7時45分、起床。いきなりの早起き(私にしては)。
チーズトースト(+ソーセージ)、目玉焼き、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
新聞に八代亜紀さんの訃報記事が載っている。高倉健主演の映画『駅・STATION』の中で流れていた「舟唄」を思いだす。ご冥福をお祈りします。
「皇帝」ベッケンバウアーの訃報記事も載っていた。学生の頃、ヨーロッパを旅行していて、ドイツの地方都市チュービンゲンに着いて、駅のスタンドで軽食をとっていたら、そばにいたおじさんがこっちを見て、ビールジョッキをかかげながら「ベッケンバウワー!」と叫んでいたのを思い出す。サッカー・ワールドカップで西ドイツを優勝に導いた立役者の名前だった。こっちも珈琲カップをかかげて「ベッケンバウワー!」と返した。
昨日のブログを書いてから、家を出る。今日は大学で用事があるのだが、その前に、新年の墓参りをしよう。
本当は5日に来るつもりでいたのだが、体調を崩して今日になってしまったのである。
年末に買って用意していた煎餅の箱には「年賀」のノシがついているが、まぁ、これはそのままでよいだろう。
途中のコンビニで墓前に供える缶ビールを買い、花屋で仏花を買った。
先月の25日に来ているので、半月ぶりである。自分でもよく墓参りに来る方だと自覚はしている。年に6回は来ているだろう。お寺が近いということもある。これが郊外の霊園だったら、行って帰ってくるだけで半日かかってしまうだろう。
墓石には「大久保家先祖代々の墓」と刻まれているが、私が知っているのは両親と父方の祖父母だけである。祖父母は浅草で油屋を営んでいたと聞いている。「油を売っている」という慣用句は「仕事中に無駄話をする」ことだが、油屋というのは元来が行商人で、客と世間話をしながら商品(油)を売っていた様子に由来する。
墓参りをすませ、縁側でお茶をいただきながら住職の奥様とお話をする。住職夫妻は今年で結婚18年目だそうだ。奥様はお寺関係の方ではなく、普通のサラリーマン家庭の方であったから、お寺のことは何もかも結婚されてから覚えていったそうである。さぞかし大変だったであろう。
早稲田に着いて、まず、穴八幡神社に詣でる。
冬至の日に「一陽来復」のお守りを求めて並んだ時のような混雑はない。
山門から本殿の間に並んでいる露天も閑散としている(ただし節分までは週末にはそれなりの人出があるだろう)。
参拝する人たちは三列に並んでいる。中央の列が長いのは、なんとなく中央の方がご利益が高そうだからかもしれない。私は空いている左側の列に並んだ。
参拝を済ませて、古いお守りを箱(古礼守納所)に入れる。今日来たのはこのためである。
境内からは文キャンが見える。穴八幡神社は文キャンの正面であるが、来たことのない学生の方が多いだろう。一度は来てみることを勧めたい。
階段を下る。
時刻は午後1時。昼食にしよう。
「たかはし」に行くと決めていた。
混んでいるようである。少し待つ。
年始の注文はこれ。看板メニューの二重弁当。
あれこれ食べられて楽しい気分になる。もっとも私はこれを会議のときに食べることが多かったので、そのときはそれほど楽しい気分で食べた記憶はないのだが(笑)。
支払いの時、店主さんご夫妻と「今年もよろしくお願いします」の挨拶。年賀のタオルをいただく。
新年初めての文キャン。今日は授業はなく(明日から)、4時半から現代人間論系の教室会議とその後に現代人間論系総合講座(オンデマンド)の収録(教員座談会)がある。
会議までは3時間ほどあるので、研究室であれこれの仕事を片付ける。
収録が終わって、大学を出たのは9時近くになっていた。腹ペコである(座談会の後半、口数が減っているのが自分でもわかったが、腹が減っていたのである)。
「ごんべえ」で釜揚げうどん(+かやくごはん)。腹ペコだったので、かやくごはんのお替りができるならしたいくらいだった。かやくごはんのお替りはしたことがないが、かやくご飯抜きだと50円引きなので、逆にいえば、50円追加料金を払えばおかわりができるのかしら。結局、しなかったが。
蒲田に着いて、帰宅する前に、近所のコンビニであんまんを買った。
ちゃんとした胡麻あんのあんまんである。コンビニと自宅との間で歩きながら食べた。ようやく空腹が満たされた。
久しぶりで早起き(私にしては)したので、眠かったが、明日の大学院演習の準備(報告者のレジュメに目を通す)をしなくてはならない。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
1時45分、就寝。