世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

「母の日」!痴呆症の母に思う ぼく誰か分かる?と聴きたいが!

2008年05月11日 | Weblog

何時もの事ながら定番の質問を繰り返す。1週間に1回は必ず母の入居

している施設を訪れる。開口一番、発する言葉は“ご飯おいしい? たくさん食

べないと!・・・”が何時もの言葉である。母曰く、“当り前さ、たくさん食べないと

どうする!”・・・と健常な大人の会話だ。それが聴きたくて同じ言葉を発する。

その言葉を聞くと安心する。瞬時の会話は健常な大人とちっとも変らない。しか

し1分も経たないうちに直前の言葉さえ忘れている。それが痴呆症の特徴だと

専門の先生はおっしゃる。さもありなん、と納得する。今日は「母の日」!世間

の常識に沿って何かをプレゼントしようと思ったが適当なものが見当たらない。

高価なものだと紛失したり、置き忘れなどして適当ではない。カーネーションで

は“これ何ね・・・”と言って訝(いぶか)るに決まっている。世間の常識は通用し

ない。考えた末に、手にはめる磁気製か陶器製の輪をプレゼントすることにし

た。これなら、はめているから無くしはしないだろうと考えたからだ。次の日に、

ちゃんと手にはめているか気がかりになる。でも、まあ、いいや、紛失しても、も

ともと だ。そう思ってその日は、おしゃべり三昧で帰宅した。思うに肉親の殺傷

事件の報道に接するたびに、こうも世の中が荒れ果てたのかと嘆かわしくな

る。ごく平凡な常識人には考えられない事が、あまりにも頻発している。原因は

いろいろあるだろうが、<短絡的で前後の見境もなく直情的に即 行動に移す

>。それが共通した一般的傾向だと思う。何故、そうなるのか、原因究明は専

門家に任せるとして人間の自然の情愛は親子でも兄弟姉妹でも古今東西、変

わらぬ普遍的なものだと思う。どこか歯車が狂ったに過ぎない。そう思えてなら

ない。学校、職場、地域共同体、社会全体でその事にもっと関心を持つべき

だ。「母の日」に因んで、そういう事を考えてみた。私個人的には、どうしても母

に聴きたいが、聴けない悩みがある。それは“このぼく、誰か分かる?”という

質問だ。普段はごく普通の会話をしているが、本当に誰か、知っての会話なの

か、疑問に思っているからだ。仕草や言葉の端々からそう思えてならない。「ま

ともに、お前誰だったか?」と言われるのが怖いからである。それで聴くに聴け

ないのである。自分の子なえ、たとえ痴呆症と言えども、他人だと思われては、

あまりにも情けない。悲しい。痴呆症を抱えている人から涙ながらに、そういう

事を聴かされる度に自分の母は、そうではない、と思いたくなる。それが子の

親に対する自然の情だ。めそめそした事を滔々と述べてきたが親子の情愛は

不変だと思っているからこそ開陳したまでである。・・・

●付記:「儒教思想」云々は不問にしたい。