何があってもバタバタしないようにと、自分に言い聞かせている昨今です。元済生会中央病院、慶応病院血管外科医師、今は特別養護老人ホ-ム常勤医師、石飛幸三氏の講演は、二度目。一年以上も前になりますが、先生のお話しを聞いて大変感動した印象があります。
私の周辺も慌ただしくなりました。親友の終の棲家への転居、、自分や配偶者、親しい友の病や死に、いかに対処できるか?不安があります。
そんな折、昨日は石飛氏の体験に基づいた最終人生のあり方について、再び聞くことが出来ました。”老衰”は、疾患ではない。老衰は止められない!最後の人生をどう生きていくか?を問いかけられました。
「死に方」は「生き方」の続きである。医療と介護の連携が必要である。介護する立場、される立場と伴走していれば、死期が迫っていることは必ず分かる。手を加えることが苦しみを増すことが多々ある。「老いと死に対する覚悟」を育てる必要がある。
最後の自然死は平穏死である 空腹は最大のスパイスである 身体の中を整理して余計なものを捨てて、身を軽くして昇天していく。緩やかに坂を下り、静かに死と言う着地を迎える。その手助けをするのが、今の特老のあり方と結ばれた。
私たち夫婦は後期高齢者。今まで大過なく来れた事は、感謝です。「病気になったら、困るのは私!チャント食べて!!」 これを機に夫に食事を強要するのは止めよう。ふたりの娘に「胃瘻も心臓マッサ-ジも、手術も必要なし」を宣言。激しい痛みを伴う病気でなければ、食事ができなくなって自然と眠り、「自然の麻薬」が効いて意識が薄れ、ゆっくり最後の時を迎えるそうです。
殆どのお年寄りが、自宅で穏やかに看取られていた そんな遠い昔の記憶がおもいだされました。
”悟ると 如何なる場合でも 平気で生きること” 血を吐いて苦しんだ 正岡子規の言葉です。
業の深い私、今は神妙です。
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