~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

いけない音楽はないのか?

2010年12月22日 13時26分51秒 | その他音楽
青少年なんとかにより、「よろしくない本(と大人が判断したもの)」の追放が一部で叫ばれる昨今ですが、ずーっと以前からの私の疑問・・・・文章・絵については「これはちょっと・・」という判断ができるけど、音楽についてはそういうのはないのであろうか?ということ。

もちろん歌であれば歌詞がありますからね、そこは詩というか文として適不適の判断があるでしょうけど、歌詞のない楽曲の場合はどうなのか?

音楽においても、国によって時代によって取り締まられた歴史というのはありますね。
戦争中だと「敵性音楽」だとか、あとかつてソビエトでは「反体制」だとかいう名目で、音楽家は大変な目に遭ったわけですが、
そういう政治的なことではなくて、「これは性表現が含まれているのでいけません」という音楽ってないのかなあ・・と中学の頃から(まったくどういう子どもなんだかっ)不思議に思っておりました。

・・・ないわけではない、と思ってます(笑)・・・

それは「どの曲のどこですか?」と言われると困ってしまうのですけど、「性表現」とまではいかなくても、それに準するような表現はおそらくあるんじゃないかと。
そういうところを、たとえばイタイケな子どもがなにかのはずみで(教えられて・・という可能性もありますが)上手く弾いてしまうと、「どっきーん」としてしまうし、
逆にいい大人が素通りしてしまうと「・・え?なんで・・なんでなんともないの?」と歯ぎしりしてしまう(・・するなよ)。

・・・だから音楽はいいんですね、好きなんです(殴)。

それは曲そのものがそういう要素をはらんでいるという場合もありますけど、
逆に演奏者によって、「・・・これってそんな曲だったの?」というものになってしまうこともあるわけで、それは演奏者の嗜好というものが出た場合もあるでしょうし、その作品からその演奏者だけが「これだ!」と感じ取ったものであるかもしれません。
ふつう明るい喜ばしい曲として弾かれるものが、このうえなくグロテスクなものに変容する可能性すらもあるわけです。

ということは、ある曲を弾いて、その感性の受容体を擁する聴き手にだけ、「危険な(?)メッセージを送る」ことも可能だということになります。

・・・だから音楽はたまらないんですね、邪道な接し方なのかもしれませんけど(逃)。

そういうことが、「そうだそうだ」ということになってキケンな作曲家とか演奏家とかが取り締まられるようになってしまうと困るのですけど(笑)、まあそういうもんですよね、人を動かすものは毒にも薬にもなるということでございましょう。

どんな音楽でも自由に聴ける世の中っていいですね~。