、指針に従い、これまでの2大原則である「全会一致」「内政不干渉」を見直すほか、多数決による意思決定や、重大な違反を犯した場合の制裁措置などが明記される方針。さらに、憲章に違反した加盟国に対し、一時的な資格停止を科すようにする条項を盛り込むことも検討される。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070113id24.htm



●仏と東ティモール、東南アジア友好協力条約に署名 (2007年1月13日23時29分 読売新聞)

フランスと東ティモールは13日、セブで、東南アジア諸国連合(ASEAN)の基本条約である東南アジア友好協力条約(TAC)に署名した。これにより、同条約の調印国は22か国となる。フランスは西欧では初の調印国で、経済、外交分野でASEANとの関係強化を図る考え。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070113id25.htm







●東南アジア友好協力条約 TAC/ASEANとのパートナーシップ   (2007年1月14日更新)

 1976年2月、インドネシアのバリ島で開催されたASEAN第1回首脳会議で、インドネシア、タイなど当時のASEAN加盟5カ国が「ASEAN協和宣言」(バリ宣言)を採択。「東南アジア友好協力条約」(TAC)に調印。
 その後、ブルネイ、ベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジアがASEAN加盟とともにTACに調印、域外のパプアニューギニアも調印している。
 現在、TACに調印している国は拡大しており、ASEAN10カ国、中国、韓国、日本、モンゴル、ロシア、インド、パキスタン、パプアニューギニア、ニュージーランド、オーストラリア、東ティモール、フランスの22カ国となっている(2007年1月12日現在)。じつに世界人口の5割以上を占める。
 TACは、主権・領土の相互保全、内政不干渉、紛争の平和的解決と武力行使の放棄など、国連憲章や東南アジア諸国連合宣言などの精神と原則に従って、東南アジアの政治・安全保障協力の原則を定めた“ASEAN憲法”ともいうべきもの。
 地域の政治的な安定を図るため、1987年の議定書改定でASEAN以外の国の加盟にも道を開き、「ASEAN地域フォーラム」(ARF)などASEANと域外諸国との信頼醸成外交の基軸となった。2002年からは周辺の大国に積極的に加盟を打診。

中印が積極的に加盟

 中国は、2001年11月のブルネイでの第5回ASEAN及び日中韓首脳会談 (10+3)で、朱鎔基首相(当時)がTACへの積極参加を表明し、2003年6月のプノンペンでのASEAN拡大外相会議で加盟を表明。同月28日の全人代常務委で加盟を批准。
 2003年10月7日からバリ島で開催された第9回ASEAN首脳会議で、安全保障を含めた「ASEAN共同体」の実現をうたった「ASEAN協和宣言2」(バリ宣言2)を採択。
 このASEAN会議で10月8日、中国はTACに調印。同時にASEANとの「平和と繁栄のための戦略的パートナーシップに関する共同宣言」に調印。
 なお、インドも中国とともにTACに調印。ロシアが加盟を申請。また、中露両国は、ASEANが推進している「東南アジア非核化」構想にも賛成、非核兵器地帯条約付属議定書への署名の用意を表明している。

 日本はASEANの積極的な呼びかけに対して、当初は米国との同盟関係に支障がでる可能性があるとしてTAC加盟に消極的だったが、中印の積極的な外交の前に方向転換。2003年12月に東京で開かれた日本・ASEAN特別首脳会議でTAC署名を表明。翌2004年7月2日、ジャカルタでのASEAN+3外相会議で調印した。
 また、韓国とロシアは2004年11月、ラオスのビエンチャンでのASEAN首脳会議に際して加盟に調印。2007年1月にはフィリピンのセブでのASEAN首脳会議に際してフランスと東ティモールが調印。フランスは欧州として初めてとなる。
http://www.panda-mag.net/keyword/ta/tac.htm





●現代フランスの海外領土
現在のフランスには4海外県、3海外領土、その他の領土が残されている。これらの海外領土のなかでもグアドループやニューカレドニアなどには独立の動きがないわけではない。

海外県
マルティニク(カリブ海)
グアドループ(カリブ海)
レユニオン(インド洋)
仏領ギアナ(南米大陸北部)

海外領土
フランス領ポリネシア(南太平洋東部)
ニューカレドニア(南太平洋西部)
ウォリス・フツナ (南太平洋中部)

その他

マイヨット島(インド洋西部)
サン・ピエール島とミクロン島(北大西洋西部)





ニューカレドニア - Wikipedia

先住民は1960年代以降政党を組んで権利主張と独立運動、先住民文化復興活動などを始め、ニューカレドニアは1986年以来、国連の非独立地域リスト(United Nations list of Non-Self-Governing Territories)に掲載されている。このリストには近隣の島国であるアメリカ領サモア、イギリス領フォークランド諸島、ニュージーランド領トケラウなどが含まれている。(一方でチベット、インドネシア領パプア、スコットランドなどは記載されていない政治的バイアスのかかったリストだとの批判もある。)

1985年、先住民文化復興活動の先頭に立っていたジャン=マリー・チバウ率いる社会主義カナック民族解放戦線(Front de Libération Nationale Kanak Socialiste、FLNKS)は独立への扇動を行った。ジャン=マリー・チバウらは独立国家「カナキー」の樹立を主張した。FLNKS指導者の暗殺に端を発してカナックによる暴動が始まり拡大し、ニューカレドニア全土に非常事態宣言が出される事態となった。特に1988年4月22日、独立過激派が27人のフランス国家憲兵隊員と1人の裁判官を人質にとってロワイヨテ諸島のウヴェア島の洞窟に監禁し、4人を殺害した事件が最大の危機となった。この事件は5月、海軍特殊部隊、GIGN、EPIGNなどによる突入で過激派を殺害することで解決したが、特殊部隊側にも犠牲者が出た。

動乱の中、フランス政府は1987年に約束どおり住民投票を行い、翌1988年にマティニョン合意が成立し自治拡大が約束された。合意を結んだジャン=マリー・チバウは独立過激派により1989年に暗殺されてしまいFLNKSは混乱に陥っている。

この後も自治への運動や協議が行われ、1998年にはヌーメア協定が結ばれた。この協定では住民への権限譲渡プロセスを「不可逆なもの」と位置づけ、フランス市民権とは別の「ニューカレドニア市民権」を導入すること、ニューカレドニアのアイデンティティを表す公的なシンボル(ニューカレドニア「国旗」など)をフランス国旗とは別に制定すること、フランス政府がニューカレドニア特別共同体に段階的に権限を譲渡し、最終的には外交、国防、司法権、通貨発行以外の権限はニューカレドニアに全面的に譲渡されること、2014年から2018年のいつかの時点で独立かフランス残留かの住民投票を行うこと、などが定められた。









【私のコメント】
欧州統合が英仏独の三大国に挟まれた小国であるベネルクス三国の関税同盟(1944年)から始まったように、アジアの統合も日本・中国・インドの三大国に挟まれた小国(インドネシアに様に人口の多い国もあるが)である東南アジア諸国の統合から始まりつつある。アセアンサミットは明らかに近未来の東アジア共同体への移行を念頭に置いていると思われる。

欧州統合がキリスト教・コーカソイド・先進国という共通した特徴を持つ国に原則として限られるのとは対照的に、アセアン諸国はシンガポールからカンボジア・ミャンマーまでの極端に大きな貧富の格差が特徴である。更に、宗教でもイスラム教・仏教・カトリックの他、少数だがヒンズー教・プロテスタントも信者がいる。欧州統合とは対照的なアジア統合の多様性を象徴していると言えるだろう。逆に言うと、アセアンの統合が成立することは、同様の多様性を持つ日本・中国・インド・オーストラリア等を含めた東アジア共同体の成立の必要条件であるだけでなく、十分条件でもあるのだろう。

今回のアセアンサミットで注目されるのは、欧州連合諸国としては初めてフランスが東南アジア友好協力条約に署名したことである。これは、南太平洋のニューカレドニア、タヒチやインド洋のレユニオン島などの海外領土の安全保障・発展・振興を目指した動きと考えられる。白人系国家としては、オーストラリア・ニュージーランドのアングロサクソン系二カ国、ロシアに続いて四カ国目である。

フランスは第二次大戦前は西アフリカ・インドシナ・シリアなどの多数の植民地を保有していたが、戦後に急速にそれらを整理・独立させている。現在残っている主要な海外領土はカリブ海周辺、北西大西洋、インド洋、南太平洋などで、ほとんどが島嶼である(唯一の大陸の海外領である仏領ギアナも、内陸部は人口の少ない熱帯ジャングルであり、事実上島嶼に等しい)。領土防衛に陸軍が必要な植民地だけを手放ていることになる。この点で、フランスの第二次大戦後の植民地政策は、植民地を全て放棄した大日本帝国、あるいは旧植民地の殆どを独立させた大英帝国と同じ方向であると言える。言い換えれば、日本・イギリス・フランスは第二次大戦後にシーパワー・ランドパワー混合国家からほぼ純粋なシーパワー(英仏の欧州内の陸軍力を除く)に変身したとも言える。多数のフランス系移民の引き揚げを伴ったアルジェリアの独立は、満州からの日本人移民引き揚げ、あるいは東欧からのドイツ人の引き揚げと同様の意味合いを持つと思われる。

イギリスが現在保有する海外領土もフランスと同様に島嶼が多いが、ジブラルタル・ケイマン・バミューダ・セントヘレナ・アセンション・ディエゴガルシアなどの人口の非常に少ない軍事的要地に集中している傾向がある。地政学的要地の島嶼でも、キプロス・マルタ・シンガポールなどのやや人口の多い地域は独立させている点がフランスとの違いである。従って、地域経済の振興目的にイギリスが将来東南アジア友好協力条約に加盟することはないだろう。アングロサクソン勢力はオーストラリアとニュージーランドの二カ国+シンガポールを拠点に東アジア共同体内部で活動すると思われる。そして、独仏露等の欧州大陸諸国はニューカレドニアやロシア極東などの拠点からそれに対抗していくことだろう。

先住民の独立運動のあるニューカレドニアをフランスが自国領土に留めているのは、その鉱物資源の価値、西太平洋の拠点としての価値によると思われる。ニューカレドニアの独立運動も、フランスと敵対する国際金融資本・英国連合が煽ったものかもしれず、国際金融資本の敗北と共に今後沈静化するかもしれない。
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