私の子供の頃の日本は貧しかった。その所為かどうか分かりませんが、私は物に対する執着が強いのです。特に食べ物は、賞味期限が切れていても、捨てられなくて、これも同居している娘と言い争いの種になっています。
言わせてもらえば、期限切れを口にして、身体に不都合が起こったことは一度もありません。
古くなった衣類も処分できません。20年経った衣服も、保管しています。 破れて、やっと捨てられます。着ることもない物に囲まれて、窮屈な生活をしています。衣替えで出したり入れ替えたりの無駄な動きで、草臥れています。
”本来無一物(ムイチモツ)” 仏教では、 万物は実態はなく、執着しても何一つないと、教えます。無一物で生まれて、旅立つときも、何も持っていくことは出来ない。理屈では分かっているのですが・・・。
ジョイ企画の近くに1533年創建の浄土宗天徳寺があります。昔は、大晦日に除夜の鐘を衝きに行っていました。
久しぶりにお寺の庭に足を踏み入れました。誰もいない。
去りし日の情景が想いだされ、心が痺れます。石仏に手を合わせながら、 自分の来し方を顧みました。
何時 無一物で旅立っても 不思議はない年齢迄生かされています。余分なものは整理する時期に来ているのもしれない・・・と。
きょうは寒い!雨混じりの灰色の空のもとで、ひと時の神妙な私です。