噛みつき評論 ブログ版

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二極対立の構造

2020-11-08 22:19:46 | マスメディア
 米大統領選挙では僅差でバイデン氏の勝利となったようだ。勝因の一つはマスメディアの大半が民主党に味方したからであろう。民主政治に於いてはマスメディアのあり方を再考する必要があるように思う。しかし共和党支持者と民主党支持者の対立は激化し、国を分断までが懸念された。米国は伝統的に二大政党制であり、それは民主主義政治の理想とも言われた。政治的な対立で熱くなって一部では暴力を伴う混乱にまで発展するとはちょっと理解できない。まるで発展途上国のようである。政治というものは科学と違って一直線に進歩するものではないらしい。

 日本は幸運にも有能な野党が存在しないため、米国のような強い対立は起きない。野党が情けないということにも一つくらい良い点はあるものだ。一度だけ民主党が政権を取ったが、みんな懲り懲りとなってしまった。まあカッカと熱くなりやすいかどうかは民族の特性にも関係があるだろうけれど。

 どの社会でも二つに分かれて対立するということはしばしば起きる。そのために様々な分野で、論争が絶えない。論争があればこそ本や雑誌が売れ、執筆者や出版社も儲かる。マスコミもネタを得て潤うことになる。そして読者・視聴者は退屈をしのげる。ここまではいいことなのであるが、さらに対立が激化して混乱を招けば深刻な事態となることもある。

 対立の原因は本や雑誌、マスコミだけの煽りではない。異論に耳を傾けようとしない我々の性向にも原因がある。自分の考えに一致する言説を読んだり見たりするのは気分がいいものだ。自分の正当性を裏付けられるように感じるからであろう。逆に自分の考えを否定する言説は不愉快になり、読もうとしなくなる。そうするとますます自分の考えが純化され、対立を強める方向に進む。妥当な解は両極の中間にあることが多いが、それはしばしば排除される。

 例えば、経済政策では国債をどんどん発行して景気を良くすべきというリフレ派と財政均衡を重視する財政均衡派との長年の対立がある。おそらく両派とも正しくない。国債発行の最適な範囲は両派の主張の中間にあるのだと思う。その範囲の確定が難しいので両極端の議論になるのだろう。現実的な意味のある議論は適切な国債発行額の範囲にあると思うのだが、それは議論にならない。現実的な意味より議論のための議論が重視されるという奇妙なことが起きる。だからこそ学者・評論家のセンセイ方は食べていけるのだが。

 動物は未知の相手に遭遇した場合、まずそれが敵か味方かを判断しなければならない。我々もそのような特性をもっていると思う。敵でも味方でもないという状態はあまり安定がよくないのではないか。どちらかに決めた方が安心すると思う。こんな特性も対立の構造に関係しているのではないだろうか。黒白をつけたがる人間が多い。子供向けの話は善人と悪人が明確である。大人であっても子供に近い人は黒白が明確な話を好む。

 対立している問題があるとき、両派の主張が極端すぎはしないかと疑ってみるとよい。現実的な最適解は両者の中間にあることが多いのだから。

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