八咫烏の声

神社の行事、社務などの日記です。

細川家の至宝

2012年02月16日 13時07分10秒 | 研修会

2月も半ばを過ぎました。

早いですね。

こんにちはI権禰宜です。

さて、昨日は毎月恒例の竹田研究会が行われる日であったため、宮司・K出仕とともに福岡方面へ行ってまいりました。

そのついで・・・ではありませんが、現在太宰府の九州国立博物館で『細川家の至宝』展が開催されていましたので、良い機会なのでこれを拝観してきました。

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『細川家の至宝』

細川家とは足利義康(足利初代当主)の庶子である矢田義清から始まる武家で、鎌倉~現代までおよそ700年間に渡って代を重ねた名門の家柄です。


細川家といってまず真っ先に思い浮かばれるのはやはり細川頼之でしょう。Hosokawa_yoriyuki 

細川頼之(1329~1392)前賢故実

幕府管領として3代室町将軍・足利義満を補佐し、ライバルの斯波義将とともに室町幕府の最盛期を築いた名管領です。


次に思い浮かぶのは細川勝元でしょうか。

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細川勝元(1430~1473)龍安寺蔵

弱冠16歳で管領となり、応仁の乱では東軍の総帥となった当時の幕府随一の実力者です。また石庭で有名な龍安寺を建立した事でも知られる文化人でもあります。


勝元の子・細川政元も有名ですね。

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細川政元(1466~1507)龍安寺蔵

10代室町将軍・義稙(義材)を廃して事実上の天下人となり、細川政権(京兆政権)を打ち立てて「半将軍」の異名を得た人物です。

政元が樹立した細川政権は彼の死後(政元の末路は謀殺)、一族の内紛に見舞われる等、決して安定的な政権では無かったものの、戦国中期に三好長慶に駆逐されるまでの半世紀間、日本の中央政権として存続し続けました。


さてそんな中世日本史を彩った細川家ですが、管領となった細川家(京兆家)と現在有名な旧熊本藩主の細川家とは限りなく・・・『別』の家に近い存在です。

現在有名な細川さんは安土桃山時代に織田信長・豊臣秀吉に仕えた武将・細川藤孝(幽斎)が事実上の祖です。

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細川藤孝(1534~1610)天授庵蔵

藤孝は15代将軍・足利義昭の側近として仕えた細川家の末流の一人で、同時に当代一流の文化人として天下にその名を知られた才人でありました。

この頃にはかつて天下の政権を担った細川京兆家は没落し、実質彼とその息子・忠興(三斎)の親子2代で 作り上げたのが「細川家の至宝」の細川家です。

忠興は関ヶ原の合戦で武功を挙げて豊前小倉40万石を与えられ、さらにその息子・忠利の代に改易された熊本藩主・加藤忠広の後釜として肥後熊本54万石を与えられて以後熊本藩主として明治を迎えます。

明治期の当主・護立侯はその祖先である藤孝の血を色濃く受け継いだのか、明治期を代表する文化人として数々の文化財コレクションを蒐集し、東京目白に永青文庫を設立。細川家の所有する宝物を今に伝えています。


今回の「細川家の至宝」ではその永青文庫の所蔵品から国宝・重要文化財を含む選りすぐりの名品を展示してあります。

歴代熊本藩主所用の具足から、宮本武蔵の「五輪の書」まで・・・

見どころ満載の特別展となっていますので期間中はぜひ九州国立博物館に足を運んで見られてはいかがでしょうか?

ちなみに私の一番の見どころは重文・『細川澄元像』

平安神宮時代祭の「管領」役はこの肖像画を元に再現したとかなんとか・・・。

この「細川家の至宝」は3月4日(日)まで開催されています。


さてさて・・・展示物を堪能した後に天満宮の表参道をぶらりと歩いてみました。

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生憎の雨模様なのですが・・・人が多いです。

さすが太宰府天満宮

すごいなー・・・と歩いていると、

・・・あ。

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・・・ってなんだこりゃ。

よくよく見てみるとスターバックスコーフィーの文字。

そうここは「スターバックスコーヒー太宰府天満宮表参道店」です。

この特徴的なデザインは著名な建築家・隈研吾氏の設計によるもの。「自然素材による伝統の現代の融合」をコンセプトに昨年12月にオープンしたての店舗です。

なるほど・・・伝統と現代が融合して独創的です。

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天満宮の参道を見ながらコーヒーブレイク。

そして持ち込んだ梅ヶ枝餅。

不思議な感覚です(笑)


I権禰宜