年年歳歳 人同じからず、歳々年々 花相似たり!・・・毎年、年の瀬に思う
感慨である。歳を一つとる毎に親しい友の冥土への旅立ちに寂寥感が全身を
襲う。人は誰でも生を受けて、何時しか黄泉の国へと旅立つ。生きとし生けるも
のの宿命である。厳然たる自然の摂理には逆らえない。同年輩の訃報は身に
つまされ我が身を案じる様になる。何時しか自分の順番が早晩、訪れるであろ
う事を思うと、ある種の儚さと未練を感じる。子や孫に言い残しておきたい事は
何だったのか、考える様になる。そのため自分史を認める方も居られる。子は
思うかもしれない―親は、いつまでも生き永らえる存在だと―。だが親だって生
身の人間、何時、あの世行きになるかも知れないのだ。後悔先に立たず、で普
段から相談事や四方山話でもしておくべきだ。死路への旅支度は早ければ早
いほど、いい。例え、あと50年、生き永らえようが準備万端、何時、冥土へ旅
立っても余裕があるにこしたことはない。現今はそれが常識になっている。新
聞紙上でも、その道の広告は数多ある。早いうちから準備しておくに限る。暗
い叙述になったが人間の宿命たる厳粛な終末の準備である。若かりし頃から
豪放磊落を自認してきた私だが、最近、神妙に考える様になった。それも同
輩・同窓が去りゆく現実に否が応でも、その厳かな事実を突きつけられたら考
えざるを得なくなる。・・・吾が親愛なる友よ!お互いに準備はしておこう。残さ
れた者達に迷惑をかけない為に!・・・