アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

「単一民族神話の起源」

2010-05-25 19:55:16 | インポート
小熊英二著「単一民族神話の起源」(新曜社1995)も読み始めました。
おもしろい!
 
単一民族神話の定義として小熊さんは「単一純粋の起源を、共通の文化と血統を持った日本民族だけで、日本国が構成されてきたし、また現在も構成されている」とし、それがいつどのように発生・定着していったかを実証していきます。
序から1942年(太平洋戦争中)に文部省社会教育局らが発表した単一民族を否定する文書が紹介され、ズバズバと単一民族神話を切っていきます。「明治以来、日本は純粋な血統を持つ単一民族であるという単一民族神話に支配されてきた」というのではない、と。
戦時中に言われたスローガン「進め一億火の玉」の「一億」という人数は、「1895年に台湾、1910年に朝鮮を併合し」た、総人口の三割の台湾・朝鮮の人びとを含めた日本帝国の総人口だったそうです。
台湾領有時に、およそ300万の漢民族や原住民族を帝国臣民として参入する際、「日本人」が単一の血族などではないことを「突きつける潜在的脅威を秘めていた」問題にもっとも単純な解決策を示唆したのは福沢諭吉。彼は、「只その土地を目的として全島の掃蕩を(完全に除き去ること)期し、土人の如きは眼中に認めず、一切の殖産興業を日本人の手に経営して大いに富源を開発す加し」、「兵力を以って容赦なく掃蕩を行い、葉を枯らし根を絶ちて一切の醜類を殲滅し、土地の如きは尽く之を没収して、全島挙て官有地と為すの覚悟」と主張。必要なのは台湾の土地だけであり、住んでいる人間は眼中になし(葉も根も、醜類=台湾に住んでいる人たちのことを言っているのか?)と言っているのですね。小熊さんは「ここまで原始的な意見は、さすがに中央の論壇では少数」で、対等であれ支配的にであれ共存するという方向に論議が向いたと。

この頃のキリスト教はと言えば、内村鑑三が教育勅語への奉拝を宗教行事として拒否し、問題になりましたが、一方では後に日本組合教会理事になる渡瀬常吉が天皇崇拝の否定もせず、異民族を同化するには民族を超えた宗教が必要でキリスト教は国家の発展に寄与するものだ、などとキリスト教擁護論を展開。キリスト教が国家に巻き取られてしまいます。大きな過去の過ちです。



以前に書きましたが(2008/10/22 blob)、この度の有識者懇談会でも本書が引用紹介されていました。初等教育(尋常小学校)の国定教科書から戦前においてもアイヌ民族は大和民族と異なる民族であると記していることを調べあげています。
1903年に初版された第一期の地理教科書では、帝国の構成員については、「これに住める人民の数は、ほとんど、五千万におよべり。これらの人人は、上に万世一系の天皇をいただきて、みな、たのしく、その日をおくれり」とあるのみ。沖縄の項目では「住民の言語、風俗などは、他の府県の住民と、すこぶる、おもむきを異にするものあり。・・・されど、近年は、交通の便、大いに、開けたれば、遠からずして、他と同様となるに至るべし」と。
北海道は「盛装せるあいぬの酋長あいぬの家屋」と題のついた挿絵が掲載され、文中には「あいぬ人は、むかしは、広く、本州にも住みたりしが、今は本道全体に通じて、その数二万に足らず」と、本州にもアイヌがいたと記述。
1910年の第2期では「住民は概ね大和民族にして・・・」と異民族の存在が無視できなくなっており、「樺太」に「アイヌ其の他二三の種族」がいることや、「北海道地方は古来アイヌの住する所」と言った記述がみられるとのこと。
1918年の第3期では、大幅な記述の変化があり、日本が多民族帝国であることを公言しています。
「国民の大多数は大和民族にして、其の数五千四百余万に及ぶ。其の他、朝鮮には約一千六百万の朝鮮人あり、台湾には十余万の土人と支那より移り住める三百余万の支那民族とあり。又北海道にはアイヌ、樺太にはアイヌ其の他の土人あり。民族は相異なれども、ひとしく忠良なる帝国の臣民たり。」


夕方の風景はいつも違います。

今日は小雨が降り続きました。裏の畑で野菜の種まきの準備をしました。明日にでもこどもたちに手伝ってもらおうと思います。夏はお泊り会をしたいと言うので成長した野菜でサラダを作りましょう。自分の蒔いた種が野菜になっていくのはうれしいことです。今回はベビーキャロット、イタリアンパセリなども育てます。
少し風船バレーやマッチ棒クイズをしましたが、ある子が笑みを浮かべながら「先生って中高年でしょ?」と・・・。わたしが以前に「50歳からが中高年だよ」と言ったことを親に言ったのでしょう・・・ばれた!