アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

「樺太アイヌ民族 交易簿」が見つかったニュース

2009-05-08 11:26:50 | インポート
過日、さっぽろ自由学校「遊」主催の「先住民族の権利に関する国連宣言」を読むⅡ講演 第一回「先住民族の自己決定権と国家の責任」(相内俊一小樽商科大学大学院教授さん)を聞きに行って来ました。
相内さんのお話はとてもわかりやすく刺激も強いので、かつて伺った講演内容も過去blogに何度かUPしました。有識者懇談会へ提言を作成して送ったチ・カラ・ニサッタでも、学習会に是非ともお呼びしたいと、わたし個人として提案をさせて頂いていましたので期待度いっぱいでした。

今回の講義では全体的に先住民族の権利回復を考えるに当たっての大切な部分を再考させられました。しかし、アイヌ政策を考える有識者懇談会が報告書のまとめに入っている中、ニサッタとしてさらに要求するべきことはないかと具体的に模索しているわたしたちにとっては、正直、もっと突っ込んでお話を聞き、知恵をお借りしたかったです。今後、さらにお知恵をお借りしたいと願っています。


講義の前の時間は、早めに「遊」に着き、ニサッタのニュース発行と発送の事務作業を行ないました。有識者懇談会への提言に賛同くださったのは最終的に350人を超え、賛同者名を付してすでに有識者懇談会へ送っています(教会関係者は120名強でした。感謝・感謝)。
ニサッタでは今後もさらに学び考え、アクションを起こして行こうと考えています。

ちなみに次回は明日の5月9日(土)午後2時よりさっぽろ自由学校「遊」にて、「民族教育について」と題して、熊本大学非常勤講師のジェフ・ゲーマンさんからお話を伺います。



タラの芽をゲット。輝いています!天ぷらうまかったです。



朝型のわたしは朝に起きて祈り、その後すぐに北海道新聞やいくつかの新聞社のウェブサイトに入り、アイヌ民族や先住民族関連のニュースを見つけては保管し、紹介させて頂いています。
しかし、紙面にあってもウェブページには掲載されない記事もけっこうあります。残念ですね~。
今回、北海道新聞5月4日にも、ウェブページに載せて共有したい記事が載っていましたので以下、転載します。

樺太アイヌ民族交易現存 
ロシア和人豪商が記録
十九世紀初頭、江戸時代後期の樺太 ( 現在のサハリン〉で、アイヌ民族と和人との交易を記録した帳簿の存在が、初めて明らかになった。東大史料編纂所の保谷徹教授 ( 日本近世史〉が、ロシア・サンクトペテルブルクのロシア科学アカデミー東洋学研究所で発見した。北大文学部の谷本晃久准教授 ( 日本近世史 ) も協力して分析を進めており、樺太アイヌ民族の生活実態に光が当たりそうだ。帳簿は二冊で、それぞれ表紙に「大福帳」「簾貸帳」(すだれかいちょう)と書かれ、どちらも裏表紙には「久春古丹(クシュンコタン)番家(番屋のこと)」とある。当時の松前藩からの委託を受けて、樺太南部の久春古丹(現在のコルサコフ)でアイヌ民族との交易にあたっていた、和人の豪商のものとみられる。
(北海道新聞2009年5月4日 第1面(関連記事3面)


大福帳は文化元(1804)年 11月から3年分の取引が記録されていて、取引の相手は、「樺太南部の二十五カ所に住む百八十四人のアイヌ民族」。
和人がアイヌ民族に日本酒やたばこ、米などを前渡しして、その対価としてニシン、クジラなどを受け取っていることが分かるそうな。
簾貸帳は、大福帳と同時期に、約百九十人のアイヌ民族との取引が記録されていて、取引相手の大半が女性とみられ、和人側が必ず「簾」を受領したという特徴があるとのこと。なぜ『すだれ』が取引されたのかは謎!
この資料がロシアに保管されていた経緯なども含めてさらに調査が必要とのことです。
このような資料がどんどんと出て、当時の歴史の真実が明かされていけばいいですね。
北大の中にももっともっと貴重な資料が眠っているかもしれませんね。

そうそう、先日に白老へご一緒した真駒内教会員の時さんが、一昨年のディヴァンさんと行く台湾原住民族研修後、新聞でアイヌ民族関連のニュースがあったらすべて切り取って保管しているから必要な時に見せてくださると言ってくださいました。すごいですね。ウェブ記事は極力ストックしていますが、紙面だけのは断念していました。このようなつながりで権利回復への働きが補強されるように思います。近く見せていただこうと思っています。


まだ沢には積雪がある暑寒別岳