噛みつき評論 ブログ版

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硬いアタマ

2018-04-08 22:31:55 | マスメディア
 前回、柔らかい頭について書いたので、次は固い頭にしようと思っていたところ、願ってもない「模範例」が登場した。「女性は土俵に上がらないで下さい」と言って、救命より伝統を優先した人物のことである。ご本人にとってはとっさの判断を迫られたことなのでお気の毒な点もあるが、角界の伝統を真面目に守るつもりであったのだろう。その後、土俵に大量の塩をまいたそうだが、恥の上塗りである。BBCは「相撲協会にこそ塩をまくべきだ」との声を紹介している。国際的な話題となったようで、日本は先進国なのかと疑問を持たれるかもしれない。

 以前にも取り上げたが、福島第一原発の事故ではバッテリーが間に合わなかったために炉心溶融が起きた可能性が指摘されている。バッテリーが緊急に手配されたもののトラックは高速道路の通行許可がなかなか得られず、到着したのは2日以上経った14日の午後8~9時で、すでに炉心溶融、3号機の爆発が起きた後であった。道路の担当者は真面目に規則を守ったわけである。当時の民主党政権の対応にも疑問が残る。菅元総理はすぐに駆けつけて邪魔になったと批判されたが、現場に必要であったのは菅氏なんかではなくバッテリーであった。

 最近、西部邁氏の自殺を幇助したとして2名が逮捕された。警察は真面目に捜査をして捕まえたのだろうが、そこまでする必要があったのか、疑問である。また逮捕に意味があるのだろうか。オランダやスイスなどでは一定の条件下では違法とされない行為である。見て見ぬふりという選択もあったと思う。この逮捕に賛成する人がいるだろうか、まともな人で。

 これらに共通することは無条件に規則や伝統を守ろうとする頑なな態度である。時と場合によっては破ってもよい、とは考えられない狭量な人たちなのだろう。優先順位を考える手間がない分、楽ではあるが問題が多い。石頭、頑固、頑迷固陋など、こういう人たちを形容する言葉は多い。伝統を守る芸術家や職人などには有用な資質であろうが、変化していく社会では有害であることが多い。時と場合によっては規則は破ってもよい、と教えるべきである。

 ついでながら、我が国には右翼対左翼、保守対革新と言われる政治的な対立がある。同じような教育を受けて、同じようなメディアに接しているのに、なぜこのような対立がいつまでも続くのか、と不思議に思う。

 一般に、頭の硬さ、頑固さは老人の特徴と思われている。現在、左翼、革新と呼ばれる人たちはかなり高齢者に偏っていることが世論調査などからわかる。「9条の会」も、昨年の9月4日に結成された「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」も超高齢者が中心であることはそれを象徴している。若者が保守、高齢者が革新、というもの奇妙である(普通は逆)。オールドリベラルとか旧革新と呼べばよいと思う。

 高齢の左派の人と議論をしても話が噛み合わないという経験が私には何度かある。つまり頭が固まっている感じ。現在の高齢左翼というのは戦後の日教組教育によって作られた古い考え方をずっと持ち続けている、頭の硬い、頑固なグループであると見ることができる。右翼と左翼の対立は柔軟な頭と頑固な頭との対立という側面を持つと考えてもよいだろう。