フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月16日(水) 曇り

2013-01-17 09:27:50 | Weblog

  7時半、起床。昨夜食べなかったハンバーグ、パン、トマト、紅茶の朝食。

   朝食をとりながら『ビブリア古書堂の事件手帖』の初回(録画)を観る。「事件」というよりも古書をめぐって人生のエピソードが明らかになるという話のようである。原作の前書きにもこう書いてある。「これは何冊かの古い本の話だ。古い本とそれをめぐる人間の話だ」。それにしてもビブリア古書堂はずいぶんと立派な、大きな古書店である。北鎌倉の住宅街の中にあるという設定で、古民家を改築したもののようであるが、ひっそりとした佇まいの中に、若い女性の店主(剛力彩芽)が本の査定をしているという設定がファンタジックだ。現実の古本屋では店主はたいていおやじさんだし、アルバイトで若い女性を使っている古本屋というのも私は入ったことがない。今回は漱石の『それから』が取り上げられていたが、次回は小山清の『落穂拾ひ』らしい。ずいぶんと渋い選択である。太宰の弟士の一人だが、私は小沼丹の小説の中で小山清のことを初めて知り、彼の作品に触れた。清涼感のある孤独な文章を書く人だ。 

  昼過ぎに家を出て、大学へ。神楽坂で途中下車して、「SKIPA」で昼食。チキンカレーとプリンと紅茶。「梅花亭」で京風さくら餅とうぐいす餅をお八つに買う。

  教員の一週間は時間割が下地としてあるので、曜日ごとに行動パターンが生まれやすい。今日は典型的な水曜日の行動パターンである。もちろん他の駅で途中下車することも(しようと思えば)できるし、神楽坂で途中下車するにしても「SKIPA」以外の店で食事をとることも(しようと思えば)できるし、「梅花亭」以外の店でお八つを買うことも(しようと思えば)できる。だから行動パターンというのは必然的に生まれるというよりも、そういう行動パターンを維持しようという私の意志がそれを生んでいるのである。一定の行動パターンというのは、要するに、生き方ということであり、生き方に自覚的でありたいという気持ちがパターン(スタイル)を生んでいるのである。もちろん自覚的に行き当たりばったりの生き方をすることも(しようと思えば)できるわけだが、私は、おそらくほとんどの人も、そういう生き方を望んではいない。人間は習慣の束であり、自分にとって快適な習慣を作ること、それがライフスタイルというものの基本原理だろう。

 

 

  4時から現代人間論系の教室会議。今日はいつもより議題が少ないと事前に聞いていたので、1時間くらいで終わるかなと期待していたのだが、結局、3時間かかった。

  新棟が完成間近である。論系室もプレハブ校舎から新棟に移る。今日の会議で論系室の使い方について話し合われたが、いままで図面上で考えていたことが、リアリティを持ってきた。 

  8時過ぎに帰宅。今期の芥川賞で黒田夏子「abさんご」(『早稲田文学』5号)、直木賞で朝井リョウ『何者』(新潮社)と安倍龍太郎『等泊』(日本経済新聞出版社)が選ばれた。うちの大学と縁のある人の受賞は嬉しい。