静聴雨読

歴史文化を読み解く

明治26年と平成20年

2010-12-21 07:39:26 | 現代を生きる

(1)北村透谷

私は滅多に元号を使わないが、あえて使えば、明治26年(1893年)2月、詩人・北村透谷は、「人生に相渉るとは何の謂ぞ」を発表した。今風に翻訳すれば、「生きるとはどういうことか?」といったところだろうか。時に、透谷24歳2ヶ月。

その中で、透谷は、山路愛山などの歴史家が主張する「世の役に立つことこそが生きる意義だ。」という説に反駁して、例えば、文学を発表することも生きることだし、日々生活することだって生きがいのあることだと、主張している。

透谷は、その時までに、すでに『楚囚之詩』(明治22年)や『蓬莱曲』(明治24年)などの詩を発表していたし、一方、石坂ミナへの崇拝ぶりが新しい近代人の人間関係だと評されてもいた。透谷にとって、社会的効用一辺倒の考え方は息苦しいものと映っていただろう。

「人生に相渉るとは何の謂ぞ」を発表したすぐ後に、人生に煩悶した末に、透谷は自殺を企てる(明治26年12月)。
未遂に終わったものの、翌明治27年(1894年)5月再び自殺を企て、果てた。25歳4ヶ月の命だった。

この明治27年(1894年)の8月に日本は日清戦争を始めている。時代は「効率」という歯車によって回るようになった。透谷の自殺は日清戦争前夜を象徴する出来事となった。  

(2)藤村 操

明治27年(1894年)-明治28年(1895年)の日清戦争に勝利した日本は、未曾有の戦勝景気に沸き、急激に近代国家への道を歩み始めた。「戦後経営」期と呼ばれる時期である。明治30年(1897年)官営八幡製鉄所が設立され、明治34年(1901年)には、操業を開始した。日本資本主義の確立の画期となる出来事である。

そんな中、ある一高生が日光の華厳の滝で自殺を遂げた事件が報道された。明治36年(1903年)5月のこと。

藤村 操、満16歳10ヶ月。

気になって、インターネットで少し調べた。

彼は、滝の近くの楢の木を削り、「巌頭之感」と題する辞世の文を残したらしい。
もう著作権は消滅しているだろうから、その全文を書き写してみる。

「巌頭之感
悠々なる哉天襄、遼々なる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす、ホレーショの哲学ついに何等のオーソリチーを値するものぞ、万有の真相は唯一言にしてつくす、曰く「不可解」。我この恨を懐て煩悶終に死を決す。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし、始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。」

彼は生きることの道理を誰も教えてはくれない、といって生を絶ったのだが、エリートの一高生の自殺に世は騒然としたという。一高教授だった夏目漱石は藤村 操の自殺を聞いてうろたえたという。

今振り返ってみると、ある奇妙な事実に突き当たる。

彼が「巌頭之感」を記すために削った楢の木の表面積は縦200cm、横50cmほどの大きさだ。
これだけの表面積を準備して、「巌頭之感」を書くか彫るか(どちらか確定できないが)するには一日や二日では足りず、相当の日数をかけたに違いないのだ。

ここに、いかにも一高生らしい自己顕示欲が表われていないだろうか?  
藤村 操の自殺は日露戦争(明治37年=1904年=開始)前夜を象徴する出来事となった。

(3)「アキバ男」

明治26年(1893年)、北村透谷は「人生に相渉るとは何の謂ぞ」を発表し、「効率」一辺倒でない生き方を提起した。
また、明治36年(1903年)、藤村 操は「生きることの道理を誰も教えてはくれない」と不満を訴えた。

ともに、人生に煩悶した末に、自殺を選んだ。

さて、ひるがえって、平成20年(2008年)の現在、人は生きることの意味を見出しているだろうか?

東京・秋葉原の歩道に車を突っ込み、その後、刃物で通行人に切りつける事件を引き起こした「アキバ男」は、彼なりの人生への煩悶ぶりを見せていたらしい。

進学校の高校に入るも、勉強をしようとしなかった。
進路を、好きな自動車に関わることに決めて、自動車整備の短期大学に入るも、卒業までに、誰もが取得する「自動車整備士」の資格さえ取らなかった。
自動車部品工場で派遣工として働くも、「世間はオレを評価していない」と鬱屈する。

「アキバ男」はこの鬱屈をケイタイの「ブログ」に披露する。このブログを読んだ誰かが自分の暴走を止めてくれるのではないか? ところが、たまに、そのブログに反応があると、彼はたちまち反発し、再び自らの殻に閉じこもったという。彼は秋葉原の事件を引き起こす直前まで、出口のないブログへの書き込みを続けていた。

ブログへの書き込みには自己顕示の要素がある。ちょうど、華厳の滝の傍らの楢の木に「巌頭之感」を記すのと同じ自己顕示である。

「アキバ男」を特徴づける「派遣工」と「ブログ」はまさに現代の象徴だ。生きる悩みの発生する場所とその悩みを披露する場所。彼は、その意味で、現代の悩める人間の象徴だといえるかもしれない。

北村透谷や藤村 操はその悩みを自殺で終結させたのだが、「アキバ男」は少し違う。違いは「他人を道連れにして、破滅しよう。」 ああ、何という錯乱だろう。 (2008/7-9)

「アキバ男」と同様に、自らの生きる意味を喪失し、しかし、自殺する勇気を持たない人間が引き起こす事件が後を絶たない。常磐線・荒川沖駅頭で刃物をふりかざして通行人を殺傷した男、常磐線・松戸駅前のバス内で刃物をふりかざして乗客に襲い掛かった男。
いずれも、「襲う対象は誰でもよかった。」と言っているらしい。

現代は、自殺者の多さが目を引くが、ここには、自殺さえもできない「自殺予備軍」が控えていることが顕在化している。 (2010/12)



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