フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月27日(月) 小雨

2024-05-28 12:29:22 | Weblog

8時、起床。このところ耳鳴りが大きい。耳鳴りには、私の場合、周期のようなものがあって、いまは拡大期なのである。

将棋名人戦第5局2日目。藤井の封じ手は大方の予想通り「2四歩」だった。豊島はノータイムで「同歩」。

ここで藤井は次の一手に30分ほど考えた。2四歩に同歩は必然の応手なので、当然、その次の手も考えた上での封じ手であろうから、ここで考えるのはちょっと不可解な気がしたが、おそらく後戻りできない激しい展開になるので、念には念を入れて確認していたのだう。そして「5五歩」と決断の一手を指した。ここで豊島が長考に沈んだ。

チーズトースト、目玉焼き、牛乳、珈琲の朝食。定番のソーセージを抜いたのはささやかな体重コントロールのためである。

昨日のブログを書く。

豊島は90分の大長考で「同金」と5五歩を取った。「同歩」と「6四金」の二択の局面で、「同金」は金を攻めに参加せせる手で、迫力はあるが自陣の守りが薄くなる。「6四金」は金を守りに使う手だが、攻め味がなくなる。一長一短なのだが、90分の大長考は先手からの「5五歩」を軽視していたのかもしれない。

雨の中、昼食を食べに出る。

先日購入した竹内恵美子さんの書道アートの作品の代金をATMで振り込む。

「天丼てんや」に入る。

たれづけ海老尽くし天丼をごはん少な目で注文する。

海老が2本、むき海老と舞茸の摘まみ上げ、ひらさやいんげんの天ぷら。920円(税込)だが、ごはん少な目で-50円、リッチモンドホテルの会員証提示で10%引きで、783円なり。

食事をしながら気になることがあった。さきほどのATMでの支払いの時に、ついでに記帳をしたのだが(たまにしかしないのだ)、カードの4月の支払い(2月に使用した分)が66,000円ほどあって、何に使ったのか思い出せないのである。私は基本的に買物は現金払いで、カードはめったに使わない。だからカードで支払ったときは覚えているのだが、この66,000円が何の支払いなのかがすぐに思い出せなかった。帰宅してから、ネットで明細を確認したら、2月10日に駅ビルの「リーガル」で靴を購入した分と、2月27日に駅ビルの「銀座アスター」で小学校のミニ同窓会を開いたときの支払を私のカードで行った(私のおごりではなく、会費は各自から現金で受け取った)ときのものだったことがわかった。一件落着。

2時から博論の研究指導を1時間ほど。

それを終えてから近所の耳鼻科に行き、いつもの薬を出してもらう。

耳鼻科から戻って、名人戦のネット中継を観たら、形勢が先手藤井に傾いていた。藤井の4六角の王手に豊島が9二玉と寄ってかわした手に、9四銀と打った局面である。後手はこれを同金とは取れない(取ったら8二金打ち以下寄せられる)。

夕食は豚肉生姜焼き、かきま玉汁、ごはん。ネット中継を観ながら、

豊島も駒を自陣に投下して受けたが、藤井の攻めは切れない。そして先手の玉にはまったく手が着いていない。99手で豊島が投了。一方的な将棋になってしまった豊島の敗因は、どの手というよりも、それ以前に、振り飛車のスペシャリストたち(たとえば王将戦での菅井竜也八段)を打ち負かしてきた藤井相手に不慣れな振り飛車を指したことにあるだろう。また、シリーズ全体としては第一局(藤井の先手)で豊島がほとんど手中にしていた勝利をポカで落としたことで流れが決まってしまったように思う。

シリーズ4勝1敗で藤井が名人位を防衛した。しかし、ここでホッとしてはいられないところが「八冠」の大変なところである。5月31日に叡王戦5番勝負第4局(対伊藤匠)が控えている。1-2のカド番(タイトル戦でのカド番は初めて)をどう藤井が戦うか、非常に興味深い。

デザートはサクランボ。

食事をしながら『アンチヒーロー』を観る。「不適切にもほどがある」「はて?」と他の人気ドラマの台詞がところどころで使われる。話は佳境に入っているが、脚本はエンターテイメントである。

本日提出されたレビューシートのチェック。

『ガラスの街』読了。「訳者あとがき」で柴田元幸がこう書いている。

「今回新たに訳してみて・・・(中略)・・・透明感あふれる文章が崩れるような箇所(ピーター・ステイルマンの長い独白、クインがニューヨークの街を歩く描写、クイン自身によるニューヨークの人びとの観察など)に惹きつけられた。端正で音楽的な文章を、むしろ内側から食い破るような要素―考えてみればそういった箇所がオースター作品にはつねにどこかで現れるのであり、それがあるからこそ、透明な文章の美しさもよりいっそう活きるのだろう。」

確かにそのとおりであると思う。また、オースターの「透明感あふれる文章」というのは、主人公の「探偵」(あるいは探偵もどき)がニューヨークを舞台に、正体不明の人物を追跡する間に、主人公自身が正体不明の人物になるという二重の浮遊感(存在論的不安)を描くのにふさわしい文体で、それは村上春樹にもいえることである。

続いて、「ニューヨーク三部作」の最後の一作『鍵のかかった部屋』をキンドル版で再読しようとしたら、キンドル版がないことがわかった。なんということか、白水社。ならばと気を取り直して、未読だった『ブルックリン・フォーリーズ』(新潮文庫)を購入することにした。

「六十歳を前に、離婚して静かに人生の結末を迎えようとブルックリンに帰ってきた主人公ネイサン。わが身を振り返り「人間愚行(フォリーズ)の書」を書く事を思いついたが、街の古本屋で甥のトムと再会してから思いもかけない冒険と幸福な出来事が起こり始める。そして一人の女性と出会って……物語の名手がニューヨークに生きる人間の悲喜劇を温かくウィットに富んだ文章で描いた家族再生の物語。」(Amazonの紹介サイトから)
 

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時15分、就寝。

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