噛みつき評論 ブログ版

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市長のブログ騒動

2009-12-24 10:58:13 | Weblog
 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長がブログで語ったことが問題になっています。引用され、障害者への差別だと指摘されている部分は以下のところです。
「高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている」「結果、養護施設に行く子供が増えてしまった」

 ここだけ読むとたしかに問題ある表現です。朝日、読売などが批判的に取り上げ、TBSの朝ズバは手厳しく批判しています。問題の11月8日のブログは修正中で読めませんが、転載されたものなどを読むと、マスコミの批判は理解を欠いた、ずいぶん一方的なものと思います。次のような市長の発言があります。

「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事、というのは間違いだ。個人的な欲でデタラメをするのはもっての外だが、センチメンタリズムで社会を作る責任を果たすことはできない」
「社会的な救済を受けられない人が数多く存在するという世の中の矛盾について、議論を喚起する必要がある」

 高度医療などに多額の費用が使われる一方、必要なのに救済がうけられない人がいることを市長は指摘したかったのでしょう。「命はなによりも尊い」として、例えば植物人間となった患者の延命に多くの費用(社会的資源)をつぎ込みながら、その一方で生活にもこと欠く人たちがいるという矛盾です。

 このような問題をヒューマニズムの観点から批判するのは簡単であり、しかも多くの賛同が得られます。しかしことはそれほど簡単ではありません。社会的資源の配分の問題に突き当たるからです。

 合計特殊出生率が変わらなければ2055年には生産年齢人口1.2人が1人を支えることになると試算されています。現在は3人が1人を支えていますから、この試算どおりにならなくても負担の増加は間違いないでしょう。

 07年度の社会保証給付は91兆円とGDPの約4分の1を占め、年々拡大している現状があります。10年度の一般会計予算案では、社会保障関係費は国債費と地方交付税を除いた一般歳出の5割強を占める最大の支出項目となっています。

 予算の半分以上は借金に頼るものであり、将来の生産年齢層の大きい負担になります。将来の生産年齢層は重い負担の上にさらに前世代のつけまで払わなければならないことになりそうです。

 少し話がそれましたが、「命はなによりも尊い」式の方法は資源配分の問題によっていずれ制約を受けざるを得ないことになると思われます。きれい事では済まない現実的な解決が必要となるでしょう。「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事というのは間違いだ」という発言は現在の形式的な考えに対する批判でしょう。

 市長の発言に対する反応は批判的なものが大部分だそうですが、これはマスコミ報道の当然の反映でしょう。このようにして世論が形成されることは恐ろしいことです。

 障害者を例にとるなど、市長の発言に問題なしとは言えませんが、市長という立場にありながら非難を覚悟の発言は評価できるものです。誰かが言わなければならない問題だと思います。

 きれい事を言うのは簡単です。そういう人は掃いて捨てるほどいるのですが、それには国民負担の増加が伴うことを意識する人はどれだけいるでしょうか。聞こえのよい報道が分不相応な出費を促し、巨額の政府債務を作り上げた一因とも言えるでしょう。


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7 コメント

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Unknown (フラット)
2009-12-24 15:37:06
 小選挙区制に移行してから政治家が人気取りの甘い政策しか口にしなくなり、痛みを伴う思い切った改革が実行不可能になりつつあること。それに伴い政治家自体が小粒化してきたこと。国民若しくは煽動的マスコミがきれい事しか許さない風潮を醸成してしまったこと。テレビでの言論もマイルドな切り口の「知識人」しか出さず、本当に国や社会を憂い直言するような学者や作家の言説はマイナー誌でしかお目にかかれないようになりつつあること。
 上記のような事象が複合して現代の言論封殺社会が構築されたのではないかと推察します。

 阿久根市長のブログは残念ながらみたことがありませんが、マスコミは全文掲載の上で批判すべきです。ワタシの大嫌いな政治家の一人に森元首相がいますが、彼の「日本は神の国」発言もマスコミは前後の発言を端折り、刺激的な部分をつまみ食いしてあのような問題化を成し遂げたのです。
 こういったケースでは卑怯とか不公正とかいうことではなく、自己の主張に合わせたバイアスがかけられていることが問題だと思います。報道を行う側が「主張」を持ち、それに沿った情報の抜き出しや歪曲が行われた場合、それは戦時中の大本営発表となにが異なるのでしょうか? この一点においてほとんどのマスメディアは有罪だと思います。

 共産主義者は平等が大好きです。コミュニストとまではいかずともマスメディアは概ね左傾化しています。NHKなどはその最たる例と言えるでしょう。
 ただいたいが「平等」など絶対にありえないのは誰の目にも明らかでしょう。実際に全ての人間に地位や権威を認めず、完全に横並びの社会でどのようにして治安を維持するのでしょうか。作る人、売る人、消費する人、の中でどれを選ぶのかと問われれば、大多数が消費する人を選択するでしょう。そうして社会は停滞、いえ、衰退していくのは間違いないのではないかと……。
 それでも平等を目指すのは個人の自由ですが、数にまかせて圧力的に他者に平等を押しつける行為がすでに平等ではありません。目指すべきは法のもとの公正な社会でしょう。その法ですら近頃は左傾化したものがちらほら見られます。
 
 なにを基準とすべきか、悩ましい時代です。


 ところで、スゴイ釣り広告的コメントが先着していますね? 一度侵入をゆるすとあとの対応が大変ですよ……まぁ、笑えましたけど(^_^;)
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Unknown (okada)
2009-12-24 17:51:29
フラットさん、今回のコメントは熱が入ってますね。
確かに小選挙制が関係しているかもしれません。次は与謝野馨氏の話の紹介です。

『与謝野馨さんが、「中選挙区制のときは、有権者の15%の心に訴えることを言えば当選できた」と言っていました。つまり自分の信念の本当のところを言えたわけです。それが、小選挙区制で過半数をとろうとすると、より多くの有権者にいい顔をしなければならなくなった。だから、信念をもって自分の政策を語れる人が出にくくなってしまいました』

小選挙区制とマスコミのきれい事、このふたつが衆愚政治を押し進めているようです。

国に面倒を見てもらうのが当然と考える人が増えることが財政赤字につながります。破綻寸前まで、あるいは破綻までいかなくては変わらないでしょう。

釣り広告の言葉にはなかなか創意工夫が見られて面白いですね。
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Unknown (銘無し)
2009-12-24 19:31:07
かつて「人命は星よりも重い」などと馬鹿なことを言ってテロリストに屈した政治家もいましたね。
理想的ではあるけれど、現実ではない。
現実に立ち向かわない政治家は存在する価値が無いと思う次第です。
(勿論理想は大事です)

ブログ騒動は知ってはいましたが、「また揚げ足取りだろう」程度の感覚で、興味を持っていませんでした。
取り上げられた部分を見ると、事実を指摘しただけでしょう。
障害者や高齢者を切り捨てない社会は素晴らしいですが、その社会を維持し続けたいならば、昔より遥かに金がかかるようになっているという事実から目を背けるべきではありません。
社会で何とかすべきならば、皆が少しずつ生活の質を落とすという選択も必要になるでしょう。
(税金を上げると言う事です)
けしからんと叩くだけで、ブログの問いかけについての考察をしないメディアと、無批判にそれらを信じる人たちは、この国を何処に向かわせるのでしょうか。

別に何の考えも無く、叩きやすいところを叩いて鬱憤を晴らしているだけにも見えますが。
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Unknown (okada)
2009-12-24 20:11:42
政治家は配分が仕事ですから切り捨てることも必要です。おっしゃる通り、現実的な解決ができない政治家はダメですね。

高齢化の進行が多少緩和されようとも、生活水準の低下は避けられないのはおっしゃる通りでしょう。社会保障給付91兆円のうち7割が高齢者のためです。このまま進むとGDPの半分くらいが社会保障に消える可能性があります。きれい事ではすまないことになるでしょう。

些細なことですが「人命は地球よりも~」であったと思います。重箱の隅をつつくようですみません。
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Unknown (銘無し)
2009-12-25 09:55:00
>些細なことですが「人命は地球よりも~」であったと思います。重箱の隅をつつくようですみません。
いえいえ、御指摘有難うございます。
引用は正しくしないといけませんよね。誤用の多いメディアを責められません(苦)。

障害者対策にしろ高齢者対策にしろ、相応のコストがかかるのですが、そういった話をすると「金の問題ではない!」と言い出す人がいます。(金ではなく心の問題だと言いたいらしい)
良い人…なんでしょうけれど、実行するためにはコストがかかるというところに考えが及ばないのが残念でなりません。
追求すると、「皆で考えれば何とかなる」なんですよね。
「皆で考える」は良いとしても、「皆がやるなら自分もやる」以上の答えは聞けたためしがない。
まぁ「皆がやるなら自分も」でも構わないのですが、だったら無意味な反論はしないで欲しい。
結局、自分が負担を負うのが嫌なだけだろうと。(ある意味当然ですが)
自分が一人でやらずに済ませるためには、社会に広く負担してもらう=コストを税金で賄うとなるんですが。
こういう人と話すのは疲れます。
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Unknown (フラット)
2009-12-25 10:50:08
 終末医療や安楽死の否定も社会資本やコストの浪費ととることができそうですね。ただし、行きすぎると「老いは罪」となりかねず、危険な気配を感じますが……。
 
 税金の分配というか、思い切った政策の立案実行をするにはカリスマ政治家の登場を待たねばまず不可能でしょう。それこそマスコミがその人物を批判すると一般市民がマスコミ批判(糾弾)をするくらいの圧倒的支持を得ているような政治家です。小泉元首相ですら及ばないような、オーラをまとった人物です。皇族以外でそういった国民的アイドルとなれるような可能性を持った人材は今のところどこにも見あたりません。
 であるならば、ここで期待されるような政治的、社会的方針が実現するのは当面望み薄ということでしょうか。なにしろ一票を本当に入れたくなる「政党」がまず持ってないのが歯がゆい。参院選では恐らくアンチ民主党票がある程度は自民党に集まるのでしょうが、自民党ですら「中道右派」化していますからまだ物足りない。中国経済の台頭と米中接近を鑑みるに、今求めるべきははっきりとした保守本流の「右派」政党だと思うのですが……。
 
 あれ? いつの間にか趣旨から外れてますね(汗
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Unknown (Unknown)
2009-12-25 19:49:44
銘無しさん
有名なケネディ大統領の就任演説。
「国が諸君のために、何ができるかを尋ねてはなりません。
諸君が国のために、何ができるかを考えてください。
ケネディがこれを言わなくてはならなかった背景には社会への甘えがあったのでしょうね。コストは自分以外の誰かが負担してくれると。
社会の構成員としての自覚のなさということでしょうが、現在の日本にも通じます。

フラットさん
>行きすぎると「老いは罪」となりかねず、危険な気配を感じますが

その懸念はあると思います。マスコミが一斉に同じ方向に流されるのは抜き難い性格です。財政が行き詰ったとき、老人福祉の無駄な部分ばかり取り上げて、諸悪の根源のような報道をしないとは限りません。
カリスマ政治かも、マスコミが賢くなることも期待薄ですね。
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