奥札久留バス停の横にこの碑はあります。
大正8年7月15日に札久留尋常小学校所属奥札久留特別教授所として開校。
サクルー原野最奥地にあるために札久留小学校に通えない子弟のために設けられました。
これにより学齢年齢のほとんどが不就学だった教育環境が改善されました。
その後昭和9年3月22日に尋常小学校に昇格し奥札久留尋常小学校になり、
昭和16年に奥札久留国民学校に改称されています。
終戦後の昭和22年4月1日に奥札久留小学校となり、
同23年4月1日に札久留中学校分校が併置され26年に中学校が独立し奥札久留小中学校となる。
時代は下り学校が開発庁の依頼により気象観測が開始されるなど、
教育環境が充実していきます。
しかし過疎化により昭和46年度に廃校になりました。
かつては60人を超えた児童・生徒数も今や地区に住む方は3世帯6人(2010年)、
今は1か2世帯かと思われる。
今ここに立っていると、そんな時代があったことなど想像だにできません。
ですが全道各地、そのようなところは至る所にあります。
ここはそんなエピソードを持つ一つの地区にすぎません。
ところで、町史には“開発庁の依頼により気象観測”とあります。
それを物語るように同じ敷地に謎の“ブツ”がある。
何らかの観測施設と思われますが、これが気象観測施設なのか。
一体何を観測しているのだろうか、気になります。
基地局なのですね。
人家もほとんどない奥地にも整備しなければいけないのですね。
社会のインフラ、ですねぇ。