京都 岩屋寺といえば、大石内蔵助と赤穂四十七士。
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)切腹、赤穂城明け渡しの後、大石内蔵助は親戚を頼って、山科の地に身を寄せたそうです。
それがここ、岩屋寺の門前。
その境内下段から石段を登り切り、山門をくぐると、すぐ右手に小さな池と祠(ほこら)があります。
寺の周りで見た染井吉野は満開でしたが、岩屋寺の山門にかかる枝垂桜は散り急いでいて、その祠の周囲も花びらでいっぱいに。
そしてもちろん桜は池の上にも沢山降り注いでいて、水面のあちらこちらに花筏(はないかだ)を作っていました。
川の上ではないので、止まったままの花筏は、時おり風に揺られるだけでしたけれど。
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)切腹、赤穂城明け渡しの後、大石内蔵助は親戚を頼って、山科の地に身を寄せたそうです。
それがここ、岩屋寺の門前。
その境内下段から石段を登り切り、山門をくぐると、すぐ右手に小さな池と祠(ほこら)があります。
寺の周りで見た染井吉野は満開でしたが、岩屋寺の山門にかかる枝垂桜は散り急いでいて、その祠の周囲も花びらでいっぱいに。
そしてもちろん桜は池の上にも沢山降り注いでいて、水面のあちらこちらに花筏(はないかだ)を作っていました。
川の上ではないので、止まったままの花筏は、時おり風に揺られるだけでしたけれど。