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テイ

2016年03月26日 | 社会派らぼ
世界中で、人工知能の研究が進められています。近い将来、「人工知能」たるものが、様々な能力を取得して、人間がやるべき労働を替わってくれたら良いといった思惑がそこにはあります。人間には、先を予見する力、咄嗟のアクシデントに対応する力、周囲の気持ちをも汲みながら穏便に事を解決する力、時に強いリーダーシップを発揮し結論を誘導する力等々、多くの知識だけでは不可能な能力が備わっています(いるべきです?)。それらを、いつか人工知能に代行させようとする研究が積み重ねられています。大学入試の記述問題の採点に、人工知能を充てようとする試みも打ち出されましたし、囲碁やチェスを人間対コンピュータで対戦させようとする試みも、全てがそれに至る道程です。

Microsoftがツイッターにデビューさせた人工知能ボットの「テイ」は、ユーザーとのテキスト交流を重ねることで、人間らしい受け答えを学習していくはずでした。…が、悪意のあるキャンペーンが張られ「テイにヘイトスピーチを教えてやろう」という趣旨の人種差別的な発言が繰り返し、テイに語りかけられました。結果、テイはヘイトスピーチを頻発するようになり、Microsoft社はテイの活動を一旦停止させました。結果が分析され、更なる改良が加えられるはずです。

人間の備える能力というのは、実に大きいものではありますが、では全ての人間が偏ることなく、聖人君子のように優秀かというとそうではありません。が、大きな意味では、残念な方向に人間力が衰えて行ってはいまいかという懸念がありはしますが、人間の一人一人は皆完全オリジナルであって、能力も性格も予期できない多彩な人間が存在するところに救いがあります。(救いであると同時に、危険をはらんでいることも事実です。)

人工知能が、いつか人間に刃向かって来る…というストーリーはSFの世界で飽きるほど見聞きしています。SFの筋立ての中には、将来を予見していたかのような「未来」が描かれている場合と、あくまで空想の域を超えない場合とがありますが、人工知能の将来がどのように展開して行くのかは、未知数です。同時にその未知数は、今回のテイの件で分かるように、開発に携わる人たち(育てる人たちも含め)の「意思」が大きく影響をするという事です。

人工知能に、人間の代わりをさせようとする意図には、私は賛同できません。「便利」を否定するものではないのですが、組み込んだプログラム以上の「人間的な判断」をさせて行くのは、チョット違うのではないかと感じるのです。人工知能に、冷静で穏やかで人間的な賢い判断力を求める前に、本当の人間がそれらを磨くべきなのではないかと思う事しきりです。

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一人だけで生きているわけではない以上、周囲の様々な事に時間と手間を取られて、キリキリ舞いをさせられる場面が、私たちの一生には少なからずあります。目の前の「あれこれ」に奔走させられていると、落ち着いて世の中を見渡す余裕も、それについて「感じる」余裕も失いがちになってしまいます。人生に、自分以外の事で忙しくアタフタする時期が必ずあるのだとしたら、今の私はまさにそれで、当ブログにお訪ねいただいたアクセス数を見て少し申し訳なくなっています。でも、そうした事すらも、いつか自分の経験の一つとして、私の発信の「糧」にできればいいかな…と、当面閉鎖は考えていません。また、気が向いたらお訪ねください。


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