静聴雨読

歴史文化を読み解く

渡辺茂夫と渡辺季彦(6-7)「渡辺茂夫現象」

2013-03-18 07:15:50 | 音楽の慰め

(6)渡辺茂夫に関心を寄せる人々

これまでは、毎日放送が1996年に放映したドキュメンタリー「よみがえる調べ 天才バイオリニスト渡辺茂夫」に則して記述をすすめてきたが、これからの回では、さらにほかからの情報を取り混ぜて、渡辺茂夫・渡辺季彦について述べていきたい。 

放送ライブラリーの学芸員は、私の探索している天才ヴァイオリニストが渡辺茂夫ではないか、と示唆した後、次のようにことばを継いだ。「本も出ているようです。演奏を集めたCDも出ているようです。この毎日放送のドキュメンタリーの他にもテレビの特集があったかも知れません。しかし、このライブラリーで視聴できるのは、毎日放送のものだけです。」

ずいぶん多くの情報を持っておられる。そこで聞いてみた。「ちなみにどのように検索されましたか?」 学芸員の答えは:「お話を伺って、ヴァイオリニスト、留学、自殺、をキーにして検索しました。」 あれれ? 確か私も1年か2年前にインターネットで「ヴァイオリニスト 留学 自殺」をキーにして検索したはずだが、ヒットしなかったではないか。なぞが残った。

帰宅後、インターネットのヤフーのサイトで、再び「ヴァイオリニスト 留学 自殺」で検索をかけたところ、sugieeさんの「BOY‘S VOICE ~永遠の少年たち~」というブログがヒットした。その2005年6月30日の記事は「“神童”と呼ばれた少年ヴァイオリニスト 五嶋龍と渡辺茂夫」と題して二人の少年ヴァイオリニストを紹介している。五嶋龍は現役だから除いて、初めて渡辺茂夫の名が私の前に現れた。記事は悲劇のヴァイオリニストを簡潔に紹介している。
私の検索した2003年か2004年にはヒットしなかった記事である。ここにも、渡辺茂夫に心を寄せる人がいた。

さらに、もう一つ、「音楽の冗談」というホームページもヒットした。その中に、「渡辺茂夫」の項があり、練達の士の手になるとみられる渡辺茂夫の生涯の紹介記事が載っていた。記事の掲載時期は明らかではないが、1999年の渡辺茂夫の訃報(朝日新聞)まで収録している。 

渡辺茂夫に対する関心は伏流のように継続しているようである。 
   
(7)渡辺茂夫の再生

渡辺茂夫という固有名詞を手にしてからは、関連する情報の収集がはかどった。
山本茂「神童」という本(文芸春秋)があると知り、ブックオフを数店まわって入手した。
また、「神童」「続・神童」というCD(東芝EMI)はアマゾンのマーケットプレース(リサイクル市場)で入手することができた。

ここで渡辺茂夫を取り上げた各メディアを時系列に沿って整理すると以下のようになる:

1996年3月  山本茂「神童」、文芸春秋(評伝ドキュメンタリー)[以下、CDと区別するために、「評伝」と呼ぶ]
1996年7月  「神童(全2枚)」、東芝EMI(演奏記録を復刻したCD)
1996年10月 「よみがえる調べ 天才バイオリニスト渡辺茂夫」、毎日放送(テレビ・ドキュメンタリー)
1996年11月 「続・神童」、東芝EMI(演奏記録を復刻したCD)

1996年に渡辺茂夫の再生の動きが一挙に噴出したことがわかる。そこに至るまでには、関係者による永年にわたる努力があったようで、その成果が「渡辺茂夫ヴァイオリン演奏の記録」というCD(非売品)にまとめられたという(「評伝」)。 

山本茂の「評伝」は、渡辺茂夫が国内で「神童」の評判をとるまでと、アメリカに留学して失意の帰国をするまでとの二部構成で、この天才ヴァイオリストを詳細に跡付けている。評伝の対象人物がまだ存命で、しかし、本人から事情を聞くことはできないという条件の中で、抑制の利いた筆致で多くの情報を提供している。間違いなく、この「評伝」が渡辺茂夫の再生の導火線になったのである。しかし、私は山本茂の「評伝」の発刊をその当時知らなかった。渡辺茂夫の再生の動きを私がなぜ見落としたか、また、なぜ渡辺茂夫の名前が記憶から消滅したのか、なぞが解けることはない。

以後、渡辺茂夫を取り上げた各メディアは増え続けている。眼にとまったものだけを挙げると:

1998年5月 「驚き桃ノ木20世紀 天才バイオリニスト渡辺茂夫」、テレビ朝日(テレビ・ドキュメンタリー)
2006年6月 「グルリット ヴァイオリン協奏曲」、ミッテンヴァルト(演奏記録を復刻したCD)
2006年7月 「渡辺茂夫 ヴァイオリン・ソナタ」、ミッテンヴァルト(渡辺茂夫の作曲を木野雅之=ヴァイオリン=と吉山輝=ピアノ=が演奏した待望の新譜CD) (2006/7-8)