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フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月1日(火) 曇り

2025-07-02 13:44:13 | Weblog

8時半、起床。

今日から7月。去年までだと「夏休みまであと一カ月」と思うところだが、今年(から)はそれがない。私の夏好きは「夏休みがあるから」というのが主成分なのかもしれないとは常々思ってきたが、これまではそれを検証する術がなかった。今回初めて、「夏休み」を除去した、「毎日休み」という状況の中での夏を経験することになる。はたして「夏なんてただ暑いだけじゃん」となるのかどうか、「それでもやっぱり夏が好き」となるのかどうか、答えは8月末には出るだろう。

目白大学の品治(ほんじ)佑吉さんから朝一番(7時)でメールが届いた。「拙著受賞のご報告」という件名である。去年の8月に出版された『人生と闘争 清水幾太郎の社会学』(白水社)が、6月28日(土)に神戸大学で開かれた日本社会学史学会大会で、研究奨励賞を受賞したという報告だった。それはおめでとうございます。

本書について私は日本社会学会の機関誌『社会学評論』300号(2025年3月)に書評を書いた。「清水幾太郎」という名前が単独で書名に入っている既刊の清水幾太郎研究書6冊と比較て、本書の独自性について書いたものである。

 「本書はこれら既存の清水研究にはない独特の視点から書かれている。品治は社会学者としての清水の大きな特徴を「彼が終戦後の総合雑誌の連載や幾度にもわたる自伝の執筆を通じて、「人生」を語る社会学者であったという点である」(p.18)と指摘している。清水が自身の人生を語る社会学者である点は、品治の指摘を待つまでもなく、清水の読者にとっては周知のことであるが、品治の独創は、「清水にとって社会学とは、人々のそれぞれの人生の中の「闘争」を捉える試みであった。清水の見るところ、人々が生きるおのおのの人生は、それ自体が社会との複雑な葛藤の中で紡がれるものであり、彼は社会学を通じてそうした個々の人間と社会との関係のありさま――清水のいわゆる「個人と社会の闘争」を多彩な手法を通じて、具象化しつづけた」(p.28)という指摘にある。つまり自身の人生を語ることは、「個人と社会の闘争」という社会学の根本問題であると清水が一貫して考えていた主題にとって相応しい方法であったということである。」

 「(中略)清水が、戦後、あたかも事例報告のように、自身の人生経験を赤裸々に語り始めた理由は複合的であるが、品治が注目するのは「読者」の存在である。『私の読書と人生』の原型(最初の数章)は雑誌『思索』に「読書の日記」という通しタイトルで連載されたものだが、このとき雑誌の編集者として清水に原稿の依頼を行ったのが安田武(当時26歳)である。安田は中学生の頃から清水の著作の熱心な読者であったが、編集者となった安田は清水の熱心な読者たち(社会学青年)の代表として、清水に彼の読書遍歴と人生のリアルな関係について書くことを求めたのだった。書き手というものは、たんに自分が書きたいことを書くのではなく、同時に、読み手が求めているものを書くのである。「読者」の存在への着目は本書の一番の読みどころである(評者としては、「読者」の存在に加えて、清水が自身の体験を赤裸々に語るための新しい「文体」の獲得=太宰治の影響をあげておきたい。)」

 品治さんは1985年生まれ(私の娘と同じだ)の若い世代の清水幾太郎研究者である。今後、ますますのご発展を期待しています。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。今日のソーセージは目玉焼きと一緒にフライパンで焼くのでなく、鍋で茹でた。ホットドッグのソーセージである。

本日の『あんぱん』。高知新聞社は夕刊の発行を申請した。夕刊の編集長には東海林が指名され、石清水とのぶは夕刊の担当になった。東海林は二人に言った、「俺は新聞を信用していない」。戦時下で翼賛的な記事を書いてきた苦い思いがそう言わせたのである。のぶの場合は、愛国教育を信じてそれを実践してきたわけだが、東海林の場合は翼賛的記事のうさん臭さを知りつつそれを書いてきたのである。

清水幾太郎は戦時中、読売新聞の論説委員をして社説などを書いていた。当然、翼賛的な内容である。戦争が終わって彼は自分が戦犯の一人になるのではないかと覚悟していたが、そうはならなかった。しかし、戦争協力者であることは間違いない。

 「戦争が終ると同時に、読売新聞社に辞表を出したが、暫く出社していてくれ、と言われ、出社だけはしていたけれども、私は、既に退社した人間のような気持になっていた。ところが、意地の悪いもので、その頃から、私が社説を書く頻度が急に高くなり始めた。(中略)敗戦に伴う大きな転換に関する一般的な思想的な諸問題を論じるほかはない。それは、結局、私の仕事になった。気持は早くから社外の人間の心算でありながら、私は頻繁に社説を書いていた。」(清水幾太郎『わが人生の断片』「敗戦の日」より)

 「敗戦の日に続く数年間、私は、如何にも歯切れの悪い態度で生きて来たようである。自分では、正直な気持で考え抜き、大いに筋の通った文章を書いていた心算であったが、敗戦による価値の転換というのであろうか、新しい善玉と悪玉とで組立てられた張りつめた状況の内部に自分を据えてみると、私の態度は、われながら中途半端なものに思われた。この態度は、昭和二十三年の秋、後に述べるような事情で私が平和運動へ入って行った頃まで続いたようである。」(同上)

「戦中」と「戦後」の間には「終戦直後」という一種のエアーポケットの時期があったのである。それは清水にあったように、『あんぱん』の東海林にもあったし、崇にもあったのである。

闇市で米軍からの払い下げ品(家庭ごみのようなものである)を売り始めた崇と健太郎。その中に『HOPE』という雑誌があった。

そこには漫画が載っていた。

一方、のぶの妹メイコもラジオから流れて来る歌に「希望」を見出していた。

NHKの番組「のど自慢」であった。

『福のラジオ』を聴きながら、昨日のブログを書く。

ブログを書き終えて、『ガルシア=マルケス中短編傑作選』(河出文庫)をネットで購入。

キンドルを鞄に入れて、昼食を食べに出る。「ルノアール」あたりでサンドウィッチでも食べながらじっくり読もう。

しかし、途中で気が変わった。

「銀ダコハイボール酒場」でソース焼そばが食べたくなったのである。この誘惑には抗えない。

もちろんハイボールは飲めないからウーロン茶(税込385円)を注文する。注文を受けた店員さんが「ウーロン茶?」と言う顔をした。よく言われるけど、飲めそうに見えて下戸なんだ、と心の中でつぶやく。

そしてソース焼そば(税込682円)。メニューの名前は「銀の焼そば」である。

焼そばを食べながら、冒頭の「大佐には手紙は来ない」を読み始める。最初、酒場特有の大きなしゃべり声がうるさかったが、読み進むにつれて気にならなくなった。この本には10作品が収められているが、私にとって誤算だったのは、「大佐には手紙は来ない」は一番長い作品(中編小説)で、本書全体の約4分の1のボリュームを占めていることだった。焼そばを食べ終わり、ウーロン茶をちびちび飲みながら読み進めたが、店内で読み終わるのは難しようだった。

続きは家に帰ってから読むことにした。

「プレミアムコーヒー」で購入したアイス珈琲「天空のコロンビア」を飲みながら「大佐には手紙は来ない」を最後まで読んだ。小説の舞台は南米(おそらくコロンビアあたり)であるから、まさにベストマッチと言えた。

 「「天空のコロンビア」は半分ほどストレートで飲んだ後、牛乳で割って、アイスカフェオレにすると二度楽しめます」(私はチャイですが)。

マルケスの作品を読むのは『わが悲しき娼婦たちの思い出』(新潮社)に続いて2作目(映画化された作品ではマイク・ニューエル監督の『コレラの時代の愛』を観た)。私は、ポール・オースターは例外だが、海外の作家の熱心な読者とはいえない。定年退職を機に、読書の領域を広げていきたいと思っている。「大佐には手紙は来ない」はそういう思いにさせてくれる作品だった。思うに、私がこれまであまり海外の作家の作品を読むことに熱心でなかったのは、原文でなく邦訳で読むことになるので、日本語の文章として感心しないものが多かったからだと思う。ポール・オースターが例外になったのは、柴田元幸の翻訳が見事だったからというのが大きい。私が学生だったころと比べて、翻訳の文章のレベルははっきりと上がっている。たんに語学ができる人ではなく、日本語の文章も達者な人が翻訳者に増えてきたということである。

夕食はハヤシライス。

食事をしながら『踊るさんま御殿』のさんま70歳記念スペシャルを観る。私もつい最近まで教室やオンデマンド授業でしゃべることを生業にしてきた人間だが、さんまのあの臨機応変なしゃべりの反射神経とテクニックにはほとほと感心する。

ブログの引っ越し作業、すでに5月末までの分は終わっているが、ここ1っカ月分を追加で引っ越す。最近一カ月分だけをダウンロードすることはできないので、改めて全部をダウンロードして(3つのファイルに分割)、3番目のファイルをテキストで開いて最近一カ月分のデータをコピペして4つ目のファイルを作り、それを「はてなブログ」の方へインポートする。それほど面倒な作業ではない。最初、引っ越しを始める前、データのダウンロードは7日に1回までということの意味がわからなかった。20年分のデータも一回の作業でダウンロードできるからだ。しかし、ここに来て分かったことは、私が今日したような、追加分のダウンロードは、最低、一週間分を単位としてやってくださいということなのである(私は一カ月分を単位としてやったわけだが)。

記事数は31,画像は820枚だったので、数時間で作業は完了した。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。

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