アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

PIRKA KEWTUM APKAS実行委員メンバー突如、来留!

2008-05-08 16:18:49 | インポート
昨日のブログ日誌にPIRKA KEWTUM APKASヒーリングウォークのことを書きましたが、
今日、その実行委員のメンバーから突然に連絡が入り、下見とお願いをしに回っているとの事。センターにも来て頂きました。
全国・外国からもウォーキング希望が出ているとの事で、ほぼ毎日10名から20名が歩くとのこと。大勢ですね~。
いろいろ話もはずみ、協力できることはないかと考えている内に、ウォーキングするコースの地名を調べて、アイヌ語の意味を随時、わたしから発信することにしました。
一緒に歩いていなくとも、共有できる部分で協力させて戴きます。

カラフト・アイヌの強制「連行」は、実際は歩いたのではなく、船での連行でした。
1874年(明8)年に、カラフト・アイヌの841人が樺太からまずは宗谷に移住させられます。1年ほどして宗谷から対雁へと「再連行」を迫られます。
カラフト・アイヌは先祖伝来の漁猟民族として生きたいという願いを持ち、対雁移住に反対し、石狩、厚田の魚場で漁業することを承諾したのですが、彼らはまず、小樽港へ連れて行かれ降ろされます。さらに船に乗せられ、船中で行き先が対雁であることを知らされ、騒然となりつつも船は石狩川を遡り、対雁に到着。一行は、抗議の意をしめし、居家建設を拒み、仮小屋のまま拾数日を過します。開拓使はその後、石狩・厚田方面の漁場を給与することを約束したそうです。(参照:樺太アイヌ史研究会編「対雁の碑」 北海道出版企画センター)




昨日の苫前(とままえ)のアイヌ語源のトマ=えんごさくの花


本日、来留された、中村さんと堀さん