噛みつき評論 ブログ版

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実在の悪魔

2017-11-13 09:04:04 | マスメディア
 悪魔や鬼は想像の産物である。宗教の信者には現実と見えるかもしれないが、所詮は妄想である。想像上の悪魔は怖くないが、悪魔人間は怖い。9人の若者を殺害した男は悪魔と呼ぶにふさわしい。どんなに強い非難の言葉もこの男には十分ではない。悪魔のイメージは稀に出現する今回のような殺人犯をモデルに作られたのかもしれない。

 このような異常な事件が起きると、教育評論家や心理学者があちこちに出現して幼少期の心の傷が事件の原因だなどと、まことしやかな意見を述べるのが普通である。しかし今回の事件では評論家たちをあまり目にしない。私の推測だが、今回の犯行は育った環境などではとても説明がつかないのではないか。

 戦後、犯罪は貧困などの悪い環境が生み出すもの、つまり社会が作り出すもの、という考えが支配的になった。人の性格を決定するものは遺伝か、環境かという長い間の論争において、環境がより重視されるようになった流れをうけてのことである。環境が重要な要素でなければ、教育そのものが否定されるという事情もあったかもしれない。

 この9人殺害事件に関しては、有名な教育評論家でも説明がつかないのではないか。白石容疑者はサイコパスではないか、という指摘がある。サイコパスとは精神病質、反社会性人格障害などの人格の所有者で、同情や共感、良心や罪悪感を持たず、よく嘘をつく人たちであるされる。そして発現は遺伝によるところが大きいと言われている。白石容疑者がサイコパスかどうかは知らないが、犯行の特異性から見ると十分ある得ることだと思う。その場合、更生の可能性は低いとされる。

 1回だけの快楽と僅かな金のために何人もの若い命を奪うという理不尽、信用させてからそれを裏切り殺すという卑怯、社会経験が少なく弱い女性を狙うという卑劣、被害者の方々やご遺族の無念さは計り知れない。また死刑になったとしても一回の死刑だけではとても釣り合いが取れないと思う。死刑廃止論者はお困りのことと思うが。

 米国の場合、サイコパスは25人に1人の割で存在すると言われている。4%であるから意外に多い。日本などの東アジアはその10分の1程度らしい。サイコパスと言っても正常との中間的な人もいると思われるのでその線引きが難しいが、それは措くこととする。しかし多くのサイコパスはまともな市民として普通の生活を送っているそうである。ある程度の知能があれば、社会のルールを学習し、それから外れない生き方ができるわけである。

 我々の子供時代は、弱いものをいじめる、大勢で一人をいじめる、あるいは背後から刺すような行為は卑怯な行為とされ、最も恥ずべきことだと教えられた。それをしたものには強い非難が浴びせられた。現在、こうした倫理観はずいぶん弱くなっているように感じる。試しに「道徳教育」「卑怯」「卑劣」をキーワードにして検索しても意味のあるものは出てこなかった。死語になっているのだろうか。

 倫理観がサイコパスの犯罪を防ぐことができるかどうかわからないが少しは役に立つかもしれない。戦後の教育はこうした倫理を戦前の軍国主義に利用されたものとして排斥したと思う。天皇のために死ね、と言った考えなどと十把一絡げにして否定したのであろう。幼稚な単純思考の結果である。

 弱い立場の者を集団でいじめるのは卑怯な行為だと述べたが、それはメディアの得意技でもある。メディアスクラムとも呼ばれる。社内規定の消費期限が1日違っただけで大バッシングを受けた不二家、食中毒事件を起こした雪印乳業、他にも経営が揺らぐほどの、あるいは倒産するほどのダメージを受けた企業は少なくない。自殺に追い込まれた経営者もいる。犯した罪の大きさとバッシングの大きさが全然釣り合わないことが多い。だから弱い立場のものを集団でいじめる卑怯な行為を批判できないであろう。これでは学校でのいじめもなくならないだろう。社会をリードするメディアがこの体たらくでは、卑怯や卑劣の禁止が重要な倫理として重視されることは期待できそうもない。