アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

石狩カムイノミ

2008-09-25 19:31:16 | インポート
この数日の新聞各社の記事を調べていますが、シャクシャイン法要祭の記事はひとつもなかったですね~
数週間前の豊平川でのアシリチェップノミもなかったと記憶していますが・・・

秋の諸行事はあらゆるところで行なわれているはずなのに。
どうしたんでしょう。自分勝手な政治界の交代劇で紙面が割けないのでしょうか。
残念ですね~


また、日誌がUP出来なくなるまえに、書ける分だけ書いておきます。
(たまった原稿には手をつけられていないのに・・・・)

先に書いたシャクシャイン法要祭に続いて行なわれた第31回北海道ウタリ協会芸能文化交流会は、
歌や踊りはもちろんのこと、皆さんの着ている着物のアイヌ紋様がどれも素敵だったこと。
本当にいいなぁ~と思います。

アイヌ民族の証しでもあるあの着物。一度だけ着せていただいたことがあります。
(わたしごときものは着てはいけないと思っているのです)

共有財産裁判の札幌高裁判決のときでした。
裁判の最初から支援のために裁判の度に留萌から通い続けて傍聴し、あの日も勝利を願っていました。
原告側の小川早苗さんがたくさんの着物を持参し、傍聴者に貸してくれていたので、
わたしも恐縮しつつ、着せてもらいました。
感動と緊張をしながら法廷に向うと、わたしたちの仲間が「似合うね~」と誉めて下さり、照れ笑い。

が、判決はひどいもので訴えを却下。裁判長らはそそくさと後ろのドアーの中へ帰る始末。

しかも・・・、腹立ちつつ脱いだところで分かったのですが、着物を裏返しに着てた・・・。
「どうりでなんか変だと思った」と、さっき誉めてくれた人がポツリ。

ガ~~~ン。判決を聞くことと、着物を貸して頂いたことに緊張して表裏も分からずにいた自分にショック!
着物の初体験はひどい思い出となりました。
だから、まだ、着物は正しく着たとは言えません・・・



この数日、波風が激しく、初冬を実感しています。海は白波が立っています。


23日のシャクシャイン慰霊祭の翌日、札幌からの帰りに、かつて石狩アイヌの豊川重雄エカシが
豊平川アシリチェップノミで使用する鮭を獲っていた漁場に寄ってみました。
先週の21日(日)に、石狩カムイノミが行なわれたことを聞いていたので、
もしかすると代表の金打さんがまだおられるかもと思ったのです。
波風激しかったのと、すでにカムイノミも終わったところだからでしょうが、祭儀の跡だけが残っていました。

豊川エカシが期間中に使用していた中古バスも撤去されており、
懐かしさと同時に淋しさが心に染み入ったひとときでした。
近く、また豊川エカシのところをお訪ねしようと思います。




シャクシャイン法要祭

2008-09-25 12:36:30 | インポート
23日は旭川カムイコタン祭に行く予定でした。
が、一度はシャクシャイン法要祭に行きたいと思い、今年は静内へ向いました。
朝5時半に家を出てお一人札幌で乗せて、10時からのアペカムイノミに間に合いました。
昼食をはさみ、午後3時までカムイノミ、イチャルパと時間をかけてシャクシャインの戦いを偲び、祈りがささげられました。
全道の31のウタリ協会支部や、関係市町村役員、また国会議員(鳩山民主党)なども参列し、多くの人たちが集いました。

午後3時からは第31回北海道ウタリ協会芸能文化交流会が講演の広場で開催され、
選ばれた16支部がそれぞれの地域の歌や踊りを披露されました。
似たような歌でもメロディが違っているのが多く、はじめて聞くものばかりでした。
実に豊かな時間を過させていただきました。
持ち時間5分と言う短い時間が残念と思うほど、もっとゆっくりじっくり聞きたかったです。
エカシやフチの熱のこもった踊りや歌にも感動。
さらに、若手が一生懸命に踊っていたのも感動。
今までのアイヌ民族関連の催しに比べ、若者が多く感じたのはなによりもうれしいものでした。
アイヌ民族以外の若者も多く来ていて、いい交流の場になっていた感じがしていました。
益々、関係が深まるといいですね。


厳かに行なわれたカムイノミ

加藤 忠ウタリ協会理事長の挨拶で、先の第二回有識者懇談会の報告をされました。
①権利回復のために立法処置をとるように。②一年間のみの審議機関ではなく継続するための審議機関をつくるように。③アイヌ民族自らがアイヌ語や文化を学べる研究センターを作るように。④国連権利宣言に照らして権利回復を行なうように。これらを国の責任で行なうよう要望したとのことです。
この件に関しては、後日により詳しい内容をいただけそうなので後日にまわします。
(関連ニュース記事を読んでも、いまいち分かりにくいものでしたが、この度、ウタリ協会から政府への詳細な要望書がA4用紙15ページにまとめられて出たそうです)


今回の加藤理事長のスピーチにも触れられていましたが、ウタリ協会が作成した「アイヌ新法案」を政府に持っていく際に(‘88)、野村義一理事長(当時)らがシャクシャイン像の前で出陣式をやったことが竹内渉著「野村義一と北海道ウタリ協会」(草風館)に記されていました。
以下、引用(P.46f)

「・・・私ら、シャクシャインの像の前に行って、明日、これから今、日本政府にアイヌ新法作れっていうことで行くからエカシ頼むぞって言って、お願いして、そして行ったわけなの。行ってそれで出したんだけど、さっぱりでさ。
 その、今度あとは二人か三人ぐらい連れて東京行った時に、自民党本部に行ったのさ。あん時に小沢一郎が幹事長だったわわけ。幹事長のところへ行っていろいろ言って話したらね、・・・「あんた、南部だなあ?」って言ったら「そうだ」ってこう言って。ああ、したら南部衆だってそう言って。それがとっても彼、親しく耳持ったんだなあ。・・・わたしが陳情に行くと親切にしてくれてね。
 ある時なんか行ったら・・・私だけ四十分ぐらいだなあ。いろんな話をして。それから「今なあ、日本政府にやれって言ったって、政府の連中は棚に上げてやらない」と。「だけど俺がやっぱり党として段取りすればできるから心配するな」ってそう言ってね。・・・それから二~三ヵ月の間に、幹事長・小沢さんが各庁に行って各庁の局長クラスに全部寄せて、そこで、アイヌの新法の問題を討議したんだね。それが始まりですよ。」


こんなことがあったんですね。今は民主の小沢さん。党を変わっても、アイヌの権利回復のために頑張ってもらいたいですね。鳩山さんは昨年もシャクシャイン祭に来られ、アイヌ民族の権利回復のために努めると言われたようですから(今年も)、党をあげてやってもらいたいものです。

新党大地の鈴木宗男さんも先の国会では二十回を越すアイヌ関連の質問を政府に出してきました。今後も続けて頑張ってもらいたいですね。

党派を超えてアイヌが日本の先住民族であることを審議し決議をしたのですから、党派の壁をなくして権利回復のために審議をしていただきたいものです。


帰りはシンガポールから学びに来ているLOSLINさん、アメリカ先住民族のところを何ヶ月もかけてウォーキングしたイヴェント(なんというイヴェントか忘れてしまいました。失礼)に参加したWAKOさん、先住民族サミットで一緒に働いたHATAさんをお乗せし、わいわいとしゃべりながら札幌へ戻りました。いつもひとりなので大変にぎやかな車中でした。

明日はまたアイヌ関連で調べものと会議があり、札幌です。




秋の落ち込み

2008-09-25 08:48:54 | インポート
なかなかUPできずにいましたが、いつも見ていてくださる方がたくさんいて
感謝と共に恐縮しています。

北海道の秋は収穫は豊かなのですが、日の入りも早くなるし波風も強くなるし、
紅葉まえに葉は枯れて落ちるほうが多いので、とても淋しいのです。
そのせいか、動いているのですがblog更新が遅くなってしまいます。
来月からいくつか話を頼まれているので準備したいところでもあるのですが。

ふ~

それに加えて、教会員の方が貸してくれたDVDを事務仕事しながら観てしまいました。
「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最後の日々」(2005年 ドイツ)
「赤いコーリャン」(1987年 中国)
さらに先日のNHK特集「戦場 心の傷」の録画していたものをみて辛くなってしまいました。



ハヤブサだろうか。ハヤブサに比べて優雅に飛んでいたのですが・・・


でも報告したい事もあるので、とにもかくにもさかのぼって報告します。

19、20日と先ほどの事務仕事やDVD鑑賞、そして日曜日の準備をこなし、
日曜日の礼拝後は、会議に出席するため名寄へ向いました。
30分ほど時間があったので、名寄市北国博物館※1へ行って来ました。
いつも名寄には出かけますが、なかなか行くことが出来ずにいました。
名寄にはわたしたちの道北クリスチャンセンター※2があり(そこでいつも会議をします)、
このセンターが以前に博物館と共催で川村カ子トアイヌ記念館の皆さんをお招きしてイヴェントを組んだということがあったので、アイヌ民具が飾られているのを見学しに行きました。

※1 http://www.pref.hokkaido.jp/kseikatu/ks-bssbk/bunrec/sisetu/na05/na05n006/
※2 道北センターは7/22blogに書いたくりちゃんが主事として働いています。