今年の漢字が京都・清水寺で発表になりました。予想通りの「絆」でした。なんだろう?少し漂うこの違和感。
何かしらボランティアの方々から受けた優しさや、全国から届いた支援に「絆」を実感した方もいらしたかもしれない。でも、被災しなかった私たちは、本当に絆を感じるほど、被災地に何かを届けているだろうか?気持ちを向けているだろうか?絆という強いコトバで表せるほどに?
昨日も、78歳のおばあちゃんが、原発から逃れ、東京の高層ビルで仮暮らしをしている様子を取材したテレビを見ました。彼女が最後にポツリと、「しょうがないね。」と言ったのが、本当につらかったです。「死ぬまで東京では暮らせない」という目が、とても寂しそうで、たまらなく悲しかったです。
元気に前を向き、ガンガン行く。それが私たちの務めだと思うことに変わりはないし、悲しんでいるだけではいつまで経ったって復興しないし、誰もそんなこと望んでいないだろうし。
でも、今年を表す文字はやっぱり、悲しいことがあったと、つらい年だったと、そういうことを象徴する文字であるほうが、自然なような、そんな気が、私はしたのです。