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二流の証明

2017-11-06 09:05:06 | マスメディア
 今回の衆院選挙では様々な政治家が登場し、知られていなかった顔を見せた。危機の時、あるいは重大な選択を迫られる時、人は常には見られない姿を見せることがあるようだ。民進党分裂の立役者、前原誠司氏は野党第一党の代表という立場にあったから、それなりの評価を得ていたのであろう。しかし希望の党への合流という一大事を、甘い見通しと甘い交渉で行い、政治家だけでなく人間としてまでの信用を失ってしまった。二流であることが十分に証明された。にもかかわらず、当選したのが不思議である。メディアの批判が何故か甘かったのが気になる。

 次に小池百合子氏、一時は総理大臣候補とまで言われていた人物であるが、とんでもない誤解であったことがわかった。都議選の時は自民党に対抗する人物として、メディアの好意的な報道に支えられて大勝した。将来の総理大臣候補と持ち上げたメディアもあったほどである。今回の衆院選挙でも当初の報道は好意的に見えた。しかし「排除」発言以後、メディアの態度が変わったように感じられた。「排除」発言に驕りが見えたこともあったかもしれない。しかし希望の党が憲法改正や安保法制容認を明確にしたために左派メディアの機嫌を損ねたのが失速の大きな理由なのではないか。

 小池氏は「緑の狸」という異名をとったが、これは腹黒さを思わせるものでうまい命名である。選挙で見えたのは彼女の野心家という側面である。自己顕示欲や権勢欲は一流であるようだ。しかし政治家としては二流と言ってもよい。政治家にもっとも必要な将来の目標、ビジョンが見えてこないからである。

 立憲民主党は期待された以上に躍進したとされる。枝野氏らは意志を曲げず、男を上げたと評価されている。しかしちょっと違う。希望の党との合流が表明された両院議員総会では合流に満場一致で賛成した人たちである。もしその場で反旗を翻していれば男を上げたことになろう。しかし排除されることが明確になってからの決断であり、新党立ち上げは当然の流れというべきである。このような成立の事情はあまり報道されず、意志を曲げなかった点ばかりが強調される。そもそも意志を曲げた者が数多く現れた今回の事態が異常であり、政治家は曲げないのがあたりまえなのである。

 二流を証明した人物の中では鳩山由紀夫氏は最大級の人物であろう。ワシントンポスト紙からルーピー(頭がいかれている)鳩山と酷評された人物は民主党代表に選ばれた首相であり、民主党を選んだのは日本国民である。恥ずべきは民主党員であり、日本国民である。ただ鳩山氏を一流だと持ち上げたのはマスコミであり、彼らは真っ先に不明を恥ずべきである。

 一流の人間が急に二流になることはない。少数の例外はあるが、たいてい一流はいつまでも一流、二流はいつまでも二流なのである。前に紹介した例はいずれも、二流の人間をマスコミが一流だと間違えた結果、一流として過大評価されていたものが、何かのきっかけによって本性が露呈したに過ぎない。いつもながらの、軽率で不見識なマスコミに振り回される政治風景なのである。劇としては面白いけど。