本日「母の日」で、<さらに母道に精進せよ!>ということらしいので(笑)、
朝から精一杯働かせていただきました。
うちは5月11日が私の、15日が息子の誕生日で、だいたいその付近に母の日もくるので、
<3点お買い上げで大幅割引>的な、主婦としてお買い得、個人としてはどうも騙されたような妙な感じ?がします。
11年前の今日というと、陣痛にうんうん言いながらも、某宗教の教祖逮捕のXデーが非常に気になっていた時で、なかなかスリリングな時間でした。
たしか14日の朝おきたらお腹が痛くなっていて、「いよいよだな」とまずピザを頼み、シャワーを浴び、病院に電話したら「そんなのまだまだ産まれませんから、ゆっくりしてきてください」と。
でも何していいかわからないまま一人でピザを食べ、主人が帰ってきたのでやることもないので病院にいったら
「まだまだですよ~。ご主人は帰ってください」と言われ、主人は帰ることに。
結局は、15日の朝に帝王切開で出産したのですが、これも以前書いたように、こっちが死にそうなくらい陣痛きてたのに「機械の針は全然触れてませんよ。これくらいがんばりなさい」と励まされ、結局それは分娩監視装置の故障だった・・という笑えない経緯があったのでした。
しかも帝王切開には同意書がいるのですが、病院が「そろそろ産まれそうですよ」と心配させないようにのんびりした電話をしたせいか、
急なこととも思わず主人は慌てずに病院にきたらしく、その間私は「陣痛はくるけど産んではいけない」というジレンマの中、1時間近く待たされたのでした。
という「息子の誕生日」というより「私の戦いの日」なので、
それを記念し、頑張ってケーキらやペットボトルやら刺身やらかついで、
当時をしのんで(!?)、坂をうんうん言いながら上がってみました。
余談ですが、私の小学校の時は「楽しい遠足」と「苦しい遠足」があり、
「楽しい」ほうはお菓子も可、バスで遠くの公園などへ行ったものでしたが、
「苦しい」ほうは別称「エンコまたはエンコウ(ちょ、ちょっといかがわしい語感も・・・)」と言い、もちろん「遠行」と書くのですが、
関が原で敗走した島津軍とか西南戦争で苦労した西郷さんをしのび、日の丸弁当と水だけを持って、気候の悪い時期に無言で何キロも歩くというスパルタなものでした。
・・・・・・・これいちおう言っときますけど、明治時代とかそういうんじゃないですよ。私の小学校の頃の話です。
母の日は、そういうわけでなぜか「奮励努力」な一日なのでした。
朝から精一杯働かせていただきました。
うちは5月11日が私の、15日が息子の誕生日で、だいたいその付近に母の日もくるので、
<3点お買い上げで大幅割引>的な、主婦としてお買い得、個人としてはどうも騙されたような妙な感じ?がします。
11年前の今日というと、陣痛にうんうん言いながらも、某宗教の教祖逮捕のXデーが非常に気になっていた時で、なかなかスリリングな時間でした。
たしか14日の朝おきたらお腹が痛くなっていて、「いよいよだな」とまずピザを頼み、シャワーを浴び、病院に電話したら「そんなのまだまだ産まれませんから、ゆっくりしてきてください」と。
でも何していいかわからないまま一人でピザを食べ、主人が帰ってきたのでやることもないので病院にいったら
「まだまだですよ~。ご主人は帰ってください」と言われ、主人は帰ることに。
結局は、15日の朝に帝王切開で出産したのですが、これも以前書いたように、こっちが死にそうなくらい陣痛きてたのに「機械の針は全然触れてませんよ。これくらいがんばりなさい」と励まされ、結局それは分娩監視装置の故障だった・・という笑えない経緯があったのでした。
しかも帝王切開には同意書がいるのですが、病院が「そろそろ産まれそうですよ」と心配させないようにのんびりした電話をしたせいか、
急なこととも思わず主人は慌てずに病院にきたらしく、その間私は「陣痛はくるけど産んではいけない」というジレンマの中、1時間近く待たされたのでした。
という「息子の誕生日」というより「私の戦いの日」なので、
それを記念し、頑張ってケーキらやペットボトルやら刺身やらかついで、
当時をしのんで(!?)、坂をうんうん言いながら上がってみました。
余談ですが、私の小学校の時は「楽しい遠足」と「苦しい遠足」があり、
「楽しい」ほうはお菓子も可、バスで遠くの公園などへ行ったものでしたが、
「苦しい」ほうは別称「エンコまたはエンコウ(ちょ、ちょっといかがわしい語感も・・・)」と言い、もちろん「遠行」と書くのですが、
関が原で敗走した島津軍とか西南戦争で苦労した西郷さんをしのび、日の丸弁当と水だけを持って、気候の悪い時期に無言で何キロも歩くというスパルタなものでした。
・・・・・・・これいちおう言っときますけど、明治時代とかそういうんじゃないですよ。私の小学校の頃の話です。
母の日は、そういうわけでなぜか「奮励努力」な一日なのでした。