静聴雨読

歴史文化を読み解く

記憶のよみがえり現象・2

2009-03-18 07:07:48 | Weblog
(2)記憶の「よみがえり」

「圧縮」されて「仮死状態」になった過去の経験・体験は、別の例でいえば、考古学でいう「古層」のようなものだ。年代を刻みながら、幾重にも、薄い薄い層の重なりとなって堆積している。過去の経験・体験が決して死んでいないことは、ひょんなきっかけで、そのような過去の経験・体験が再びよみがえることがあることから、証明される。

完全に「忘却」された記憶はよみがえることはない。
一方、「圧縮」されて「仮死状態」に置かれた記憶は、何かの拍子によみがえることがあるのだ。
この現象が不思議だ。

形状記憶合金は変形圧力を受けた後も、元の形に戻る。水に落とした乾燥花は水の中で花開く。
同じようなことが、「圧縮」されて「仮死状態」に置かれた記憶にも起こるらしい。

問題は、記憶の「よみがえり」のきっかけは何か、ということだ。
大脳への何らかの刺激が記憶をよみがえらせることは間違いないだろうが、その刺激がどのように生まれるのかはわからない。

私たちのありふれた経験によると、「あれ? 以前似たようなことがあったな。」とか「ヨーロッパのキリスト教国だけじゃなく、日本にも見られるじゃないか。」とかいう形で、過去(あるいは、身近な環境の)の経験・体験の記憶が現前によみがえることがしばしばある。つまり、現前の経験・体験が刺激剤となって、過去の経験・体験が掘り起こされると見るのが正しい。

過去の経験・体験を掘り起こす営みは、個人においても、国家・国民レベルにおいても行われる。
個人の場合は「文学」などの形で、国家・国民の場合は「歴史学」「民俗学」などの形で、過去の経験・体験を掘り起こす営みが行われる。

以上が、「記憶」の構造とその「よみがえりに」ついての概観だが、以下、いくつかの事例に当たってみよう。  (つづく。2009/3)