噛みつき評論 ブログ版

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国会は台本の朗読会?

2009-01-08 08:21:33 | Weblog
 『07年10月の英保守党大会。政党支持率で労働党に8ポイントのリードを許していたキャメロン党首はメモなしで1時間の演説をぶった。壇上を歩き回り、住宅高騰が中産階級の生活を直撃しているとして、労働党の失政を突いた。この演説を機に攻守は逆転し、保守党は労働党を最大で26ポイントも引き離した』(08/10/03 産経izaより)。

 片や、始まったばかりの日本の国会。ニュース映像を見る限り、とりわけ答弁者が机上の原稿に顔を向けたままの「朗読」が目立ちます。事前の打合せに従って誰かが書いた原稿を読むだけでは、テープレコーダーと大差ありません。そして地方議会ではさらに形骸化が進んでいるようです。

 『2007年9月18日に開かれた政府の地方分権改革推進委員会において、前鳥取県知事の片山善博が「ほとんどの自治体の議会で八百長と学芸会をやっている。一番ひどいのが北海道議会」と名指しで発言。答弁の内容を事前にすり合わせし、議場で答弁書を棒読みする姿勢などを厳しく非難した』(Wikipediaより)

 たとえ内容を十分把握していなくても「朗読」なら形だけはできます。平均1年程度で交代する大臣にとって、仕事を十分理解しなくても答弁できる便利な仕組みかも知れません。しかし朗読が多くては誰が問題を十分理解しているのか、誰が有能なのかもよくわかりません。

 議事の大部分が予め作られたシナリオ通りに進められることにはやはり違和感を覚えます。大勢の人を集め、少なからぬ予算を食いながらの形式に偏った議会は意味が希薄です。北海道議会では再質問、再答弁まで予め用意されていたそうで、まさに八百長や学芸会と呼ぶにふさわしいものです。

 政治家はしゃべるのが商売であり、自分の言葉で主張を伝える能力は政治家にとってはとても重要な資質です。キャメロン党首のように1時間は無理としても5分や10分はメモなしで、前を見て演説していただきたいものです。職務上の知識を十分もち、問題をよく理解していたなら、朗読に頼らなくてもできるでしょう。

 議会が形式通りに進める儀式になれば、面白くもなく、国民から遠いものになります。キャメロン党首の演説が支持率に大きい影響を与えるなんてことは日本では想像できませんが、注目されるだけの内容、それを国民に伝える報道の仕組みがあったのでしょう。テレビのチャンネル数では、日本は英国に負けないと思うのですが・・・。

 「台本の朗読」が主になった理由のひとつは、口がすべった程度の失言に対し大袈裟かつ執拗に取り上げるメディアとそれを党略に利用しようとする野党の姿勢にもあると思います。本音による論戦は面白く、議論の意味もあるのですが、首を心配しながらではできません。

 怖いのは、この議会の形が常態化し、マスメディアも国民もそれになんの違和感も感じなくなることです。