(1)プルーストの冒頭の一文
以前、「プルーストの翻訳」と題して、プルースト『失われた時を求めて』の冒頭の一文の日本語訳について、鈴木道彦訳と井上究一郎訳を参照しながら議論しました。
プルースト「失われた時を求めて」の第1編「スワン家の方へ」・第1部「コンブレー」の冒頭は、主人公の「私」の回想を導く印象的な一文で始まります。非常に長い文章で有名なこの小説では異例といえるほどの短文です。
フランス語の原文は:(アクサン・テギュ、アクサン・グラーヴ、アクサン・シルコンフレックスは省いています。)
Longtemps, je me suis couche de bonne heure. (Marcel Proust, Du Cote de chez Swann, 1988, Folio Classique, Editions Gallimard)
鈴木道彦訳では:「長いあいだ、私は早く寝るのだった。」(2006年、集英社文庫ヘリテージシリーズ版)
井上究一郎訳では:「長い時にわたって、私は早くから寝たものだ。」(1992年、ちくま文庫版)
病弱な「私」が、親の指示で、早い時刻に就寝することを余儀なくされていたことを示唆する一文です。しかし、就寝がすなわちまどろみではなく、ある時は母親のお休みのキスを待ち焦がれる長い時間があり、またある時は幼い日を回想し追憶する時間があり、このような時間が眠りを妨げる。そのような甘美な時について、以後「私」は延々と語り始めます。
「この印象的な一文のニュアンスが日本訳文で表現されているでしょうか?」 これが私の問題意識でした。そして、英語でどう訳すのだろう、と考え、
「おそらく、
For a long time I used to go to bed early.
とでも表現される」と推定しました。 For a long time と used to と go to bed とがキーとなる言葉です。
For a long time を「長い時にわたって」(井上訳)と訳すのは、原文の理解とは別に、こなれた日本語とはいえないでしょう。ここは「長いあいだ」(鈴木訳)と訳すのがスマートです。
used to は「私」の習慣を表す重要な言葉です。井上訳は「ものだ」とすることによって辛うじて原文のニュアンスを伝えていますが、鈴木訳の「のだった」では不十分だといわざるを得ません。
また、就寝する(go to bed)のニュアンスが二人の訳文からは伝わりません。作者のねらいは、就寝から実際の眠りまでの時間を語ることにあるのですが。
このように叙述を続けたのですが、実は、この時点では、英訳版のプルースト『失われた時を求めて』には一つもアクセスできていないのでした。 (2012/8)