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村上春樹さんのおはなし~物語をめぐって…新聞記事から~

5月6日に京都大学で、村上春樹さんを迎え講演が行われたそうだ。
昨日、偶然、新聞記事で見つけた。
今の自分のもやもやした思いへのヒントを見つけたような気がしたので、
いろいろ引用して、ご紹介したい。

イベントは、河合隼雄財団による「村上春樹 公開インタビュー in 京都 ―魂を観る、魂を書く―」。
「京都大学こころの未来研究センター」のホームページの掲載記事から以下引用します。

「村上春樹氏は前半の講演で、河合隼雄先生との出会いと親交のエピソードを紹介。
「同じ時間と、"物語"を共有できた唯一の人。小説家として暗く深い場所で創作する僕と、
臨床家として患者と共に深い場所へ行く河合先生は、互いに通じ合っていた」と、
異なる分野に身を置く二人が心の交流を重ねていた当時を振り返りました。
(略)
後半には、編集者・評論家の湯川豊氏が聞き手となり、インタビューが行なわれました。
インタビューのなかで大切なテーマとなった"物語"について
村上氏は、「人間は二階建ての家。人が文章を書いたり音楽をつくるのは地下一階。
でも本当の"物語"は、さらに下に抜けた地下二階以下にある」と話し、
人々がそれぞれ持つ物語を相対化しモデルとして提供することが小説家の役割であり、
そこに共感が生まれることで感動のネットワークが生まれる、と話しました。」 

昨日、偶然、毎日新聞で見つけた記事は、
「視点 深い物語が魂をつなぐ」で、著者は論説委員の重里徹也さん。
講演の概要と著者の感想が書かれていたので、
新聞記事から引用します。(リンク先は、ネットの概要版)

「最も印象的だったのは『物語』をめぐる言葉だった。
人間を2階建ての家にたとえるのが村上さんの持論だ。
1階には家族が住んでいて日常生活をしている。
2階では個人に戻って読書したり、音楽を聴いたり、眠ったりする。
地下1階には記憶の残骸が置かれている。

 地下1階からは浅い物語しか生まれない。
さらにその下に闇の深い部屋があって、
そこにこそ本当の人間のドラマがあるというのだ。
魂に響く物語を紡ぐには、この闇に入り、正気で出てこないといけない」

「村上さんは河合さんも同じことをしたという。
カウンセリングを受けにきた人の心の深みに下りて、
魂が抱える物語を見いだした。
自分の物語の紡ぎ方を丸ごと受けとめてくれた人は、
文学関係にはおらず、河合さんだけだったというのだ。

 人間は誰でも自分が主人公の物語を持っている。
大人になるに従って、それは複雑化していく。
読者は小説に書かれた物語を自分の物語と比較すれば、
自分の生き方を問い直すこともできるだろう。
作家と読者の物語が共鳴すると魂がつながる」

「今の社会には多くの『物語』があふれている。
テレビ、ゲームソフト、テーマパーク、人生論や文明論。
それが浅かったり、妄想であったりしては、人を幸せにしないだろう。
物語の質を見きわめる能力が、現代をよりよく生きるには必要なのではないだろうか」

以上、毎日新聞記事からの抜粋です。

ほかにも、今日の読売新聞の「エンターテインメント小説月評」(文化部 佐藤憲一)の
「魂の奥底にあるもの」という記事には、

「物語は人の魂の奥底にあるもの。
それは人の心の一番深い場所にありながら、
人と人とを根元でつなぐことができる」と講演で
村上さんが河合さんに言及し、そう振り返ったと書かれていた。

「その深い井戸の底に連れて行く物語の最たるものがファンタrジー、
それも『指輪物語』『ゲド戦記』に代表される異世界ものだろう」

多分、今、私が見つけたいもの、確かめたいのは、
自分自身の物語、自分の過去から今へとつなぐ物語。
自分の存在意義…。

多分、小説も音楽も同じような気がする。
音楽に物語はないけれど、
聞き手は、歌詞に“物語のかけら”、“物語の切れ端”を感じとる。
“かけら”を膨らますのは聞き手自身。
詩も歌詞も同じ。
そうやって、小説や歌をつうじて、
読者、聞き手は、つくり手と同じ世界に降りていく…。
潜っていく井戸自身はそれぞれに違っても、地底でつながっているように
つくり手と、魂の底でつながるのかもしれない。

だから魅かれる…。

河合さんの影響は私も相当受けて、
ユングやら、いろいろ読みかじった時期がある。
仕事を辞めて、大学に入り直して心理学の勉強をしたいと思い、
実際に臨床心理学を学んで、カウンセラーになった友達に相談してみた。
そうして、自分ながらにわかったことは、
河合さん自身が、どこかで言っていたことだと思うが、
カウンセラーは、自分のこころの世界と、患者さんのこころの世界の両方に足を踏み入れないといけない。
患者さんのこころにまったく足を踏み入れなかったら、解決しないし、
さりとて、両足とも、患者さんの世界にとりこまれてしまっては、治療ができなくなる。

この話を聞いて、多分私は、後者のタイプで、
自分が強くないし、きっと患者さんの世界に入り込んで、帰ってこれなくなるから
無理だと思って、あきらめた覚えがある。
ふと思い出した。この時も、東京の友達に電話をかけて相談した場所は
明確に思い出せないけれど、電話したことだけは、明快に記憶している。
不思議だ。

村上さんが、2階建ての家にたとえるというくだりが、
記事によって、
地下1階や地上に何があるのかが異なったのも、
断定しなかったせいかもしれず、おもしろいと思う。

参考:デイリースポーツでの講演の紹介記事(かなり詳しめ)

まだまだ当分さまよってみよう。

 

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