噛みつき評論 ブログ版

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反対できない自殺

2010-01-28 09:58:12 | Weblog
『19日午後3時5分頃、静岡県西伊豆町安良里の黄金崎公園展望台近くで、海に面した斜面の手すりの外側に60~70歳くらいとみられる男性がしゃがみ込んでいるのを観光客が見つけた。

 通報で駆けつけた松崎署員や町役場職員らに対し、男性は「がんの痛みが続いて耐えられない。死にたい」などと自殺をほのめかしたため、同署員ら約30人がかりで説得。

 「生きていればいいことがある」などと言葉をかけ続けたが、男性は午後8時10分頃、「ごめんなさい」と言い残して約30メートル下のがけ下に身を投げた。

 漁船が出て、約1時間半後に岩場で倒れていた男性を収容したが、全身を強く打ってすでに死亡していた。』(2010年1月20日11時37分 読売新聞)

 なんとも痛ましいことですが、いろいろと考えさせられる事件です。この記事を見る限り、男性の行動には合理性があると私は思います。痛みに耐えてまで余命を生きながらえる理由が思いあたらないからです。投身の恐怖は大変なものだと思いますが、それを超えさせたのは耐え難いほどの痛みであったと考えると、まことに悲惨なことです。

 「生きていればいいことがある」と説得したそうですが、この言葉はずいぶん白々しいものに感じます。恐らくこの場で自殺を思いとどませるような説得力のある言葉はないでしょう。このような言葉しかないことは自殺を思いとどまらせる強い根拠がないことを示しています。

 逆に、もし親切な人が男性に同情して、何らかの手助けをすればその人は罪に問われることになります。もし飛び降りても不幸にして男性が死に切れなかった場合、病院へ運び救命することが正しいこととされ、男性の意思が考慮されることはありません。

 森鴎外は作品「高瀬舟」で、病を苦に自殺を企てた弟が死に切れず、苦しみながら懇願するのを断りきれずに手助けして罪に問われた男を描き、この問題を提起しました。古くからあるテーマですが、法の立場は基本的に変わっていません。

 飛び降りという恐怖に満ちた無残な死に方ではなく、もっと穏やかな苦痛のない死に方をこの男性に提供できたら、と思う人は少なくないでしょう。しかしそれはなかなか公言できません。合法的な方法がないこともありますが、命を守ることが何よりも大切だという単純な綺麗事が支配しているからでしょう。

 この事件は特殊な事例ではなく、誰でもこのような状況に置かれる可能性があります。しかしたいていは病院のベッドで、自らの意思を実行したくてもかないません。つまり自分の生命は自らが決めるという決定権がないわけです。決定権を強行するには元気なうちに手荒な方法を使わざるを得ませんが、蛮勇が必要です。

 医師による安楽死事件が起きると、マスコミはそのときだけ騒ぎますが、すぐ忘れます。この事件は安楽死問題を議論するきっかけになると思うのですが、その気配は全くありません。新聞やテレビの現役記者達にとって死は遠い先の話なので、安楽死など他人事という意識があり、無関心でいられるのでしょう。しかし自分が死にかけたときになってから慌てても手遅れです。

 現在、自分の最期を自ら決めたい場合、自殺幇助が認められているスイスへの自殺ツアーに参加する方法がありますが、面倒な上に費用が必要です(ローンはちょっと無理ですね、帰ってこないのですから)。

 自分のときは切実な問題になります。もっと安楽死問題、自己決定権の問題が議論されてもよいでしょう。悪用される危険があるなどの反対論もあるようですが、オランダやベルギーは合法化されており、現実的な選択です。また日本が「東洋のスイス」となることもできるでしょう。


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5 コメント

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Unknown (放置医)
2010-01-28 11:59:00
あくまでも一般論ですが、様々な手段(鎮痛薬、神経ブロック、放射線など)である程度疼痛を軽減する事は可能です。この数年でも鎮痛のテクニックは明らかに進歩しています。また、癌に併発することのある鬱病についても多くの癌治療医が注意を払うようになってきています。
限定した条件下での積極的安楽死は合法化されるべきと考えますが、冷徹な判断に基づいているとはとても思えませんので「決定権を強行」出来るほど元気な人は自殺しなくても良いのになと思います。
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Unknown (フラット)
2010-01-28 12:51:41
 「自殺者は地獄に堕ちる」「教会は自殺者の葬儀を執り行わない」等の「決まり」により欧米人は自殺しづらい宗教観に支配されています。にもかかわらず欧州での安楽死容認国の存在は法律上の政教分離が機能している賜物でしょうか。
 米国では高額医療費が払えず破産する中流層が増えているそうです(「貧困大国アメリカ」だったかな?という本に書いてありました)。しかし自殺を選ぶよりは品質を下げた医療を選択するようです。それでも痛みは世界中の人々に平等の与えられるものですから本件のような悲劇の可能性は米国にも当然あるのでしょう。

 結局なにが言いたいのか考えがまとまらないのですが……宗教や道徳を超えてでも望む強い願望を持って自死を選ぶならば、その意志は尊重されるべきと思います。特に身よりのない人には認めるべきです。ただし、ビジネス化にはかなりの抵抗感があります。
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Unknown (okada)
2010-01-28 14:11:20
放置医さん
疼痛や呼吸困難などから解放されるようになってほしいと思います。
『「決定権を強行」出来るほど元気な人は自殺しなくても良いのになと思います』
おっしゃる通りです。また元気なうちに断定的な判断をすることは困難です。そして実行できる期間を逃してしまうと決定権を失うことが問題です。
合法化には安定した妥当な判断かどうかを確認する慎重な手続きが必要ですね。
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Unknown (okada)
2010-01-28 14:22:04
フラットさん
宗教上の制約を超えて安楽死容認国が欧州に広がる理由のひとつは自己決定権に対する要求が強いためではないかと想像します。
04年のスペイン映画「海を飛ぶ夢」は正面からこの問題を扱ったものですが自己決定権がよく登場したように記憶しています。
「当社の安楽死システムは天にも昇る気持ちで・・・」これはちょっと問題があるでしょうか。
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Unknown (放置医)
2010-02-01 16:39:53
管理人様
いつもはROMのみなのですが、自分の仕事内容に関わってくるところでもありつたないコメントをしてしまいました。神経疾患や筋疾患のように進行性・不可逆性の疾患のケースもありますので、生死も含めて自分の事は自分で決めるということが認められて良いと思います。
管理人様の御懸念には一応リビングウィルがあるということが答えになるかとは思うのですが、実際には家族の方から色々言われると患者さん自身の希望に添いきれなくなってしまう様な場合もままあり、実効性については法的な裏付けが得られる様な仕組みが必要です。
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