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フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月13日(土) 晴れ

2008-09-14 01:58:47 | Weblog
  飼い猫のはるの姿が見えないとき、「あそこかな」と思い当たる場所が家の中に何箇所かある。その一つが寝室に置いてある妻のドレッサーの上だ。ドレッサーといっても、妻の本が積まれているために、裏側が鏡になっている天板が開けられることはなく、ドレッサーとしては使われていない。この狭い空間がはるにとってのやすらぎの空間なのである。一般に猫は狭い場所を好む。上置きの側面に首を押し付けて(これが人間だったら絶対に首の筋を痛めるところだ)、足も天板からはみだして、それでもくつろいだ表情でいる。それは退屈そうな表情にも見えるが、そうであったとしても、たぶんわれわれが感じるような退屈とは違うのであろう。

           
                  狭いドレッサーの上の猫

  夕方、一日中家の中にいるのもどうかと思ったので、ちょっと散歩に出る。「シャノアール」でメロンソーダを注文し、持参した『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』(洋泉社)を読む。あの事件はこれからの日本社会の行末を考える上でとても重要な事件である。本書では25人の論者がそれぞれの観点から事件を論じていたが、どういう要因にとくに着目するか、また、K容疑者の心理にどの程度共感(あるいは理解)を示すかで、それぞれの論者の社会観や人間観がシャープに示されている。その意味で、この事件は日本国内における「9.11」みたいなところがある。全体にザッと目を通して感じたのは、1990年代後半から顕著になってきた現代若者論(その主流は大人による若者批判である)に対して、若者(あるいはその代弁者)からの反論、反批判が勢いを増しているということだった。1970年前後の大学紛争は管理社会的状況を背景とした世代間闘争だったが、いま、格差社会的状況を背景とした新たな世代間闘争が起ころうとしている。

           
                   この町の夕暮れ

           
                  月から見た地球の出