アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

北大周辺ツアー報告

2011-09-09 19:40:48 | インポート
「フンペシスターズ☆キクちゃんと歩く北大周辺ツアー」の参加報告をします。

フェアトレード雑貨&喫茶店「みんたる」に参加者6名が集合。
みんたるを出発し、はじめに北大医学部の駐車場に建てられている「アイヌ納骨堂」へ。歩きながらアイヌの世界観や遺跡保存庭園等の説明を受け、山田秀三著『札幌のアイヌ地名を尋ねて』(楡書房 1965)に掲載されている都心北部図を見ながらサクシュコトニ川を溯って偕楽園へ。いつも通っている道を少し路地に入っていくと、そこに和洋折衷の建築物「清華亭」がひっそりと建っていました。

説明によると偕楽園は1871年(明4)に初代北海道庁長官岩村道俊によって日本発の都市公園として造成。このあたりに湧き水(アイヌ語で「メム」)が出ており、現在の伊藤邸当たりからはじまるサクシュコトニ川に合流していたようです。おだやかに蛇行するサクシュコトニ川には大量の鮭が石狩川より上ってきており、1877年(明10)年には日本で始めての鮭人工孵化場が試みられたほど絶好の環境だったようです(しかし、細菌やネズミ被害のため4年間で廃止)。

園内にある清華亭は1880年(明13)に、明治天皇北海道行幸の際の休憩場として建設。偕楽園の中の高台にあり、今も内部観覧できます。館内には、誰の絵なのか古い偕楽園周辺の絵地図があり、少し北に「土人家」というのが記されていました。キクちゃんの説明では、清華亭建築に伴い、それらの家は撤去、移住させられたとのこと(詳しくは今後調べようと思います)。

サクシュコトニ川を溯りつつ、もう一つ興味深い話を聞きました。当時その周辺の長だった琴似又一郎さんの家があったところを教えて頂きました(注・キクちゃんの説明では「又市」さん。犬好きでセタイチ(アイヌ語で犬=セタ)と呼ばれていたとか)。サクシュコトニ川のすぐそこでした。彼は1872年(明5)に東京につくられた開拓使仮学校付属北海道土人教育所へ強制連行された35名のアイヌの一人で、アイヌのまとめ役だったのです。
(『《東京・イチャルパ》への道』(東京アイヌ史研究会編集・発行参照)
キクちゃんの説明によると、開拓使・勧業課が又市さんの土地をはじめは「買上」の希望を言って来たのを又市さんは石狩の漁で忙しくしていたため、「囲込」(奪い取ってしまった)したとのこと。つまり開拓使はその土地の所有者を又市さんと認めていたことであり、当時にしてはたいへん珍しいことだそうです。

さらに、かれらが現在の琴似に移住して、地名の「琴似」が付けられたのだそうです。てっきりサクシュコトニ川が現在の琴似から流れてきていると勘違いしていました。
「琴似の歴史 当時の写真」にも又一郎さんが掲載されています。
http://www.kotoni-works.co.jp/history/history2/k-photo/photo043.shtml

もう一つ。清華亭館内の解説写真の中に、札幌農学校2期生でかつ互いに親友であった新渡戸稲造、内村鑑三、宮部金吾らが1881(明14)年の夏、卒業式を目の前にしてこの偕楽園で将来を話し合ったとのこと。3人が写っている写真が飾られていました。どこかで見たことある内村でした(独立学園時代?)。



当日は、「みんたる」を会場にして行われていた故チカップ美恵子さんの作品写真展「宙へ。チカップ美恵子刺繍写真展」も見学しました。チカップさんの刺繍はいつ見ても繊細で美しいですね。
チカップさんの新しい書籍「チカップ美恵子の世界 ―アイヌ文様と詩作品集―」(チカップ美恵子・植村佳弘著 北海道新聞社 2625円 B5判 159頁)ができました。10冊購入し、教会関連の緒集会で販売を考えています。とてもきれいな刺繍とよく撮れた写真がいっぱいです。とてもいい!! 写真・解説の植村佳弘さんは北海道新聞のカメラマンなのですね。
開催日:2011.9.6火―9.17土 12:00-21:00 (11,12は休み)
会場:札幌市北区北14条西3丁目2-19 フェアトレード雑貨&レストラン「みんたる」
TEL 011-756-3600 ※建物の内外壁に植村さんが撮影した写真を展示。


福島原発の地震での影響後、1986年に制作されたドキュメンタリー映画「ホピの予言」の上映が目立ちます。ポピはアメリカのグランドキャニオンで有名な国立公園の近くにあるフォーコーナーという土地に二千年以上にわたって暮らしているネイティブアメリカン。この土地からウラニウムの鉱脈があることを発見したアメリカ政府はポピ族を騙してその採掘に着手。それによって広島・長崎に投下された原子爆弾がつくられた、と。そんな内容です。

原水禁のWEBページで、「ウラン採掘の段階から世界の先住民族は核被害を受け続けている」というテーマで以下のことが書かれていました。
世界で2,050回以上行われた核実験は、全て先住民族の土地で行われてきました。いろいろな被害を先住民に押し付けてきたと言えます。広島・長崎を起点とすれば、65年間、核の被害を先住民族に押しつけ、核を持つ国が豊かになり、今や私たちは、原子力発電を地球温暖化に対する切り札として推し進めようとしています。それら全ては、先住民族の住む土地のウラン鉱石を掘り出すところから始まって、それを使う事で回っています。つまり、先住民に被害を与え続けている、私たちは今や加害者の側に立っていると言うことです。
http://www.peace-forum.com/gensuikin/news/110610date.html


環境破壊が先住民族に差別的に被害を与えているということを表現した言葉に沿った造語「ニュークリア・レイシズム」という言葉があるようです。わたしが昨年訪ねたカナダ・サスカチュアン州の先住民族居住地にも世界最大のウラン採掘場があるようです。
毎日新聞記事(2011年9月6日地方版)にも、日本の原発での使用量の3分の1を占めるオーストラリア産のウランについてのニュースがありました。豪州内でもウラン開発に対して、環境汚染や先住民族アボリジニの権利侵害などの反対運動があったことが記されています。
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20110906ddlk26040618000c.html
先住民族の権利の観点からも原子力発電を再考する必要に迫られています。


冬に近づいて来ました。