9時、起床。
パン、目玉焼き、ウィンナー、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
オリンピックが終わり、朝刊の一面は「ウクライナ」が占めるようになった。
本日の『カムカムエヴリバディ』。二代目桃剣と虚無蔵の間には何やらわだかまりがあるようである。朝ドラの場合、わだかまりというのは解けることになっているので、関心はどのように解けるのかである。どんな出来事が、そして誰がその媒介になるのかである。それはそれとして、道場での殺陣の練習をする虚無蔵、二刀流はあまり上手くないように見えるのだが・・・。身長が高いせいもあってか、腰が据わっていないように見えてしまう。一方、桃剣は映画村の宣伝シーンからもわかるとおり体幹にぶれがなくしっかり型が決まっている。文四郎はどうだろう。彼を演じる本郷奏多はきっと特訓してこの役に挑んでいるはずである(松重豊は『孤独のグルメ』で忙しかったのだろう)。
昨日のブログを書いてアップする。
2時を回った頃、昼食を食べに出る。「燈日」に行こうと多摩川線に乗る。
1つ目の矢口渡で下車。
「リヨン モアール」で朝食用のパンを買う。私の中では「燈日」と「リヨン モアール」はセットになっている。
「燈日」の前まで行くと満席で入口の外で待っている人がいる。やはり祝日は混むのである。私はカフェは並んでまでして入るところではないと思っているので(外に人が並んでいるのを店内から見るのも気分が落ち着かいものである)、「リヨン モアール」でパンを買えてことをよしとして、別の場所に行くことにした。
蒲田まで戻り、池上線に乗る。久しぶりに荏原中延の「隣町珈琲」に行こうと決めた。
荏原中延の一つ手前の旗の台の駅のホームを見て、「昭和大学前」というプレートが駅名の下に貼られていることに気づいた。東横線には「都立大学」「学芸大学」という名前の駅がある。東急電鉄がそれを求めたのか、大学側が求めたのか、経緯は知らないが、双方にとって利益のあることだったのだろう。すでにどちらの大学も郊外に移転して久しいが、東急が地元住民にアンケートをとって駅名はそのままとなった。旗の台は昭和大学の大きな病院があることで知られている。しかし、いまから旗の台を「昭和大学」と駅名変更することは難しいであろうから、せめて「昭和大学前」というプレートを貼ることで対応しているのだろう。
荏原中延で下車。
改札を出て左側の商店街にはアーケードがある。
「隣町珈琲」に到着。店は地下にある。
タイカレーのランチセットを注文。ドリンクはリンゴジュースをチョイス。
ここのタイカレーは美味しい。今日はいつもより(記憶にあるものより)赤みが強く、味もスパイシーである。だが、これも美味しい。というよりも、さらに美味しい。厨房の人が違うのだろうか。尋ねてみようかと思ったが、店が混んでいるのでやめておく。
デザートに小倉あんトーストを注文。カレーの後のあんこは相性がいいのだ。トーストも美味しい。
それにしても今日は混んでいる。これまで来たうちで一番混んでいるかもしれない。
「隣町珈琲」はブックカフェで壁の書架には古本がたくさん並んでいるが、新刊書のコーナーもある。そこから4冊を購入した。関川夏央『人間晩年図巻』(岩波書店)のこれまで出ている5巻のうちの4巻だ(最初の巻はもっている)。その年に亡くなった有名人の人生のスケッチである。
人には全盛期と晩年がある。
全盛期は、老いて回想すれば、あのあたりがそうだったか、と思い当たる。回想には寂寥感がともなうが、それはやむを得ない。
では、晩年は?
いつ始まったものかわからない。いつ終わるのかは、もっとわからない。
確かに加齢した。脚は弱る。居眠りをする。頻尿で、もの忘れがはなはだしい。老人と認めざるを得ない現状であっても、それが晩年だと認識することは別だ。元来そう思いたくない、触れたくもないものが晩年とその周辺の話題で、全盛期は自分事でも、晩年は他人事なのである。
いつが晩年であったかは、死ねばわかる。
それまでは他人の晩年を読んで、彼らの「物語」をたのしむのがよい。
この本の題名は山田風太郎の名著『人間臨終図巻』の変奏である。
山田氏がその六十代なかばに完成させた『人間臨終図巻』は、古今東西の歴史的有名人九百余名の臨終を、没年齢ごとに書いている。(中略)
それと違って、これは現代史の本である。
現代史を、直接にではなく表現する手立てはないかと思案し、時代の刻印を受け、また現代史そのもをつくった有名人・無名人、その全盛期と晩年の記述で実践してみた。(「2008-11年3月11日」の巻の「あとがき」より)
帰宅して、5時から教授会(オンライン)。
本日の東京都の新規感染者数が発表された。昨日よりも増えているが(毎週木曜日あたりがピークになる)、先週の水曜日よりも減っている。
夕食は鮭(甘塩)、サラダ、味噌汁、ご飯、そして
とろろ汁。
食事をしながら『ファイトソング』第7話(録画)を観る。
テレビを観ているとチャイが膝に乗ってくる。「まだお風呂じゃないの?」
『人間晩年図巻 2008-20011年3月11日』に収められた「安田南」を読む。ジャズシンガーだが、私は大学生の頃、彼女の声を深夜のラジオ番組で聞いていただけである。
一九七四年から彼女は、FM東京のおしゃべりと音楽の深夜番組「気まぐれ飛行船」に作家の片岡義男とともに出演していた。(中略)
片岡義男の話しぶりは「脱力系」で、全然騒がしくなかった。知識自慢もしなかった。彼の機知ある相手役だった安田南は、午前三時のエンディングには、「眠れ眠れ、悪い子たち」とささやいた。
七八年のある夜、彼女は番組で泣いた。愛猫が死んだということだった。号泣といってもよいありさまだったが、片岡義男は慰めたりせず、淡々と受けとめた。
そのあとしばらくして彼女は番組を降りた。というより、連絡がつかなくなったのだという。何があったのかはわからない。片岡義男は、「きっとまた、ぶらっと戻ってきてくれると思います」と番組中でいったが、それは実現しなかった。ジャズ・シーンからも姿を消した彼女は、やがて「伝説のジャズ・シンガー」に分類された。
しばらく空席のままだった番組の女性パーソンナリティは、「謎の美人」といわれた書き手の温水ゆかりにかわった。八〇年代のある夜のある話題のとき、片岡義男が温水ゆかりに、ぽつりと「南もどこかで聞いていてくれるかなあ」とつぶやいた。
(中略)
安田南の晩年はまったく明らかではない。ただ二〇〇八年以前に亡くなったという噂を聞くばかりである。
引用した箇所だけに限らず、関川夏央は文中で人名を常にフルネームで書く。決して「安田」「片岡」と略したりしない。それで決してくどくならないところが、関川夏央の文体の力である。
風呂から出て(チャイも一緒に入った)、今日の日記を付ける。
1時半、就寝。