紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

小樽懐かしのシーン~その1

2013-05-04 06:00:00 | 写真
4月10日付のブログで、新しいスキャナー(CanoScan9600FMark2)を購入したことをご紹介しました。その後精力的に古いネガフィルムを取り込んでおります。とはいえ、フィルム自体膨大な量があって、ミニアルバムとフィルムを照合しながら、取捨選択して取り込んでおります。ネガフィルムとポジフィルム、さらに学生時代のフィルム等を合わせると、3000~3500本、約10万カットを超えると思われます。フィルムに整理番号を討ち始めた平成10年ごろのフィルムから取り込んでいますが、いまだ4分の1も進んでいない状況です。

デジタルデータ化を進めていると、今はもう見られない懐かしいシーンがたくさん出てきます。そこで今回は小樽市内に限っていまはもう見られないシーンを再現してみたいと思います。皆さんにとっても懐かしのシーンが出てくるのではないでしょうか。


(1) 奥沢水源地

大正3年から小樽の水道水の水源として使われてきた奥沢ダム(水源地)も、堰堤に陥没が見つかり、平成23年8月をもってダムの廃止が決まりました。平成22年までは毎年6月の水道週間に限って立ち入りが認められていましたが、現在は立ち入り禁止措置が取られています。私がはじめてカメラを持って入ったのが平成10年6月でした。その時は偶然か、カモメがたくさん橋に止まっておりました。その後何度か家族で訪れましたが、平成18年6月に訪れたときには、鉄橋の上部にカモメ除けのピンが建てられてしまいました。


平成10年6月3日撮影。以下同じ。ダム中央の取水塔に至る鉄橋の上部に、カモメが鈴なり。H12年10月日本水道新聞「水の写真コンテスト」佳作「新緑の水源地」


橋の下をくぐってカモメが一羽着水。この画像は、小樽市民協議会「小樽カレンダー2001年」入選「水源地」しました。


と同時に鉄橋に止まっていたカモメも飛び出した。


(2) 小樽商科大学

私の母校ですが、伊藤整も小林多喜二も学んだというこのグリーンの学舎は、老朽化が進み鉄筋コンクリートの近代的な校舎に変わってしまいました。一部に歴史あるこのグリーンの校舎を保存すべきという声も出ましたが、たいした広がりも見せず、あえなく解体されてしまいました。学生時代は車の免許が取りたいという一心で、自動車部に入りました。当時の部にはまともに走る車は一台のみで、あとは車検なしのおんぼろ車が1台のみ。警察署にお願いして、車検なしで、旭展望台の道路を通りグランドまで運転したものでした。おおらかな時代でした。


このグリーンの校舎=小樽商大というイメージが強く、この校舎がなくなって母校が消えたという思いが強い。撮影はすべて昭和39年ころ。


部車で旭展望台へ。当時は周囲に木々がなく、見晴らしがよかった。


偶然緑陵高校(現小樽商業)の女子生徒がスケッチに来ていた。


(3) 小樽駅前の歩道橋(長崎屋と国際ホテルを結ぶ)

この歩道橋がいつ頃造られたものか知りませんが、写真撮影には大変ありがたい歩道橋でした。ここから小樽駅に向けてカメラを構え長時間露光で車の光跡をよく撮りました。また海側に向かっては、第3埠頭の右側15番バースに着岸する大型船が見られます。ただ通常は16番バースに着岸しますので、年に一度見られるかどうかですが…


平成10年12月撮影。中央通り拡張前。


平成16年4月撮影。中央通り拡張後。


平成20年3月撮影。歩道橋を直接撮影した画像がないので、影の画像で代用。国際ホテルが工事中で、歩道橋は一部取り壊されています。この後全面撤去されました。


(4) 花園レインボータウン(現花園銀座街)

第2大通り花園町の信号からサンモール一番街までを、今は花園銀座商店街と称しております。かつて平成10年ころには、この通りをレインボータウンと呼んでいたことをご存知の方も多いと思われます。夜間街路灯の点くころには、七色の照明(実際は赤、青、緑等数色)が商店街を照らしておりました。しかし、いつしかその七色の照明も取り払われ、普通の街路灯にとってかわられました。


平成11年3月撮影。当時は車道は2車線で対面通行でした。とはいえ両側に駐車中の車両が多く、通りにくい道路でした。右端にDPE店フォート商会の看板が見えますが、時代の流れでしょうか、2年ほど前に閉店しました。


現在よりも照明も多く点いていて、にぎやかだったような気がします。


(5) 小樽中央市場のガンガン屋台

平成13年の「小樽雪あかりの路」のイベント期間中に、中央市場内でガンガン屋台なるオープン形式の屋台飲み屋が出来ました。市場内に簡易テーブルを作り、一斗缶を逆さまにして座布団を敷き椅子としました。市場内で酒とつまみや惣菜とうの肴を調達して飲むというものでした。当初はイベント期間限定の飲み屋でしたが、好評で通年営業となりました。これが評判となり後年「小樽屋台村レンガ横丁(サンモール一番街)」や「小樽出抜き小路(運河浅草橋筋向い)」が出店するきっかけともなりました。しかし本家本元のガンガン屋台も、市場の衰退に歯止めがかからず、いつしかガンガン部隊(ブリキ缶を背負った行商人たち、昭和30年代に活躍)の写真とイラストが残っただけとなりました。


昭和30年代竹籠やブリキのカンに魚等の食料品を詰めて、小樽駅から各地に行商に出かけたご婦人方。中央カラーは人形で、セピアカラーは往時の風景写真。


画面左は、往時の風景イラスト。


簡易テーブルに、ブリキの一斗缶を逆さまにして椅子代わりとしたところからガンガン屋台とも言われている。


(6) 小樽マリーナのイルミネーション

小樽港にマリーナが完成したのは平成2年と言われています。その後第1回雪あかりの路が開催されたのが平成10年です。雪あかりの路に協賛する形でマリーナのイルミネーションが始まりました。始まった年は定かではありませんが、比較的新しく平成16-7年ごろかと思われます。平成23年には燃料費の高騰や経費節減等によって、イルミネーションの取り付けは廃止されました。マリーナのイルミネーションについては、次回でも取り上げます。


平成17年12月撮影。美しい三日月が出ておりました。


波の全くない日で、長時間露光で撮影しました。


マリーナ隣の貯木場。この風景も全く見られなくなりました。


(7) 平磯公園から見る小樽港

平磯公園グランド横の高台は小樽市眺望地点に指定されています。眺望地点は市内に6か所指定されていて(天狗山、毛無山、平磯公園、手宮公園、水天宮、旭展望台)、景観条例によって眺望を妨げる建築物等が規制されています。とはいえ、ここ平磯公園の場合は、かつて小樽港が見渡せていましたが、現在は手前の木々が成長して見渡しにくくなっています。平成9年9月に、米軍の空母「インデペンデンス」が勝納埠頭に入港した折には、全体が見渡せました。このとき築港ヤードは、商業集積マイカル(その後ウイングベイ)がまさに建築中でした。


平成9年9月撮影。中央奥が空母インデペンデンス。手前はマイカルが工事中。


空母出港後の撮影です。


なお、旧小樽運河の画像等については2009年4月10日付ブログ「ちょっとレトロな話~小樽運河今昔」に掲載しております。

小樽思い出のシーン~その2では、主にマイカル・ウイングベイにかかわる画像を中心に取り上げます。


コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする