寺山修司が47歳の若さで亡くなったのは1983年5月のこと。まもなく24年になる。今生きていれば71歳、いかに早世だったかがわかる。
しかし、寺山は47年の間に十分過ぎるほどの仕事を残した。
寺山のレパートリーは驚くほど広く、俳句・短歌・詩(短詩・長編詩)・演劇・映画・小説・文学評論・社会評論・青少年へのコンサルテーション・競馬エッセーなどなどの分野で、第一人者であった。そのため、寺山の作品(著作と映像作品)も膨大である。
寺山の没後24年になるのに、いまだに全集が編まれないのはなぜだろう? 長らく疑問に思ってきた。放恣な生活を続けた寺山なので、著作権の継承関係が複雑で、一本の全集にならないのだろうと思っていた。齋藤慎爾によると、「百巻を超すという巻数に名乗りをあげた出版社が恐懼し撤退した」との噂があり、その通りなのだという。(寺山修司「寺山修司の俳句入門」、2006年、光文社文庫、への解題)
なるほど、なるほど。もしそうだとしたら、残念至極だ。
百巻を超すことになろうとも、寺山修司全集は是非実現してもらいたいと思う。
ただし、従来の観念による「全集」では、出版社も読者も共倒れになるだろう。A5判、厚函入り、の全集では、価格が高くなり、到底百巻を揃える読者を十分に見出すことは難しい。
もっとハンディな全集を考えたらいかが?
ちょうど格好の例が、「植草甚一スクラップブック」、晶文社、全41巻+別巻がある。
B6判、紙装、ビニールカバーのハンディなものである。(ただし、ビニールカバーはいただけない。夏には伸びるし、冬には縮む。ここは、岩波新書のように、紙カバーにビニール・コーティングしたものがいい。)これで、思い切りコストを抑えられる。
もう一つ、寺山のレパートリーが多岐に渡ることが障害になっている、と齋藤慎爾は指摘している。どういうことかというと、例えば、俳人は短歌に関心がなく、歌人は俳句に関心がないというのが通例だというのだ。寺山修司全集を編んでも、俳人は俳句篇だけを、歌人は短歌篇だけを求めるらしい。つまり、多岐に渡る寺山のレパートリーすべてに付き合う読者は極端に少ない、という事情があるのだ。
それならそれで、方法はありそうだ。
それぞれの分野が独立する形式のシリーズにして、それを総合すると「寺山修司全集」となるように編集すればいい。
(なお、寺山修司の全集は著作だけでは不十分で、映像(演劇の舞台記録映像と映画)も当然収録しなくてはならない。)
こうして、出来上がる全集は以下のようになる。この際、「全集」の文字も止めよう。
寺山修司ワールド
寺山修司ワールド・俳句の細道
寺山修司ワールド・短歌の広場
寺山修司ワールド・詩の迷宮(短詩・長編詩)
寺山修司ワールド・芝居小屋(戯曲と舞台記録映像)
寺山修司ワールド・映画館(映画とシナリオ)
寺山修司ワールド・小説の蒼穹
寺山修司ワールド・文学評論のリング
寺山修司ワールド・社会評論のコロシアム
寺山修司ワールド・少年相談所
寺山修司ワールド・競馬パドック
すべてで何巻になるか知らないが、このような「全集」が編まれ、刊行されたら、私はすべての篇を揃えるだろう。 (2007/5)
今月から、クインテッセンス出版から『寺山修司著作集 全5巻』の刊行が始まった。A5判、カバー装、函入り、の軽い装丁だ。各巻560ページ前後だという。実物はまだ見ていない。
だが、「全5巻」とは! 寺山修司が5巻に収まってしまうのか。各巻の内容は、1俳句・短歌など、2小説・シナリオなど、3戯曲、4青春論・幸福論など、5評論、となっている。競馬エッセーはいっていないようだ。前回提案した「寺山修司ワールド」と対照させる、次のようになる。
寺山修司ワールド
寺山修司ワールド・俳句の細道 →→→→→→→→→→ 1俳句・短歌など
寺山修司ワールド・短歌の広場 →→→→→→→→→→ 1俳句・短歌など
寺山修司ワールド・詩の迷宮(短詩・長編詩)→→→→→ 1俳句・短歌など
寺山修司ワールド・芝居小屋(戯曲と舞台記録映像)→→ 3戯曲
寺山修司ワールド・映画館(映画とシナリオ) →→→→→ 2小説・シナリオなど
寺山修司ワールド・小説の蒼穹 →→→→→→→→→→ 2小説・シナリオなど
寺山修司ワールド・文学評論のリング →→→→→→→ 5評論
寺山修司ワールド・社会評論のコロシアム →→→→→ 4青春論・幸福論など
寺山修司ワールド・少年相談所 →→→→→→→→→ 4青春論・幸福論など
寺山修司ワールド・競馬パドック →→→→→→→→→ (省略)
なるほど、こういう編集の仕方があったか。これなら、読者に過度の負担を強いることもなかろう。書店の店頭で実物を見てみよう。 (2009/2)
しかし、寺山は47年の間に十分過ぎるほどの仕事を残した。
寺山のレパートリーは驚くほど広く、俳句・短歌・詩(短詩・長編詩)・演劇・映画・小説・文学評論・社会評論・青少年へのコンサルテーション・競馬エッセーなどなどの分野で、第一人者であった。そのため、寺山の作品(著作と映像作品)も膨大である。
寺山の没後24年になるのに、いまだに全集が編まれないのはなぜだろう? 長らく疑問に思ってきた。放恣な生活を続けた寺山なので、著作権の継承関係が複雑で、一本の全集にならないのだろうと思っていた。齋藤慎爾によると、「百巻を超すという巻数に名乗りをあげた出版社が恐懼し撤退した」との噂があり、その通りなのだという。(寺山修司「寺山修司の俳句入門」、2006年、光文社文庫、への解題)
なるほど、なるほど。もしそうだとしたら、残念至極だ。
百巻を超すことになろうとも、寺山修司全集は是非実現してもらいたいと思う。
ただし、従来の観念による「全集」では、出版社も読者も共倒れになるだろう。A5判、厚函入り、の全集では、価格が高くなり、到底百巻を揃える読者を十分に見出すことは難しい。
もっとハンディな全集を考えたらいかが?
ちょうど格好の例が、「植草甚一スクラップブック」、晶文社、全41巻+別巻がある。
B6判、紙装、ビニールカバーのハンディなものである。(ただし、ビニールカバーはいただけない。夏には伸びるし、冬には縮む。ここは、岩波新書のように、紙カバーにビニール・コーティングしたものがいい。)これで、思い切りコストを抑えられる。
もう一つ、寺山のレパートリーが多岐に渡ることが障害になっている、と齋藤慎爾は指摘している。どういうことかというと、例えば、俳人は短歌に関心がなく、歌人は俳句に関心がないというのが通例だというのだ。寺山修司全集を編んでも、俳人は俳句篇だけを、歌人は短歌篇だけを求めるらしい。つまり、多岐に渡る寺山のレパートリーすべてに付き合う読者は極端に少ない、という事情があるのだ。
それならそれで、方法はありそうだ。
それぞれの分野が独立する形式のシリーズにして、それを総合すると「寺山修司全集」となるように編集すればいい。
(なお、寺山修司の全集は著作だけでは不十分で、映像(演劇の舞台記録映像と映画)も当然収録しなくてはならない。)
こうして、出来上がる全集は以下のようになる。この際、「全集」の文字も止めよう。
寺山修司ワールド
寺山修司ワールド・俳句の細道
寺山修司ワールド・短歌の広場
寺山修司ワールド・詩の迷宮(短詩・長編詩)
寺山修司ワールド・芝居小屋(戯曲と舞台記録映像)
寺山修司ワールド・映画館(映画とシナリオ)
寺山修司ワールド・小説の蒼穹
寺山修司ワールド・文学評論のリング
寺山修司ワールド・社会評論のコロシアム
寺山修司ワールド・少年相談所
寺山修司ワールド・競馬パドック
すべてで何巻になるか知らないが、このような「全集」が編まれ、刊行されたら、私はすべての篇を揃えるだろう。 (2007/5)
今月から、クインテッセンス出版から『寺山修司著作集 全5巻』の刊行が始まった。A5判、カバー装、函入り、の軽い装丁だ。各巻560ページ前後だという。実物はまだ見ていない。
だが、「全5巻」とは! 寺山修司が5巻に収まってしまうのか。各巻の内容は、1俳句・短歌など、2小説・シナリオなど、3戯曲、4青春論・幸福論など、5評論、となっている。競馬エッセーはいっていないようだ。前回提案した「寺山修司ワールド」と対照させる、次のようになる。
寺山修司ワールド
寺山修司ワールド・俳句の細道 →→→→→→→→→→ 1俳句・短歌など
寺山修司ワールド・短歌の広場 →→→→→→→→→→ 1俳句・短歌など
寺山修司ワールド・詩の迷宮(短詩・長編詩)→→→→→ 1俳句・短歌など
寺山修司ワールド・芝居小屋(戯曲と舞台記録映像)→→ 3戯曲
寺山修司ワールド・映画館(映画とシナリオ) →→→→→ 2小説・シナリオなど
寺山修司ワールド・小説の蒼穹 →→→→→→→→→→ 2小説・シナリオなど
寺山修司ワールド・文学評論のリング →→→→→→→ 5評論
寺山修司ワールド・社会評論のコロシアム →→→→→ 4青春論・幸福論など
寺山修司ワールド・少年相談所 →→→→→→→→→ 4青春論・幸福論など
寺山修司ワールド・競馬パドック →→→→→→→→→ (省略)
なるほど、こういう編集の仕方があったか。これなら、読者に過度の負担を強いることもなかろう。書店の店頭で実物を見てみよう。 (2009/2)