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赤福に行列、白い恋人の石屋製菓フル生産…これをどう理解しますか

2008-02-11 10:46:16 | Weblog
 『復活「赤福」に行列 ノー天気にもほどがある』
 週刊朝日2月22日号の見出しです。見出しは、まだ懲りずに赤福を買い求める客にあきれ、批判しているようです。この記事の筆者は、客が偽装をもっと深刻に受け止め、赤福がみんなに見放されてしまうことを期待していたのでしょうか。

 一方、2月7日の日経の春秋は次のように書いています。
『伊勢神宮の参拝客に合わせ、内宮前の本店を開いたのは日の出前の午前5時。その時点で寒空に300人以上が列を作り、開店すると拍手も起きたそうだ。石屋製菓も昨年11月22日の販売再開以来、1日50万枚のフル生産をしてなお追いつかぬ売れ行きという。げに神様ならぬお客様とはありがたいものだ。
 「土産の定番」のブランドに安住し、消費者の信頼を裏切った2社を、神様は1度だけ大目に見たのかもしれない。もちろん、次の過ちは許されない。』

 週刊朝日の見出しは、食品偽装を全く許せない悪事として厳格な報道してきたことの当然の帰結と言ってもよいでしょう。日経の春秋はそれに比べるとやや寛大です。

 しかし私は別の解釈をしています。一部の消費者は、赤福や石屋製菓の偽装は安全性に不安はなく、騒ぐほどのものではないと考えていたのではないでしょうか。開店時に拍手となると、過大なバッシングをむしろ気の毒に思っていたのではないかと思います。

 マスメディアが描く世界では食品偽装は大変危険な悪事でありました。それが社会一般の認識だと見誤られてきたのではないでしょうか。週刊朝日の記事はそれを最も誤認した例だと思われます。

 マスメディアは記事をより多く売るため、その衝撃度を増すことに腐心するという属性を備えています。無視できるような危険も巨大に見せるのが商売です。ダイオキシン、環境ホルモン、電磁波、いづれも不安だけばら撒いて、いつの間にか過去のものになりました。後始末は聞きません。

 同様に、僅かな違反行為を重大に見せるために、可能な限り基準を厳格なものに見せるのも彼らの手口です。そうすることによって非難のパワーを上げるわけです。これらの動機の根っこにあるものは売らんかなの商業主義だと言ってもよいでしょう。

 視聴率を上げたいため、雑誌や新聞の販売を伸ばしたいためという理由のために、社会が生産者にとってより厳格な方向に向かうことに危惧を感じます。

 食品でも医療でも、他の産業でもサービスや生産物の提供側は少数側であり、多数側は常に消費者・患者です。マスメディアは常に多数側の味方につきます。消費者・患者はたとえ間違っていてもマスメディアから非難を受けることはありません。マスメディアは多数の消費者を「客」としているからでしょう。

 しかし消費者の多くは生産者・サービス提供者でもあります。生産者への品質やサービスに対する過剰な要求は多くの消費者自身にはね返ります。それは緊張を強いられる苛酷な労働の原因のひとつになるでしょう。まあ、働かず、消費だけの人には住みやすい世になるかもしれませんけどね。


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