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民主主義の不完全さにつけこむメディア

2020-11-15 21:23:12 | マスメディア
 米国大統領選挙は僅差でバイデン氏の勝利となった。大阪都構想も僅差で反対派が勝利した。僅差で勝利ということは票の半分近くは負けた側のもので、死に票になることである。80対20、70対30程度での勝利なら多数決の仕組みも理解できる(他によい方法がないという意味も含めて)が、51対49などの僅差による決定では約半数の意見が否定されるわけで、釈然としないものがある。しかも一般市民・国民の投票となるとその意見はマスメディアの影響を大きく受けるので、実質的にはマスメディアがキャスティングボートを握っているに等しい。

 マスメディアが賢明であれば問題ないのだが、実際は逆である。2009年に民主党政権を誕生させたのがその証である。この時はキャスティングボートというより選挙の主役を演じた。メディアが選挙を左右する度合いは近年高くなっていると思う。新聞だけの時代ならば影響力は限られていたが、テレビが加わることでほとんど支配的な影響力を持つようになった。

 メディアに求められる不偏不党という大原則は死んだも同然である。メディアの集中的な支配を防ぐためにメディア集中排除原則があるが、クロスオーナーシップ規制がなく、現実には朝日新聞とテレ朝というように、新聞とテレビを同一の資本が支配している状況である。朝日がテレ朝を批判するようなことはなく、メディアの集中が起きている。このためメディアの影響力はより強大になり、世論調査や投票行動を左右する。クロスオーナーシップ規制は大事な問題であり、野党が取り上げてもいいと思うが、その気配もない。

 民主主義、そしてその決定手段としての多数決の実情を見ると不完全だらけである。「これが民主主義的だ」といえば逆らえない風潮があるが、少なくとも現実の民主主義は理想として崇めるようなものではない。チャーチルの「民主主義は最悪の政治形態である。これまで試されてきたいかなる政治制度を除けば」を民主主義の礼賛と理解する向きもあるが、恐らく違うだろう。最悪だが、他よりはいくらかマシ、という意味だと思う。民主主義を崇め、現実を軽視した顕著な例は裁判員制度であろう。無作為に選んだ素人6名が最適な判断ができるというおめでたい話である。こんな非現実的な理想主義者が法曹界やマスメディアに多くいることを危惧する。彼らには偽善の匂いすらする。

 米国大統領選挙では、国民投票によって結果が判明しない場合、下院での投票で決定されるという。これはひとつのアイデアである。もう少し広げて、僅差である場合としてもよい。僅差の場合というのは国民の意志が明確に示されたことにはならない。この場合、議員など、別の集団の判断が適切なこともある。一般国民は被暗示性がないとは言えない。つまりメディアの影響を受けやすい。そこで影響を受けにくいと思われる集団の判断を加えるのである。これは単なる思いつきであるがメディアが有権者に影響力を行使し、政治を左右するという現状を変えようという議論が不思議である。選挙制度やメディア集中排除原則を見直そうという動きがあってもよいと思う。メディア集中排除原則を実のあるものにしようとするとメディアの激しい抵抗に遭うのは容易に想像できるが。

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