静聴雨読

歴史文化を読み解く

大江健三郎の新作

2009-12-23 06:20:30 | 文学をめぐるエッセー
大江健三郎の新作『水死』、2009年、講談社、を読んだ。

長らく、大江の小説は発表される都度読んでいるので、斬新さは感じない。
私小説の流儀と、土地に潜む民俗と、風俗の風刺とで成り立つ今回の新作も、彼の近作とまったく同じ手法を取り入れている。

つまり、「私」が故郷の四国(の愛媛県)に放り込まれ、「私」を取り巻く劇団の人たちとの折衝に巻き込まれ、障害を持つ息子との葛藤に疲れ・・・、というようなことが延々と綴られる。

「私」は常に周りの人からバカにされ、「私」自身もその周りの評価を受け入れる、という点では、まったく救いのない物語だ。

大江健三郎は、ノーベル賞の受賞(1994年)の前か後に、新たな小説は書かないと宣言したのだが、その後もいくつかの小説を発表した。そのいずれもが、「私小説の流儀と、土地に潜む民俗と、風俗の風刺と」を基軸にしたもので、褒められた成果はない。

私の大江健三郎は『個人的な体験』や『洪水はわが魂に及び』の大江であって、その後の「私小説の流儀と、土地に潜む民俗と、風俗の風刺と」を基軸とした小説群はどうしても馴染めない。

ただ、「私小説の流儀と、土地に潜む民俗と、風俗の風刺と」を基軸とした小説群の端緒は、明らかに『万延元年のフットボール』にあったはずで、今、この小説の評価を公表することができないのが不甲斐ない。改めて、『万延元年のフットボール』を再読してみようと思っている。 (2009/12)