静聴雨読

歴史文化を読み解く

「251番地」と「243番地」

2013-03-30 07:38:02 | 音楽の慰め

 

先日、白金台5丁目を歩いてきた。

外苑西通りから松岡美術館の前の通りに入り、右に入る小路を2本見送って、3本目の小路を右に入り、右側のブロックが小路で分断されるところの左にある、3階建ての空色の軍艦調のマンションあたりがKさんとSさんのいう渡辺養父子の旧居だったのだろうか?

Sさんは「その通り」という。これで、場所は確認できた。

 

さて、この渡辺養父子の旧居が旧芝白金三光町の何番地だったかという疑問に移る。

 

今、参照できる昭和の地図が2つある。

一つは、「全住宅地図案内帳 昭和32年度版 港区(南部)」(家主名まで入っている、今でいえば、「ゼンリン住宅地図」のようなもの。)

もう一つは、「昭和の地図(昭和31年)」(毎日jpのweb版)

 

「全住宅地図案内帳」には、渡辺養父子の旧居のところに、「不明」・「原 渡辺」・「渡辺」の3つの区画が見える。やっと、「渡辺」の文字にたどりついた。「原 渡辺」・「渡辺」の2つの区画に「渡辺」の文字があるので、このどちらかが渡辺養父子の旧居だったのだろう。

 

ところが、「原 渡辺」の区画の上に、「243」の文字が表示されているではないか!

渡辺茂夫から両親あてのハガキに「251」とあったのと明らかに違う情報だ。

私は」ここで途方に暮れた。

なお、「全住宅地図案内帳」には、「251」と表示された区画はなく、この案内帳から「251」の区画を特定することができない。

 

「昭和の地図」では、渡辺養父子の旧居と目される区画には番地表示がなく、「253」か「245」の近傍としかわからない。

また、「昭和の地図」では、「251」は、渡辺養父子の旧居と目される区画の2ブロック先に記されている。

 

というわけで、渡辺養父子の旧居と目される区画が旧芝白金三光町「251番地」か「243番地」か確定できずにいる。

それで、この未確定の状態に困惑しているかといえばそうではなく、「困惑を楽しんでいる」のが実際だ。  (2013/1)