~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

楽しき泥棒??

2007年02月19日 12時00分09秒 | ピアノ
朝、『子供の情景』を考え考え弾いていたら、娘が入ってきた。
よく考えてみたら、この子もピアノ習っているのだった(殴)と反省し、
ちょっとだけ練習をみてやり、
そのあとで、膝に乗せて「大変なこと」を弾いてみせた。
タイトルは教えた上で(教えなければもっと面白かったかも・・)、
「どんなことが起こったんだと思う?」ときいてみた。
すると即答。

「えとね、ドロボウがはいった」


・・・どちらかというとマーチのような曲なのに・・・考えもしなかった・・

「そうか・・・それで・・?」といって中間部を弾いてみせたならば、

「まてまて~、ってドロボウを追いかけてつかまえて、バタンて閉じ込める。
それで、ゴリラみたいに(胸をたたいて)<ワハハハハッ!>っていう」


なんだか「トムとジェリー」っぽい気もするが(笑)。
私には、「ドロボウ」という語感と、どっちかという堂々としたこの曲の雰囲気が結びつかない・・・

ただこの曲、テンポは四分音符138であって、結構速い(シューマン自身の設定なのかどうかちゃんと調べたわけではないのだけれど・・)。
ものすごく重々しく弾くピアニストもいれば、さっさと弾いていく人もいる。
基本的には、「『子供の情景』の個々のタイトルは、必ずしも曲想を具体的に表現したわけではない」と言われており、
テンポについても演奏者によってかなりの幅が見られるのだが、今いちど、楽譜を見直してみようと思っている。

う~ん・・・ドロボウか・・・・


エピソードはたまらない

2007年02月19日 00時00分14秒 | 見る・読む
ほんとに珍しいことだが、今日は1分も弾かなかった。

弾きたいのはヤマヤマだったのだが、テレビを買い換えてその配達があったので、
少しでもお片づけをしようと思い、そのためには、気合で「弾かない」ことにしたのだった。

もともと私、模様替えは趣味といっていいほど好きなのだけど、
こういうことに関してもヒラメキでしか動かない私は、今回はまったくもって腰が重かった。
だいたい文章にしても、書き始めたときは、最後までほぼ決まっているから書けるのであって、ヒラメいた青写真をなぞるようにしてしか何事もできないところが、私の長所でもあり欠点でもある。

さて、「弾かない」はいいが、ヒラメかないままボーっと子供のおもちゃを整理し始めた私は、せめて何か録画でもみようと、またいらんことを考えてしまった。
見てないものといえば・・・・そうそうあった・・・
1月2日に録った「鹿鳴館」。
これ、四季に息子さんがおられる知人からの留守電で放映を知り、でもその後旅行に行ったり、ご存知のようにピアノにかまけていて、とても見る余裕がなかった。
そうは言っても、このような気合の入った演劇を片付けなぞしながら見てもいいものか・・・
・・いや、見てはいけなかった。後悔したが遅かった。
しかも、途中でテレビが来てしまって、前半しか見られなかった

ストーリーや演技については、まだ全部みていないのだし、語ることはできないのだが、
なにがおもしろかったって、演出の浅利氏が三島由紀夫についての思い出を語ったトークがすごかった。

なんでも、三島は作品を書くときは、某ホテルにこもっていたそうなのだが、
浅利氏の事務所はそのごく近く。よく呼び出されたらしい。
たぶん電話でだと思うのだが、三島が
「今、作品を書いてるんだが、読んでみたいか?」ときく。
浅利氏はほかに言いようもないので(爆)
「読みたいです」と答える。すると三島は
「よしっ!待ってろ」みたいな感じだったらしい。

しばらくして
「一幕書いた。読みたいか?読みたいなら今日いつでもいいから来い」と電話が。
「ハイ読みたいです。何時でもいいのですね?」と念を押す浅利氏。

・・・で浅利氏は、じらし作戦なのか、遅くに三島の部屋へ行く。
すると、三島は
白いタキシードのような姿でうろうろしており、
「貴様、遅いじゃないかっ!」

と怒鳴ったのだそうだ。
「でも、何時でもいいっておっしゃったじゃ・・・」
というわけ。
タキシードを着てうろついている三島は、浅利氏によると
まるで「○女が初めて男の前で・××・・・」といった風情だったらしく、
浅利氏が読みながら
「?うん?」とか言おうもんなら
「なんだ!どうしたっ!」と。
「・・いや、ただ字が読みにくかっただけで・・」(爆)

そうして一幕読み終えて三島を見ると、顔面蒼白
具体的にここが良かったあそこが良かったと語るうちに、血の気が戻って生き生きとなったという。
ちなみに、2幕以降を読まされたことはなかったという。

そのほかにも、自身の作品についての周囲の反応に異常に敏感で、
自信と不安でがんじがらめであるかのような三島のエピソードがいくつか紹介された。

私自身はというと、若いころは、三島を読んで眠れないほど興奮したこともあったし、
勉強の必要からいくつかの小説も読んだが、特に傾倒した作家ではなかったし、
戯曲に関しては無知に近い。
が今日、「鹿鳴館」の前半だけだが見てみて、戯曲における三島の言葉の輝きに非常に惹かれた。

あと3年ほどで三島の享年を超えるわけだが、その前にひとつ読み返してみたいと思った。

舞台裏あれこれ

2007年02月18日 00時20分22秒 | ピアノ
本番に持参するものは人それぞれと思うのですが、
12日に私が持っていたものを思い出した順に。

楽譜すべて(コピーではなく、書き込みのあるほう)
ドレス
下着・靴下・靴
バスタオル・普通のタオル
ハンカチ(3枚)・ティッシュ
化粧品一式
ブラシ・くし・ジェルなどヘア関係一式
歯ブラシ
メガネ・コンタクト用品
爪きり
ソーイングセット
カイロ・手袋
おにぎり チョコレート 黒糖外郎 抹茶外郎
保冷剤
お茶
レコーダー
折りたたみできる大きな袋
レジャーシート(着替え用)

だいたい以上のようなものをスーツケースに詰めて転がしていきました。

もちろん今回はいつもよりもモノが多いですけど、
演奏する場合はたいがい似たようなセットでいきます。
コンペ等で遠征する時は、さらにいろんなものが増え、
しかも子供の身の周り一式も必要なので、大変な荷物になり、
楽譜以外はほとんど宅急便になります。

食べ物はですね・・・・食べました。
1時ちょっと前に。ということはリハーサル直前ですね(ちなみに2時半開演)。
いちおううちで昼におにぎり一個食べてましたけど、
足りなくて、舞台裏で調律の音聴きながらもう一個食べ、
それでも足りなくて黒糖外郎食べてました(爆)。
その後歯磨きしてたら、スタッフのMちゃんにばったりで、
「何やってるんですか?!」
・・・いやあ・・・そのおにぎり食べたんで歯磨いてて・・・・

休憩ではまさかこんなところで役立つと思っていなかった保冷剤の世話になり(腕を冷やすハメに・・)、
しかもお茶一気飲みしたもので、
後半出るときは、お腹ちゃぽちゃぽ言ってました

若い方と一緒のコンクールなんかだと、楽屋でお母様が着替えの世話を焼いておられることがあります。
私自身はそういう時代があまりにも過去でどんなだったか思い出せないのですが、
それはそれで、なんだか微笑ましい。
私はたいがい家族を置いて出てくるか、子供を預けるかして一人になる時間を必ず作るのですが、本番前はいろんな形があるのだなあ・・と他の方をみていてよく思います。

今回は、気がついたら息子がマネージャ役をやってて、控え室でもいろんなことやってくれてました。
さすがに着替えはMちゃんに手伝ってもらいましたけど・・・・

ひとくぎり

2007年02月16日 20時34分39秒 | 私のピアノ歴
ピアノ再開後、大人になって初めての発表会を経験した友人のブログを読んでいて、
はて、自分はいったいどうやって今に至ったかしら・・・と思い出してみた。

たしか私が、マレに(月に何分というくらいの時間だったと思う)鍵盤に触るようになったのは、98年ごろ。
このころはまだ上の子が3歳で、毎日毎日公園通い&お友達といったりきたりだったから、まとまった曲など練習していなかった。
でも大学サークルOG会のお世話を細々とやっていたので、この年の秋には小さな小さな発表会を企画し実行。・・でも自分は弾かなかった。

翌99年の秋、自分も出ようとは思ったけど、一人で弾くのも暗譜もいやで、
学生時代遊びでちょっと弾いたことがあるような気がする、モーツァルトの20番のコンチェルト1楽章を先生と2台で弾くことに。半年以上だらだらと弾いていたのではなかったか。
録音が残っているけど封印・・・たぶんヒドイと思われ・・・。

そして、その頃から少しはレッスンに通うようになり、2ページから4ページくらいの短い曲をぼちぼちと。

2000年の5月に、そこそこの規模のホールで発表会があり出ることに。
シューマンの「幻想小曲集」から<なぜに>と<飛翔>。
そのときはほんとに暗譜が大変だったのを覚えている。
特に<なぜに>。
1ページもない短い曲なのだけれど、内声が動くし、今考えてもそう簡単な曲ではないのだけど、とにかく覚えられなくて覚えられなくて大変だった。
本番でとくにどう失敗したというわけではないのだけど、
舞台に上がる違和感というか、かつてどうやってこういう発表会に出ていたのかがまったく思い出せず、ヘンな感じだった。
このときの録音も封印。

再開してからぶつかる壁はいろいろあるのだけど、私の場合は

1.楽譜を読むのに疲れる
2.今まであったはずの絶対音感らしきものが役にたたず、自分で弾いている音すらもなんの音だかはっきりと自信がない。
3.暗譜の仕方が思い出せない。(というより子供のころとやり方を変えないとできない)
4.舞台に出るということに違和感がある。

まず1はまもなく慣れてきたのだが、2が戻るには結構かかり、
さらに3&4は何年かかかった。(今でも完全に大丈夫というわけではないけれど)

考えてみれば再開して7~8年、
あるレベルまではカンが戻ったかな・・と思う。
戻っただけでなく少しは進歩しているともっとうれしいのだが。

というわけで、ここからがあらたな勉強かな、と思っている。


またピアノ曲ではない?

2007年02月15日 18時25分11秒 | ピアノ
昨日、娘のレッスンについて行って先生にご挨拶しました。
「ご来場ありがとうございました」と。
私自身の前の先生でもあるわけですから。

先生「ほんとお疲れさまでした。もしかして、あのあとすぐに次回の会場押さえて帰ったのでは?」と。
・・・先生、ご冗談を・・・
そして、私の現師匠からの伝言を。

「よく勉強してよくまとめておられました。
これからは自分の好きなもの、つまりこってりしたものばかりでなく、
これくらいで(と手である程度の薄さを示され)、ちょっと長いものもやるように」

とのこと。
・・・薄くて・・長い・・・はて?コットン100?・・・・(逃)
それはつまりおふらんすなものなんでしょうか?やっぱり。

いやそれは、もう以前から
「・・いきたしとおもへど、あまりに遠く・・・」
てですね、そういやパスポートまで切れてまして、・・・関係ないですね。

でも、娘の先生には
「そりゃもう、今年は、コンペも出ませんし、じっくりやらせていただくつもりですっ」と元気よく返事しましたよ。
そしたらですね、
「え、コンペも出られないのですか?
もしかして3人目ですか?
・・・先生、冗談とはわかってますけどね・・・おもしろすぎですってば・・・。


でですね、心を入れ替えて、
さっそくモーツァルトをば。
あ・・・フランス人じゃなかった・・・・

中1の大変才能あるお嬢さんが、現在モーツァルトの20番コンチェルトを弾かれているので、
冥途の土産プロジェクトの一環として、練習オケパートに立候補していたのです、もう相当前に。
でも、いくらなんでも、12日まではさすがにそちらには手が回らなくてやっと着手。
ここ2日で1&2楽章とりあえず弾けるようになりました。
でお嬢さんのママにメールで
「3楽章のテンポはいかほどでしょう?」ときいたならば
138です」と。

・・・・そ、それって二分音符だよね、四分音符じゃなくて・・・。
ぎょえ~~!鼻歌でも歌えん
そのテンポでオケパートはつらいです。バンバン左手飛ぶのに・・・。

はァ・・・・・・・・
ならばせめて1&2楽章だけでも練習しとこう、というわけで、
いきなり街中に召集された、友人某(笑)。ごめん・・・
「できないとこは歌でも片手でもいいからっ」という横暴なオケパートのために、
練習用ソロが駆り出される、というわけのわからない状態で(爆)、約1時間ほど。

いきなりでしたけど、やっぱりおもしろかったです。
まともに取り組むとソロパート難しいです。私もかつて泣きました。
それこそ重箱の隅を顕微鏡で見ながらつつくような練習しなければなりません。
ですが、アンサンブルはそういう弾き方ばかりでもないと私は思っています。

もし、よろしければ、歌でも片手でもいいからみなさんもやってみませんか?


<原則>のお話

2007年02月14日 14時06分02秒 | ピアノ
自作曲の扱いについて実はなにもわかってないので(いまさらなのだが・・)、
著作権を所有している某財団に電話してみました。

私 「すみません・・・あの自分の曲が今でも出版されてるとかそういうことを調べていただくことはできますか?」
係 「はい・・・ちょっと時間かかるので・・分かり次第お知らせでよろしいですか?」
私 「はい。結構です。で、ちょっとお伺いしたいのですが・・・もし、自分が自分の曲を弾く場合の著作権の扱いはどうなりますか?」
係 「たとえご自分の曲でも、たとえ何年前の曲でも、原則著作権料を払っていただくことになります」
私 「(そりゃまあそうだろうなあ。でもそんなこといったら、子供の発表会なんか現代の曲バンバン弾いてるけど、あれ払ってるんかね?)・・それはどういう時もですか?」
係 「まあ、個人宅とか私的な催しの場合はいいのですが、ホールでお客さんを集めてとかなると原則ダメです」
私 「(それってでも、ホールの客数とか規模とか有料・無料とかで正確にきまってるんかね?)なるほどなるほど。ありがとうございましたっ」

というわけです。
私の著作権(あくまでも1曲のみ)はもうウン十年前に発生していて、しばらくは店頭で楽譜もみかけましたが、今ではもう見ることはないです。
が、しかし「演奏料」という項目で年にウン十円とかウン百円とかいう単位で収入(?)があるということは、これ律儀にどなかたが演奏のたびに払ってくださっているということなのですかね?
つまり、楽譜を買った段階と演奏した段階で、さらにそれを放送なりなんなりするとその段階で発生するわけですよね、原則。

いかにこういうことが今は、原則ムリというか難しくなっているかは、さまざまな事例(特にネット関係)を考えればわかることで、
私としても、だからどうだとかどうしなきゃならないとかは考えもしないし、考え付きもしないです、まったくのところ。

こういうことで生計を立てておられる方々は、やはりこういうネット社会コピー社会ではお困りになることもおありでしょう・・・う~ん、難しいですね。

で、どこにどうやって払うんですかね、ほんとのところ・・・

ちょっとご説明をば

2007年02月13日 20時19分09秒 | ピアノ
昨日ご来場いただいた方から、メールやFAXなどいろいろいただきました。
ほとんどが知り合いなので、あたたかいお言葉をかけていただきとても恐縮です。

なかに、アンコールで弾いた曲について
「・・これ聴いたことある・・・弾いたことある・・
と思ってうちに帰って楽譜をみてみたら・・ありました!」
というメールがありました。
昨日はこの曲について
「・・・30年前、たいへん老けた小学生だった頃に作った曲です」
としか紹介しなかったので、ひとこと。

あの曲自体のタイトルは「ひとり浜辺で」といい、
組曲『少女のスケッチ』(←恥ずかしすぎますね、このタイトル)という中の1曲です。
この曲の構成は
1.光と葉
2.ひとり浜辺で
3.牧場
4.ゆれうごく心
となってまして、いつごろまでかはわかりませんが、某楽器店系の検定試験のようなもの(グレード)の課題曲になってました。

一回ですね、自分でこのグレードについて検索してみたことがあるのです。
そしたら、この自作曲を選んでくれた人のコメントがありました。
「おお、印税ありがとうございます」
と思ったのですが、なぜこの曲を選んだかを読んで笑いました。
<・・・・短かったから>

そりゃあ、短いですよ。別に超絶技巧もないし。
でも・・・せめて・・・ちょっといい曲だったから
とか言ってくれんか、というのが作曲者の偽らざる感想です(笑)。

当時は自作自演でしたので
「もうちょっと、ピアノ上手ければいいのに」とカゲで(・・・でもないか・・)こそこそ言われましたけど、
今弾いてみると、なんだか子供の作ったわりに難しいんですね。
特に3曲目なんかオール3度の符点続きでして「なに考えて作ったんだか。ほんとに弾けたんか!?」と思うわけです。
4曲目も長いアルペジオがあって、ちょっと練習しないと弾けない。
・・というわけで2曲目になりました。

曲を作っていたのは、小3から小6までのほんの3年です。
数が少ないせいもありますけど、どれもたいがい今でも空で弾ける。
当時の作文なんか何も思い出さないのに・・・・。
不思議なもんです。

みなさま、ありがとうございました!

2007年02月12日 21時35分04秒 | ピアノ
直前まで、怪我だの筋肉痛だので、大変なご心配をかけたコンサートですが、
本日、とりあえず無事終了いたしました。

まあ、細かいことをいえば、普段やらないようなミスも頻発しましたし、
専門的にいえばどうなのよ・・みたいなところもあったかと思うのですが、
ピアノを再開して7年、
1時間プログラムを、音楽を感じ続けながら雑念なくほぼ集中して弾けたのはありがたいことだと思っております。

ご来場のみなさんには、ほんとにいろいろな励まし・お土産をいただき、かつ終了後メールやファックスも多数頂戴いたしまして、ありがたい限りです。
それぞれにお返事申し上げたいのですが、本日はとりあえずここにてまとめて御礼申し上げます。ありがとうございました。


弟子の本番をおそらくドキドキしながら最後まで聴いてくださった師匠、
昨日夕方、ぎりぎりのタイミングで髪や衣装の細かいことで相談にのってくれた友人、
受付や録画録音、その他の本日のスタッフとしてこちらになんの不安も与えずに、完璧に働いてくださったサークルの友人&楽器店勤務の友人、
曲にあわせて細かくみごとな調律をしてくださったFさん、
直接お世話になった方々はもちろん、みなさんのあたたかい応援なしには本日のコンサートはありえませんでした。
私は、ほんとに「ただ好きに弾かせていただいた」だけです。


ほんと、冥途の土産がまたひとつ増えました。
このようなことがまたできるかどうかはまったくわかりませんし、
ほんとに好きなジャンルだけ弾いてきたものとしては、
これからの課題は自分でも分かりすぎるほどでありまして、
それについては本日早くも師匠から示唆をいただいておりますけど、
できることから、少しずつ取り組んでまいりたいと思っております。

とりあえずのご報告と御礼まで


やっぱり格闘技なのか

2007年02月10日 11時36分32秒 | ピアノ
昨日、和音のミスタッチとペダルのタイミング遅れを少しでも減らそう(今更ですね・・・)という練習したのですが、
どうやら筋肉が過度に緊張したらしく、本日朝から右足裏、右手甲、モーラステープのお世話に。

プロならこういうこと書かないのでしょうけど、まあ本番前によくあること(あくまでも私は・・ですけど)のひとつなのでご参考までに、と。

その姿を見た旦那、
「ほんとに場所直前の力士みたいだな」
・・・・・まだ言うか・・・・

というわけで、明日はブログお休みいたします。
もちろん日に何回かはPC開けますから、コメント等は歓迎です。
お返事はできませんけど・・・。

では、あさって、楽しんでまいります。

いちおう昭和の生まれです

2007年02月09日 21時33分30秒 | 家族・友人等
今回のコンサートにあたって、チラシに生まれ年を入れた。
「30代半ば以降に再開した」ということと、
「私の年齢前後の方々のピアノ熱は見逃せない」というふたつのことを踏まえた上でのことだ。

私としては、
「おおっ、結構、年いってるんですなあ」的反応を期待していたのだが、
ここへきて
「え~・・意外と若いのね」なる声もちらほら聞こえだして、どう反応したものかと思っている(笑)。

これは・・つまり・・その・・

年齢不詳なのは今に始まった話ではなく、

12歳の時は高校生に
19歳のときは28歳に
大学生の時は同学年の子のおふくろさんに

間違われた。見かけ年齢と実年齢の差は、
12歳の時は(高校1年に間違われたとして)、4歳のプラス
19歳の時は、9歳のプラス
大学生の時は難しいけど、まあ結婚が許されるのが16歳として16歳のプラス
ということになり、
ちゃんと対応しているわけではないけど、関数のグラフのように増えているわけで、となると今はいったいどうなんど・・となるのだけれど、
そうなると、これはもう妖怪並の見かけになってしまい、いくらなんでもそこまでは・・と思いたい(爆)。


で、そういう話を旦那にしたところ
「いやあ、それにしても、チラシによく生没年入れたよねえ」と。

・・・・まだ没しとらんわ・・・・