噛みつき評論 ブログ版

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全員が石を投げる国、日本

2021-02-12 22:46:50 | マスメディア
 「国境なき記者団」の発表によると2020年の報道自由度ランキングは対象の180カ国・地域のうち、日本は66位となっている。これはG7中の最下位であり、韓国の42位より下である。日本がこの情けない評価を受けることにはずいぶん違和感があったのだが、今回のメディアの「森バッシング」を見るとそのような側面があるのも仕方がないな、と思えてきた。

 今回の森発言をメディアは「女性蔑視ともとれる発言」と表現しているが、これはそうはとれない場合があるという意味である。森氏の発言のうち、関係のある3つの段落を引用する。これを読むと森氏の発言が女性蔑視だと理解するのはかなり難しい。

「だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起きる)5人います」

「女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局女性っていうのはそういう、あまりいうと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります」

「私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです」

 メディアが取り上げて女性蔑視だと騒いでいるのは第一段落であるが、「ラグビー協会は今までの倍時間がかる」という事実を述べたものである。「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかりますという一般化した表現には少し問題あるが、それは事実として正しいかどうかという問題である。もし女性の長電話のように一般的に会議が長くなる傾向があるのであれば事実なので問題はない。

 第二の段落は「女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらない」と誰かが言ったこと、つまり伝言である。第三の段落は組織委員会における女性への賛辞と受け取れる。女性蔑視とは全く受け取れない。

 これらを読むと森氏へのバッシングは実に根拠の薄いものに見える。発言の内容とバッシングの強さの釣り合いがとれないのである。まるで集団リンチである。メディアが発言の一部を切り取り、騒ぐのいつもの手口であるが、度が過ぎている。この背景にはメディアが森氏を嫌っていた、あるいは野党と左派メディアが政局に利用しようなどの思惑があったとかが考えられるが、国民の多くがそれに乗せられてしまったことが残念である。

 メディアが紹介する有名人、市民の声は森氏非難ばかりである。日本中が森氏を非難しているかのようである。森氏を擁護している声はある筈だが、全く聞こえてこない。残念なのはメディアの有名人に加え、森氏の協力者や部下であった人たちまでがほとんど非難側に回っていることである。IOCですら一旦森氏が発言を撤回したことで収束したと述べたが、一転、強い言葉で非難した。

 メディアが誘導すれば、今回のような僅かな失言でもほとんどすべての国民が敵に回り、反対意見が抑えられるような現象は社会のあり方として恐ろしい。森氏に世話になった人々も擁護をためらい、時流に乗って非難にまわる現象は同調圧力のためでもあるが、自分の身の保身のためであると思う。森氏を擁護すると自身も避難を浴びるかもしれないという配慮なのである。実に見苦しい。モラルの崩壊とも見られる。

 自粛警察のように、強すぎる同調圧力が報道の自由を損なうのだろう。IOCは「多様性を尊重することが基本的な価値である」と言うが僅かな意見の違いをみんなで潰してもいいのか。集団リンチは歴史上しばしば見られる。それは人々の本性、性格に由来する部分があるからだと思う。しかしそのような理不尽な、感情的な動きを抑制するものが教養であると言えるだろう。マスメディアが魔女狩りのように先頭に立って感情的に煽る現象は教養の低さを示していると言えるだろう。日本は女性蔑視の国だと世界から見られのも困るが、日本は文明国にあらず、民度の低い国だと見られる方のはもっと困る。