アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

「遊」講座「アイヌ民族のエンパワーメントと連帯」第1回

2014-05-22 16:24:28 | インポート
昨日は、さっぽろ自由学校「遊」の新連続講座「アイヌ民族のエンパワーメントと連帯」 に参加してきました。
第1回は、北海道アイヌ協会事務局長の竹内 渉(わたる)さんより「アイヌ協会とは? Part1」でした。
旭川・近文での解平社や、十勝アイヌ旭明社の結成、そして、全道アイヌ青年大会に関しては金倉義慧著『旭川・アイヌ民族の近現代史』に書かれていたので読みましたが、アイヌ協会の歴史を書いた文章を読んだことも聞いたこともなく、新たな学びが出来ました。ふと、榎森進さん著『アイヌ民族の歴史』に書いてはいまいか、と調べたところ、「第10章 立ち上がるアイヌー戦後編」に書いてありましたので昨日のおさらいが出来ました。加えて、結城庄司研究会編『北海道アイヌ(ウタリ)協会史?研究2ノート』が会場で配られていたので、それも参考になりました。
なんと、うれしいことに初代理事長の向井山雄さんや2代目の森久吉さん、また、小川佐助さん、野村義一さんの演説をテープで聞くことができました!

1946年2月24日に静内町公会堂にて設立総会開催。この案内状も公会堂の写真も見せて頂きました。
名称は向井山雄仮議長が「どういう名称つけたらいいでしょう」と会場に聞くと、鹿戸才斗さん(初代副理事長)が「はいっ」と手をあげて、「アイヌのことだから、アイヌでいいんでしょ」と言ったことから決まった、と。
アイヌ協会設立時の大きな柱は、新冠御料牧場の解放(なんと琵琶湖よりも広かった!!)と、旧土人保護法による給与地返還。いずれも詳しくは榎森進さんの『アイヌ民族の歴史』に詳しく書かれています。
北海道長官(いまでいう知事)の選挙や、代議士選挙に出るも落選が続き、上記の二つの運動も挫折。「敗戦直後という社会全体の混乱期、厳しい民族差別状況などもあって、ほどなく活動も停滞し、開店休業状態に陥った」(レジュメより)とのこと。
しかし、1958年に内閣にて「同和問題閣僚懇談会」が設置され、全国的に「不良環境地区改善事業」が展開される中、「市町村と道が全道のアイヌの状況を一斉調査した。そんなことから市町村のテコ入れもあり、それが再建への一つの動機となった」(貝沢正「対談 白老にて」)と。アイヌ協会は1960年に再建総会を行い(翌1961年にウタリ協会へと名称変更)、それ以降、福祉対策が中心となっていきます。

この後、後半も書き残したいところですが、多忙のため省略します。ひとつだけ、ウタリ協会は1979年に「新法特別委員会」を設置し、5年の月日をかけて1984年の総会に「アイヌ民族に関する法律(案)」を提案し、満場一致で可決されたというのです。では、今回の国の動きに対してアイヌ協会内でそのような特別委員会を立てて話しているのかを質問で伺いました。答えは、理事会がその役を担っているとのこと。
他の方が、いま国がアイヌ政策推進会議で話し合っている内容を多くのアイヌの方は知らないというがどうなのかとの質問をされました。答えは、常時、各支部(現在は各協会)に文章で知らせているし、17名の理事は各地域から選出されているので、各地の意見をちゃんと聞いて理事会にて審議し、その決議をアイヌ側の推進会議のメンバーが持って行っているので、聞いていないというのはおかしいとのこと。

次回はアイヌ協会の現在と今後を阿部ユポさん(アイヌ協会副理事長)に伺います。6月18日(水)午後7時より。
「遊」が同じビルの2階から6階に移転していて迷いました。みなさんもお間違いなく。


山が山菜でいっぱいです!
今回は字を少し大きくし、短めにしてみました。


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