4月に入るとテレビ新聞のニュースでは、新入社員の入社式や、大学をはじめ各学校、幼保育園等の新入学の様子が、大きく報道されています。一方でこの時期は転勤の時期でもあります。出会いと別れの月とも言えます。私自身は某政府系金融機関に、再雇用も含めて40年近い勤務中に、10回の転勤を経験しております。
サラリーマンに転勤は付き物です。転勤が決まると、決まって周囲の方々から「大変ですね」と言われます。家財道具を一式まとめて、慣れ親しんだ土地をあとにして、見ず知らずの土地に出向いて、生活する訳ですから、確かに大変な苦労を伴うのも事実です。
過日身辺整理をしていたら、転勤のつど持ち歩いた書籍類が段ボール数十箱あり、そのほとんどを燃えるごみの日に出してしまいました。たまたま数冊のノートが目に留まり、開いてみると…「我流欧州見聞録」と題したヨーロッパ研修旅行のレポートと、当時勤務していた青森支店の社内報の綴りが出てきました。その中から「転勤に寄せて」と私自身の転勤に際しての寄稿文を紹介します。なお当時本格的に写真をやっておりませんでしたので、画像が殆どありません。
<思い出をバッグに詰めて新任地へ(平成6年3月中旬の内示、青森支店次長→釧路支店支店長)>
早いもので、あっという間の2年8か月でした。平成3年7月ねぶたばやしが街中に流れる中着任したのが、つい昨日のような気がします。青森で得た貴重な思い出をいくつか綴ってみました。
☆着任早々東北弁のカウンターパンチ
着任前の恐れが現実になった。いきなり地元出身のA課長が「次長(私の事)、〇#〇×☆×☆☆#……?」ときた。「ん???」一体彼は何を言わんとしているのか、「A課長よ、英語に翻訳してしゃべってくれ!」と思ったほどである。
<津軽弁と南部弁>
正確には、A課長は青森市の隣町の東北町出身であり、南部弁です。一方地元採用の職員(女子職員、用務員ほか)は、津軽弁です。両者にはかなりの差異があるらしいのですが、道産子の私にはどちらも同じに聞こえます。
両者ともに口を大きく開けてしゃべらず、ほぼ閉じたまま発音するので、声がくぐもって極めて聞き取りにくいのです。
なお、支店内の女子職員は地元採用ですが、業務室内では標準語で話しかけてくれるので、なんの支障もありません。ただ昼食時など食堂での女性同士の話では…何を話しているのか全く聞き取れませんでした。
笑い話として、地元の方は「おら~、バイリンガルだ。標準語と津軽弁、両方話せるド」 言いって笑わせます。
☆ねぶたは日本一の祭りだ
テレビや話には聞いていたものの、着任早々現物を見てそのスケールの大きさ、勇壮な姿に、ただただ驚くばかり。数千人のハネトが乱舞する様は、まさに日本一の祭りと実感しました。
一つのねぶたに約1000人近いのハネト(踊り子)が付きます。ねぶたの製作関連団体企業ごとに笛を持ったリーダーがおり、行進中にリーダ
ーが笛を吹くと、グループのハネトがあちこちで踊り始めます。音楽に合わせて一斉に踊ると言う訳ではありません。
ねぶたの起源は諸説ありますが、征夷大将軍の坂上田村麻呂が蝦夷をおびき出すために演じたのがルーツとも言われています。
☆ゲレンデでは味わえぬ山スキー
今日は休日。寮の3Fから岩木山が青空の中にくっきり見える。それっとばかりにスキーを車に積んで岩木山にまっしぐら。圧雪車に載って八合目まで登る。真っ青な空、真っ白な雪原、一直線に滑り降りる醍醐味は、ゲレンデスキーでは味わえなものだ。すっかり岩木山、八甲田山の山スキーの魅力に取りつかれてしまった。
八甲田山をバックに、山スキーに行く途中ではないのですが…、車は地元出身のK課長の外車サーブです。この車にスキーを積み込んでよく行きました。
山スキーではありませんが、鰺ヶ沢のスキー場です。当時青森支店と弘前支店の有志がよくこのスキー場で一緒に滑りました。
☆温泉はいいもんだ~
休日の朝は、起きると同時に車に飛び乗る。今日は草笛温泉か、ラッコ温泉か、どこへ行こう。外山温泉に行ってみよう。街中とは思えぬほどひなびた温泉だ。朝の光がお湯に反射いてまぶしい。おお~、女湯とは湯船がつながっている。視線を低くすれば…残念客は誰もいない。
とにかく、楽しい思い出がびっしり詰まったバッグを持って、新任地へ赴任します(終わり)