噛みつき評論 ブログ版

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真面目という悪徳

2014-01-06 09:24:41 | マスメディア
 アドルフ・アイヒマンは第二次世界大戦中、強制収容所へのユダヤ人移送を指揮し、ホロコーストに重要な役割を果たしました。1960年、逃亡先のアルゼンチンで逮捕され、彼はイスラエルで裁かれることになります。映画「ハンナ・アーレント」は哲学者ハンナ・アーレントによる裁判レポートを描いたものです。

 アイヒマンが「私は命令にしたがっただけ」と主張するとおり、アイヒマンは極悪人などではなく、凡庸な小役人であることが明らかされるというお話です。大量殺戮というおぞましい行為に加担したのは命令に忠実なただの凡人であったわけです。ごく普通の人間が残虐な行為に手を染めていく過程にご興味のある方はミルグラム実験(別名アイヒマン実験)ご覧下さい。

 アイヒマンは命令を忠実に実行した凡庸な人間に過ぎないということになったわけですが、これは平凡で真面目な人間と言ってもよいでしょう。ヒトラーの巨大な悪事は自分で思考しない無数の真面目な部下達によってはじめて実現できたものだと言えるでしょう。

 一方、日本のシンドラーとも呼ばれる外交官・杉原千畝氏はアイヒマンと好対照の人物です。第二次大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原氏は外務省の訓令に反し、大量のビザを発給して、ユダヤ人を主とする約6000人の避難民を救ったとされます。外務省の意に反したことを行った点に於いて、杉原氏は真面目な人間とは言えません。

 アイヒマンは真面目に役割を遂行し、大量殺戮に加担したのに対し、杉原氏は本省の意に反することによって多数の人命を救いました。アイヒマンはナチ政権の下では賞賛されたことでしょうが、後に死刑となりました。一方の杉原氏は不服従が問題になり外務省を退職することになりますが、後年、といってもほとんど死後にその功績が認められます。

 突き詰めれば、真面目とは法や慣習、与えられた仕事に忠実であることです。言い換えれば真面目とは自分で考え、判断することを放棄することです。考えるのは自分の行為が法や慣習などに合致するかどうかだけです。法や慣習という命令に従うようにプログラムされたロボットに似ています。

 真面目さの負の面ばかりを強調しましたが、むろん真面目な人間にも良いところもあります。法や慣習などに忠実であるため、行動が容易に予測でき、これは信頼につながります。もっとも面白味には欠けますが。

 クソ真面目人間が多ければ社会は暴走しやすくなるかも知れません。真面目な国民性が特徴とされるドイツと日本が共に暴走し、戦争をしたことは偶然ではないような気がします。真面目さは両刃の剣と言えるでしょう。