噛みつき評論 ブログ版

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宗教と共産主義、この厄介な危険物

2019-04-28 21:48:21 | マスメディア
 爆弾テロは罪のない丸腰の一般人を無差別に殺傷する行為である。女子供にも容赦なく行われる。これほど非道で卑怯な行為はどう考えても到底理解できないことだが、テロの実行者にとって、それは正しい行為とされる。イスラム過激派では自爆テロの実行者には天国が約束されていると思わされているそうである。正しいことをして天国へ行けるのであれば志願者は集まる。宗教の力はまことに"偉大"である。スリランカではキリスト教徒が教会で攻撃された。神に祈る場での殺傷被害は神の無力を証明するようなものだが、信仰を捨てることはならないらしい。ある会社が安全保障を請け負った場でこんなことが起きれば、その会社は信用を失うのに。まことに宗教の力は"偉大"である。ただ合理や理屈とは無縁の世界のようであり、理解不能である。

 キリスト教の慈善事業、あるいは宗教によって悩みから解放された例などを見て、宗教はよいものだと考える人は少なくない。これも宗教の一側面であることに間違いはない。だが一方でオウム真理教のように犯罪集団のような宗教、千名近い信者の集団自殺で消滅した人民寺院事件のような有害な宗教もある。また過去には宗教が原因になった戦争は数多くあり、現代でも地域紛争の主要な原因である。被害の大きさでは自然災害を遥かに超えるだろう。人の精神に好ましい影響を与える部分もある反面、巨大な災厄なのである。

 本来、動物には同種内で殺しあうことを避ける仕組みがあるようだ。殺し合いを抑制する機能がなければ種の存続は危うくなる。(かつて、殺し合うのは人間だけだと思われていたが、最近の研究ではチンパンジーにもあることが報告されている。しかしこれはたびたび起きることではないらしい)。だが宗教の力はその抑制を優に超えるようだ。宗教は頭の中を塗り替える、つまり現代風に言えば上書きしてしまう。自爆テロリストは指示通りに動くロボットと化す。人間が人間でなくなると言ってもよい。

 宗教による頭の上書きという仕組みがあるからこそ、戦争でもないのに大量殺戮が起きるのだろう。大量殺戮が起きるもうひとつのケースがある。それは共産主義である。なんでもランキングしたがる人がいるようで、虐殺者ランキングというものがある。あるランキングでは第1位は毛沢東で6000万人、第2位はスターリン2000万人、第3位はヒトラー1100万人、第4位はポルポト300万人とされている。ヒトラーは国家社会主義で、やや色合いが異なるが全体主義であることに変わりなく似ているところも多い。数字には誇張もあるが、ベスト4の内3つまでが共産主義者によるものであることが興味深い。

 大量殺戮は個人の恨みなどによる少数の殺人とは別物と考えるべきである。大量殺戮はそのための組織が必要であり、それを正当化するのは通常の方法ではほぼ不可能である。そのためには洗脳、つまり頭の上書きが必要となる。これを可能にするのが宗教であり、共産主義なのだと思う。大量殺戮を宗教と共産主義が担ってきたのは、双方とも感染力が非常に強いために、大きな広がりが実現し、頭のおかしくなった大集団を生み出すことにある。第二次世界大戦前後に共産圏が世界に広まった事実はその感染力の強さを示している。

 共産主義は、とりわけ現実をよく知らない若者、理想を求める若者にとっては実に魅力的である。一度はその洗礼を受けた人間の方がまともかもしれない。そしてソ連の崩壊を見ずとも、社会や現実を理解するにつれて、共産主義の現実社会に対する適合性に疑問を持つのが普通であろう。しかし一部の頑固者はいつまでも抜け出せない。まあこれも個人なら理解できるが、朝日や毎日のような大組織が抜け出せないことは不可解である。一部の人間は一度信じたものを決して捨てないという構造の頭を持っているのではないかとも思う。9条があれば平和が保たれると信じる連中もそうであろう。周囲に攻撃能力のある国が現れ、環境が変わっても主張は同じである。主張というより固い信念というべきである。社会には生来の頑固者が一定割合存在すると理解すればよいだろうか。

 宗教も共産主義も勧誘の標的を現実を十分理解していない若者にすることが多い。経験を積んだ人間は騙しにくいのである。宗教も共産主義もその本質は人を騙すことにある。騙された結果、どうなるかというとそれはさまざまである。慈善事業をすることにもなり、大量殺人を正しいと思い実行することにもなる。つまり別の人格に変えられると言ってもよい。オウム事件のマインドコントロールはそのよい例である。そうなると彼らは現実を客観的に見ることができなくなる。騙されないための最大の手段は教育である。先進国では教育の充実によって宗教の影響力は徐々に低下しているが、途上国ではイスラムの影響力がむしろ強くなっているようだ。今後も世界の不安定要因であり続けるだろう。

 日本は憲法で信教の自由を保障している。オウム事件の時、警察は腰が引けていたと言われるが、それは「信教の自由」のためだとされる。オウムのような危険な集団でも宗教と名乗れば警察も遠慮するわけである。宗教に対しては性善説の立場であるが、オウムやイスラム過激派の活躍を見ると、現実に合わない。「信教の自由」を保障するどころか、制限するくらいでよいと思う。また共産党に対しては非合法としている国も多い。どちらも大変危険なのである。むろん個人の信教に立ち入ることはよくない。何とかしなければならないのは勧誘などの布教活動であろう。インターネットの普及で、彼らは布教(洗脳)の有力な手段を手にしつつあるのだから。