8時、起床。
さて、朝食を作ろう。
チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
「少子化加速」の記事。将来の社会を推測するときの一番基本になる(大きく予測の外れることのない)変数が人口学的要因である。少子化=高齢化(老人の社会に占める割合の増大)と長寿化(個人の一生における高齢期の延長)によって、「高齢者の生き方」がこれからの(すでに)日本社会の大きな大きな課題となっている。それは高齢者だけの課題ではない。超高齢社会の中で生きるすべての人々の課題である。
本日の『あんぱん』。国民学校の教師として、のぶはタテマエとホンネの解離に悩み始めている。
赤紙が来て、郷里に帰る崇はその前に銀座のカフェで美大の恩師と実母と会う。軍隊生活への不安を口にする崇に母は「あなたが軍隊でちゃんとやれるわけないでしょ」と身もふたもないことを言う(母親としてのホンネである)。
ところでこのとき彼らが珈琲カップで飲んでいたのは何なのだろう? 紅茶? 昆布茶か何か?
『桑田佳祐のやさしい夜遊び』をタイムフリーで聴きながら(全国ツアーを終えての生放送)、昨日のブログを書く。
チャイの後ろの本棚に見慣れる本が・・・、妻が自分の本(コミック)を私の書斎に持ち込んだのだろうか?
『デスノート』だった。私が自分で買った数少ないコミックの一つである。全12巻のはずだが、第10巻がないな・・・。どこへ行ったのだろう。
昼食を食べに出る。暑い。『真昼の血糖値』という駄洒落がまた頭をよぎる。
「吉岡家」へ行く。
注文するものは家を出るときから決まっていた。ソーメンである。
注文を済ませてから長谷川四郎『シベリア物語』から「ナスンボ」を読む。「アンナ・ガールキナ」「ラドシュキン」に続いてこれも人名(作品の主役)をタイトルにした作品である。違うのは前二作のようにロシア人ではなくモンゴル人の名前であることだ。
「ナスンボは平原に生まれた。ある時、彼は馬に乗って馬を追いかけた。逃げる馬は、たてがみも尻尾もぼうぼうとのびて、怪物のように疾走した。ところで、時期が悪かった。ノモンハン事件の直後だった。目に見えない国境線がやかましかった。ナスンボは知らなかった。知らずに彼は国境線を越えていた。まるでゴールにでも入ったようだった。鉄砲が鳴りひびいた。勝負がついた。逃げた馬は逃げてしまった。ナスンボの乗った馬は停止し、うなだれた。ナスンボは下馬した。むこうから見知らぬ兵隊がやって来て、ナスンボの腕をとり、奥へと案内し、つれていった。こうして、つかまえられたナスンボの生活が始まった。」
気の毒なナスンボ。ノモンハン事件は1939に起こった満州国とモンゴル人民共和国との間で起こった国境紛争だが、満州国の後ろには大日本帝国が、モンゴル人民共和国の後ろにはソビエト連邦がいたから、大規模な軍事衝突となった。村上春樹は『ねじまき鳥クロニクル』の中でノモンハン事件(という言葉は使っていないが)を取り上げている。読者は、あの捕虜となった日本人将校の凄惨な拷問シーンのことを忘れらることができないだろう。
今シーズン初ソーメンである。同じ初物でも、冷やし中華は義理で注文しているようなものだが、ソーメンは違う。私はソーメンが大好きなのだ。
氷水に浸かったソーメン。浮かんでいるトマトとキュウリがソーメンの白さを引き立たせている。似ているが冷や麦はソーメンよりもちょっと太い。私はソーメンの方が好きだ。
ソーメンだけでは淡白なので、もり蕎麦のとき同様、サイドメニューは茄子の生姜醤油焼き。これがとてもよく合うのだ。野菜の天ぷらよりも腹が膨れなくていい。
ソーメンをすすりながら「ナスンボ」を読み続ける。作品中、一番印象的なのは、ナスンボがトラックの荷台に乗せられて乾草の運搬作業のために400キロ(!)離れた場所に「出張」したときの描写だ。本当に気の遠くなるような距離だ。トラックは大きな高原を越え、大きな湖の岸辺を疾走し、大きな町や小さな町を通りすぎ、松林を抜け、山を越え、野原を走り、畑のそばを突進し、羊の大群のいる草地を抜け、平野を疾走し、小さな町に入った。そこは通過点に過ぎなかったが、ナスンボには懐かしい風景に見えた。
「夜とともに小さな町の中へ入っていったトラックは速度をゆるめた。ナスンボはぼんやりと家々の明を見た。それから眠りをはらいのけるように頭を振って目をみはった。それはまことに小さな静かな町で、街路は一本しかないようだった。窓口からの光が道の上に縞を描き出して、その上をまばらに数名の人々が歩いていた。ナスンボは夢で故郷へ帰ったような気がした。ただ、長いあいだ故郷をはなれていて、今、帰ってみると、むかしは平原に遊牧していた一族の人々が、今は定住し、平和な町を作り、昔よりも遥かにゆたかな生活をしているように思われた。ナスンボは眼をみはった。窓々の中には人々が食卓について食事をしているところや、また湯沸し器やミシンなどもちらりと見え、ナスンボの知っている普通のロシア人の町と少しも変わらなかったが、ただ奇矯なことに、この町では男も女もみな蒙古人の服装をしているように見えた。気のせいか、どこからともなく、革くさい匂いがかすかにただよって来たが、これこそまさにナスンボにとって大へん親しみ深い匂いだった。彼は眼をみはった。街路に射している電灯の光の中を、短いチョッキを着て、長いゆるやかな蒙古風のスカートをつけた少女が歩いていた。
非常に速度をゆるめた運転手は通行人の一人に声をかけた。ナスンボは思わず耳をすました。突然、蒙古語が聞えて来そうだった。彼は一瞬、自分はここでおろされるのではないかと思って、兵隊の方を見た。兵隊は外套をかぶって寝ころんでいた。そして、一方、通行人から聞こえて来るのは、ナスンボにはよく解らない、流ちょうなロシア語であった。と、同時にトラックは速度を増して、再び突進を開始した。小さな町の灯火は見る見るうちに夜のかなたに没してしまった。」
気の毒なナスンボ。彼はこの後、しばらくして、トラックから飛び降りて逃げ出す。大分進んでから兵隊はナスンボが荷台にいないことに気づく。トラックはフルスピードで引き返して、ナスンボに追いつく。私はナスンボが脱走の現行犯で射殺されてしまうのではないかと思ったが、幸い、そんな気の毒すぎることにはならなかった。
「ナスンボ」を読み終えて、蕎麦屋を出た。
帰宅して昨日のブログを書き上げた。
途中、LINEの連絡が2件あった。1件は句会のグループLINEのもので、次回の句会についての確認だった。次回はメンバーの一人、書道家の恵美子さんの仕事場で行うリアル句会+Zoomも併用してのオンライン句会というハイブリットな句会となる(もちろんこれまでのオンライン句会同様、事前選句での参加もあり)。初めての試みなので、会場を提供してくれる恵美子さん、投句先で作品リストの作成を担当する犬茶房さんらと諸々の段取りの確認。
もう1件は「ティールーム101」のマダムから。お店のインスタを何者かに乗っ取られたそうだ(!)。確認すると確かにそのようである。かなりパニックになっているので、そういう話はよく聞くので、ということは、対処の方法もマニュアル化されているので、まずは落ち着いて、手順を追って対処しましょうと伝える(対処法を説明したサイトを紹介する)。
珈琲豆が切れたので、「きりん珈琲」に電話で注文し、6時過ぎに受け取りに行く。
苺のクリームソーダを飲みながら、焙煎が終わるのを待つ。
焙煎が終わったが、もう少し滞在。
昼間はあんなに暑かったのに、夕方の風は涼しかった。
夕食は鶏モモ肉とピーマンの味噌煮、タラコ、沢庵、卵と玉ネギの味噌汁、ごはん。
食事をしながら、観れるドラマ(録画)がなかったので、こういうときのために撮り溜めてある『ドキュメント72時間』の中から「春を走る パンの移動販売車」を観る。以前、コンビニの移動販売車を取り上げた回があったが、あのときは山村を回っていたように思う。今回のパンの移動販売車は都市の住宅街や大きな団地や老人ホームや病院が主たる対象である。私も若い頃、3週間ほどの入院生活を経験した際、病院の玄関先にやってくるパンの移動販売車のお世話になった。あれは退屈な入院生活の小さな楽しみであった。
メールを何本か書き、明日のブログのプロットを作る。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
「はてなブログ」への画像の移行(1つ目のファイル)は午前1時の段階で17116枚まで進行した。
1時15分、就寝。