フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月15日(水) 晴れ

2024-05-15 22:59:41 | Weblog

7時15分、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダの朝食。

朝刊にポール・オースターを偲ぶ記事が載っていた。書いたのはオースターの著作の翻訳を多く手掛けた柴田元幸さん。彼が書いているように、本当にオースターは稀代のストーリー・テラーだった。『ムーン・パレス』の登場人物たちは(主人公の青年だけでなく、その父親も祖父も)自らの意志ですべてを失う「ゼロ地点」まで突き進み、そこで世界と対峙して、新たな人生を歩み始める。その屈折は奇想天外なものである。

同じページ(文化欄)に俳人の黛まどかの第一句集『B面の夏』(1994年)が出版されてからちょうど30年、それを記念した企画が準備されているという記事が載っていた。

 ソーダ水つつく彼の名出るたびに

俵万智の第一歌集『サラダ記念日』が出たのが1987年で、『B面の夏』はその俳句版ともいえるものだった。一般に、情緒的なもの(とくに恋愛)は短歌向きで、写生を基本とする俳句には不向きだと言われている。その通念に果敢にいどんだのが『B面の夏』だった。

調べたら『B面の夏』は電子書籍でも出ているので、購入することにした。長編小説を読み終えた直後なので、短詩型文学に指向が大きく振れたのである。

10時から大学院の社会学コースの会議(オンライン)。

会議を終えてから、昨日のブログを書いてアップする。

昼食は「松家カレー」で。

鳥もも塩焼きカレーを注文する。

ラッキョウと福神漬けは食べ放題である。塩焼きの鶏肉にはレモンを振りかけて。

2時から教授会(オンライン)。

夕方、散歩に出る。

「ルージュブランシュ」に立ち寄る。

チーズスフレとアイスティーを店内のテーブルで。

鞄からキンドル・スクライブを取り出して『B面の夏』を読み始める。

一頁に一句。句は頁の中央ではなく、右端に書かれている。

作品は春夏秋冬の順に並んでいるが、春と夏の句が多い。

そして恋の句が多い。

微笑ましい恋の句ばかりではなく、思いつめたような情念を感じさせる恋の句も散見される。

厨房から店主さんが顔を出された。

オペラ(ケーキの名前)の切り落としの部分を持ってきてくれた。サンドしているクリームがお酒を含んでいて濃厚である。美味しいです。

あっという間に最後のページまで行ってしまった。「あとがき」を読んで、ここに収められた恋の句は短命に終わった「許されない恋」の記録であることを知った。

旅終へてよりB面の夏休 黛まどか

夕食はかますの干物、ほうれん草の玉子とじ、松前漬け、味噌汁、ごはん。

ほうれん草の玉子とじは久しぶりである。

デザートはメロン。

食事をしながら『岸辺露伴ルーヴルへ行く』(録画)を観る。

今日が締め切りのレビューシートのチェック。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時、就寝。


5月14日(火) 晴れ

2024-05-15 13:00:28 | Weblog

8時半、起床。

チーズトースト、目玉焼き、サラダ、牛乳、珈琲の朝食(後からソーセージを追加)。

昨日のブログを書いてアップする。

12時に予約している近所の歯科医院へ行く。歯周ポケットに薬を詰める治療は今日(3回目)で終了。支払いのとき受付のスタッフさんと昨日キネカ大森で観た『名探偵コナン  100万ドルの五稜星』についておしゃべり。彼女は劇場版は全部観ているようだった。「今回の話はちょっと難しかったですね」。謎ときが複雑ということだろう。「次回は・・・」と彼女が言ったので、次回作は来年のGWみたいですねと私が言うと、「いえ、次の診察のご予約についてです(笑)。6月3日ですね」。はい、そうです。

ご近所で解体工事が進んでいる。木造であれば一日であらかた片付くところだが、堅牢な鉄筋コンクリートの住宅で、何日もかかっている。

治療のあとはしばらく飲食ができないので、いったん自宅に戻って、1時半ごろ「吉岡家」に昼食を食べに行く。

『ムーン・パレス』は今日中に読み終わりそうである。

稲庭うどんと稚鮎の天ぷら。

昨日の夕食(鮎の塩焼き)に続いての鮎である。塩で食べる。

帰宅して、書斎で仕事をしていると、ドアの外でチャイの鳴く声がする。珍しいな。めったに鳴かない猫なのだが。

ドアを開けると、そこにいた。しかし、入りたいというわけではないようである。

一階の和室の明るい場所にリクライニングチェアを移動して、そこで日が暮れるまで、『ムーン・パレス』を読む。

ずいぶん久しぶりの再読だったが、筋は全然忘れていた。うっすら覚えてはいても、行動の主体が別人だったりした。これから昔読んだ本をキンドルで再読する機会が増えていくと思われるが、「再読=思い出す」ということではない新たな読書体験となるだろう。

昨日のように映画館で映画を観る機会も増えそうだが、その場合、場所と時間が決まっている。読書の場合はそれが自由である。非日常的な作品の中の世界に入っていくという点は同じでもこれは大きな違いである(PCやスマホで映画を観るという行為は映画館で映画を観るのとは違うだろう)。他者(別の観客)と一緒に映画を観ているというのも大きな違いで、読書の方がより孤独な行為である。これは音楽についても同じで、同じ曲を一緒に聞くことはできるが、同じ本を一緒に(同時に)読むことは困難である。読書では映像はあらかじめ与えられておらず、頭の中で映像化や音声化(登場人物の声)を行いながら読むわけで、作品の鑑賞はより個人化している。定年後は「ひとりの時間」が増えるが、読書に投下する時間が過度に大きくならないように注意した方がよいかもしれない。私の場合、目の疲れがおのずとブレーキの役目をしてくれると思うが。

夕食は青椒肉絲、筍とワカメの煮物、ブロッコリーとキノコのサラダ、味噌汁、ごはん。

食事をしながら『花咲舞が黙っていない』第5話(録画)を観る。東京第一銀行が産業中央銀行と合併することになり、産業中央銀行の行員である半沢直樹(劇団ひとり)が登場した。なんですか、これは。

レビューシートのチェック。

オンデマンド授業の次回のコンテンツをアップする。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時就寝。